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令和源氏物語 宇治の恋華 第八十話

 第八十話  うしなった愛(十三)
 
殿方たちが明るい未来に想いを馳せている一方で宇治の姉妹はこれからどのような運命が待ち受けているのかと不安に揺れ動いておりました。
何分世慣れぬ方々故に、慣れた土地を離れるというのも大きな決心を持ってしなければ腰があげられません。
大君は父宮が荼毘に臥されたこの宇治に強く思いが残っているように感じられて、今更京に移るのを如何に思召されるか、と思い悩んでおられます。
すでに我ら姉妹は京で物笑いの種になっているのではないか、そうした疑念が大君の心を蝕み、物も食べることが出来ずに俯く日々が続いているのです。
落ちぶれた宮家の姫がいくら矜持を高くしても誰かの手を借りなければ食うにも困る、という現実が大君の心を疲弊させているのでした。
今の大君は明るく祝福された中君の未来を考えることなどはできず、ただ以前のように世間から忘れ去られても姉妹で仲良く暮らしたいという思いばかり。
もしも時を戻せるのならば、というような後ろ向きな考えばかりが脳裏をよぎるのでした。
霧の立ち込める宇治川を眺めながら、大君は深いため息を吐きました。
まるで自身の心を映すかの如く視界を塞ぐ濃い霧に何処へむかってゆけばよいのかもわからず、足はすくんで地にはりついたように身動きがとれないのです。
 
世間は自分たちをどのように思うているのであろう?
薫君の三条邸に移るということは君の妻と世間からは見られるのではあるまいか。
 
大君の本当のところというのは中君が匂宮と別れることとなってもこの宇治へ留まりたいという願いの方が強いのです。
しかし本当に中君が匂宮と別れることになったらさらに外聞の悪いこととなりましょう。
大君がこのように世間の目を気にするのは自分たちが悪しく言われることは即ち亡き父宮の後の世にも障りがあるのではいか、という考えからです。
このような時にこそ父宮に身の振り方をお尋ねしたいものを、夢にも現れてはくださらぬ、と大君は心細く感じました。
姉として中君をよいように導いてあげなくては、と気を張るこの女人の細い肩には抱えきれぬ苦悩が課せられているのです。
近頃の大君はすっかり食が細くなり見る間に痩せております。
それがやつれているようではなく、少しずつ地から足が離れてゆくようで妹の中君は漠然とした不安を覚えずにはいられません。
そんな折に文机によりかかってうたた寝をしていた中君は亡き父宮の夢を見ました。
あの亡くなる前に邸を一巡りした時のように懐かしげに辺りを見回して、ただじっと見上げる中君を見つめる父の顔は何か言いたげながら悲しそうで、そのまなざしを中君は目覚めてからも忘れることはできませんでした。
これはもしや何か不吉なことが起こる予兆であろうか。
中君は慄いて姉の元へと急ぎました。
「お姉さま、今お父さまの夢を見ましたわ」
「まぁ、お父さまの。どんなご様子だったのかしら?」
ふと姉を見た中君はそのほっそりとした姿を改めて目の当たりにして愕然としました。
それは見苦しくなくただ清いのです。
だんだん透き通ってゆくように儚げで、今この姉に不安をもたらす言葉は伝えられません。
「お父さまは優しく笑んでおられましたわ。きっと何事も心配せずに心安く過ごしなさい、ということを仰りたかったのではないかしら?」
「そう。今一度お父さまのお声をお聞きしたいわねぇ」
そう言って懐かしげにふんわりと笑った大君はそのまま気を失ってしまいました。

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