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紫がたり 令和源氏物語 第三百五十九話 若菜・下(二十五)

 若菜・下(二十五)
 
帰邸の牛車に揺られながら、すでに宮が恋しくてならない柏木はぼんやりと宮の様子を思い返しておりました。
美しくほっそりとした可憐な姿に御声は若々しくあられた、まこと天女のような御方であったよ。
しかし六条院が遠ざかるにつれて現実へ引き戻されて大それたことをしてしまったという後悔の念が込み上げてくるのです。
 
誰かに見られたのではあるまいか?
人に知られることはなかろうか?
 
もしも源氏に知られるようなことがあれば身の破滅です。
そう思うと首筋に刃をあてられたような悪寒を禁じ得ないのでした。
柏木はとても女二の宮の元へ帰る気にもならず、父である致仕太政大臣の邸へと向かいました。
宮に逢うまでは何としてでも、という気概があったものの、今となっては罪を犯したという呵責に苛まれているのです。
自分はこれほどに意気地のない男であったか、とそのまま夜具をひき被り、いつしか眠りに落ちてゆきました。
 
小侍従はどうやら女三の宮が柏木と逢ったようなのを感じ取りました。陽が高くなっても宮が御寝所からでられぬのを不審に思ったのです。
「宮さま、お加減でも悪うございますか?」
「今日は寝かせておいてちょうだい」
宮は泣いておられるようでした。
宮さまに無礼なことはしないと誓っておきながらなんと非道い仕打ちをするのか、などと手引きをしておきながら憤る小侍従です。
 
日が暮れてから小侍従は柏木を訪れました。
「柏木さま、尊い宮さまになんて無体なことをなさったのですか」
「そう怒るな、小侍従」
「怒らずにはいられないでしょう。だいそれたことをして」
「宮さまは私の言葉にほだされて受け入れてくださったのだよ」
「そんな・・・。宮さまは泣いておられましたわ」
「きっと良心の呵責で御心を痛められたのだ。夫を裏切ってしまったのだからね。しかし私達は別れ際に歌を交わし合った。恋とは残酷なものゆえ苦しまれているのであろう」
さも宮が柏木を恋い慕っているような口ぶりで小侍従を宥める狡猾さです。否、もしや心底そのように思い込んでいるものか・・・。となれば背筋の冷たくなる現実ではありますが、そこは実際にやりとりをまのあたりにしておらぬ小侍従には、何とも。。。
小侍従は苦悩する柏木の愁いを含んだ端正な顔立ちに見惚れました。
たしかにこの美男子を目の当たりにして宮の御心は動いたのかもしれない、とそう感じます。
「わたくしはどうすればよいのでしょう」
「知らぬふりをした方が宮の御心は傷つかぬ。しかしまたこうした人少ない折があれば知らせておくれ。宮はきっと私を待ち望んでおられるだろうからね」
なんと言葉巧みな柏木でしょうか。
小侍従は今時の蓮っ葉な若い女なので、宮さまとはいえ女であるのだからそういうこともあろう、と納得してしまいました。
そうしてまた高価な品々を受け取り六条院へと戻ったのです。
 
なんと女三の宮の不憫なことか。
稚拙な宮はご自分の不幸を嘆くばかりで誰が手引きをしたかなどは考えるにも及びません。もっとも信頼する小侍従を疑うなど露とも思われないのです。
ただただ恥ずかしく、女房たちにも気づかれないようにと思い悩まれて日々を過ごされるのでした。

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