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紫がたり 令和源氏物語 第二百五十話 野分(一)

 野分(一)
 
源氏が六条院に移り一年になろうとしております。
季節が一巡し、今は秋。
秋好中宮のお庭は植物もしっかりと根付いているので、花の咲き具合も艶やかに、一年前よりも趣を増しておりました。
黒木、赤木で結ばれた垣は粋な風情で、あちらこちらと造作された薄の群れが穂を揺らすのも情趣があるものです。竜胆の青もしっとりと、とくに白萩はまるで小さな胡蝶が無数舞い飛ぶようなのが可憐であると中宮は思召しておられるようです。
あの晩春に春の御殿の素晴らしさを痛感した中宮付きの女房たちもやはりこの時期となればこの庭が一番と感じ入ります。
春秋の優劣が昔から論じられているように、四季に心を寄せる者達ならばこの庭の素晴らしさを称賛するでしょう。
中宮は管弦の遊びなどを催して春の宴のお返しに紫の上をもてなしたいもの、と密かに思召しておられましたが、八月は亡き父宮の御祥月であるからと控えておられました。
 
そんな矢先に秋のお庭を野分(のわき)が襲いました。
野分とは台風のことです。
烈しい雨と猛烈な風に煽られ、か弱い花などは人が為すすべもなく根こそぎ持っていかれてしまうのです。
中宮のお気に入りの白萩も軒並みなぎ倒されて、野分の猛威はいまだ強い風を巻き起こしています。もちろん秋のお庭だけがこのようではありません。
台風ですので六条院のみならず、京中が同じような目に遭っているのでした。
 
平安時代では強い風が吹いたり、大雨が降ったり、雷が鳴ったりすると近しい人を見舞い合う習慣がありました。
現在のように電話などはないので、遣いを出し、互いの無事を確認したわけです。
 
風はまだ収まりそうもなく、六条院の人達はおろおろと惑うております。
きっと大変なことになっているに違いない、人手も足りないであろう、と夕霧の中将は機転を利かせて六条院の春の御殿に参上しました。
夕霧は律儀な性格なので、よほどのことがない限りは日に必ず三条邸のお祖母さまに顔を見せ、六条院の源氏に用事はないかと伺候するのです。
この野分が吹き荒れる事態にあっては源氏はあちこちに遣いを出すことになろうとやってきたのでした。
夕霧が春の御殿に到着すると、源氏は小さい明石の姫君が恐ろしがっている違いないとそちらにおり、普段の御座所には紫の上とその女房たちのみ。
風が強く吹き荒れて御簾もめくり上がり、女房たちがあたふたするので、紫の上はみなを落ち着かせようと端近までにじり寄って出ておりました。
ちょうど東方の渡り廊下のところに差し掛かった夕霧は、春の御殿の御座所を垣間見てしまいました。
右往左往する女房たちは動転しています。
「御方さま、どういたしましょう。風が、風が・・・。ああ、前栽もひどいものですわ」
「みなさん、落ち着きなさい。慌てても風が収まらなければどうにもなりませんよ」
「でも、せっかく丹精したお庭が」
そう女房たちが口惜しそうにするのを紫の上は優しく慰めました。
「植物は我々人などよりも強いものですよ。また丹精してあげればよいではありませんか。みなが怪我などをしていけません。落ち着きなさい」
そうしてうっすらと笑むその人を夕霧は見てしまいました。
まるで春の霞からこぼれるように咲く樺桜のように麗しい天女のようなその人を。
その御声は慈悲深く耳が洗われるように清らかに響くのです。
このような美しい人を夕霧は初めて見ました。
春の御殿の女房たちはそれぞれに美しい方々がお仕えしておりますが、この人以外に目など向けられようか。これまででもっとも美しいと思っていた雲居雁や藤典侍など霞んでしまうほどの神々しい輝きを放っています。
 
ああ、この御方が紫の上さま・・・。
 
夕霧はぼうっと頭に血が上り、まるで夢を見ているようで、魂を奪われたように佇むのでした。

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