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紫がたり 令和源氏物語 第百四十九話 蓬生(七)

 蓬生(七)   

六月になり、ふと休める日があったので、源氏はしばらくぶりに花散里の姫に逢いに行こうと出掛けました。
数日降り続いていた長雨が止んで、しっとりとした初夏の宵です。
車の内に月の光がうっすらと差し込んでくるのが、若かりし日の忍び歩きを思い出されて、昔の恋の数々を思い出していたところ、見覚えのある邸の前を通りかかりました。
丈高い草が生い茂り、たいそう荒れて元の邸はわからないものの、大きな松の木に見覚えがあります。その松には藤の蔓が這い、風にそよそよと花房が揺れているのが妙に心に懸かるのです。
「惟光、この邸は・・・」
「はい。故常陸宮さまのお邸でございます」
よもやこのような邸に姫がまだ住んでいるとは信じられませんが、惟光に様子を探るよう命じました。
不器量で融通の利かない末摘花の姫の顔が脳裏に甦ります。
あの姫が人並みに世を渡っていけるとも思われず、もしや儚くなってしまわれたか、そうであればなんと薄情なことをしてしまったのだろう、そう悔恨の情が湧きあがってきます。

惟光は庭先から邸を窺いましたが、灯りも無く、人の住んでいる気配も感じられません。
その時邸の中では老い女房達が、さては物の怪でもやってきたか、と慄きながら身を寄せ合って息を殺していたのです。
無人と思った惟光が引き上げようとすると、僅かな衣擦れが耳に入りました。
「もうし、こちらに侍従の君はおられるか?」
惟光の呼びかけに人であったと安心した女房が出てきました。
「あいにく侍従はよそへ行ってしまいましたが、・・・おや?惟光さんかい?」
その女房には確かに見覚えがありました。
「はい、惟光です。お久しい。実は源氏の君が参られているのですが、姫は未だお独りでおられるでしょうか?」
老いた女房はじわじわと目に涙をためて、
「独りでなければこのような所にずっと住み続けておりませんよ」
と恨みがましく訴えました。
これは大変だ、と惟光は急いで源氏の元へ走りました。
「殿、姫はいまだ殿をお待ちでいらっしゃいます」
「なんと・・・」
源氏は言葉を失い、もう一度荒れた邸をぐるりと見渡しました。
よくもこのようになってまで待っていてくれたものだ。
思えばあの姫が何かを無心したり、消息をよこしたりなどはなかったではないか、それでもあの人はただ私を信じて耐えておられたのだ。
そのいじらしさを思うと源氏はもういてもたってもいられなくなりました。

尋ねても我こそ訪はめ道もなく
       深き蓬のもとの心を
(訪れる人もなく道も塞ぐように繁った蓬を踏み分けて、私を待ちわび昔のままでいるあなたの心を尋ねよう)

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愛猫オシリス


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