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紫がたり 令和源氏物語 第四百二話 夕霧(五)

 夕霧(五)
 
夕霧が御簾の内に入ったのを悟った宮は驚愕されました。
何しろ霧がたちこめて陽が落ちる頃合い、紙燭一つきりの薄暗い室内なので、様子がよくわからないのです。
まさか夕霧がこのような大胆な行動に出るとも予測がつかず、宮は北の障子の外にいざりでようと身を起こしました。
「まぁ、大将の君。何をなさるのですか!」
女房たちも動転しております。
姫宮をお守りせねばとわらわらと夕霧の前に立ちふさがりますが、宮が障子の向こうへ出られたところで夕霧は宮の御装束の裾を捕えたのです。
宮はただ形ばかり障子を抑えて冷や汗を滴らせました。
「このような心持ちで来られたとは。御息所はお加減が悪いのですよ。尊い僧のおられるこの邸で御身はなんとだいそれたことをなさるのでしょう」
女房は夕霧の無作法を詰りました。
「こうでもしなければ宮さまは私の心を知ってくださらぬでしょう。三年もの間私は耐えてきたのですよ。心配しなくともこれ以上失礼なことは致しません。宮さまに嫌われたくはないですからね。でも薄々私の気持ちには気づかれていたはずです」
女房たちは夕霧が理性を失っていないのを見てとると一様に安堵はしたものの、のっぴきならない状況は変わらず、宮さまがのぼせていられないかと心配になるところです。
宮としては母君のご容体が気に懸かるところであるので夕霧の振る舞いは不快以外の何物でもありません。お返事などどうしてなさいましょうか。
夕霧は深い溜息をつきました。
「意外と幼い御方なのですね。私はただこの積年の想いを知っていただきたかっただけなのです。あまりにつれないおあしらいではないですか」
男性の感じ方と女性の感じ方はやはり別の生き物であるので大きな隔たりがあるようです。
夕霧は長年の想いをわかってほしい、と一方的に考えを押し付け、このような風趣でこそ頑なでないものが大人の対応と訴えますが、親子二人で手を取り合いながら生きてきた、その敬愛する母が苦しんでいられるのが何よりも辛い宮の御心も慮らず、あまりな物言いではありませんか。
宮はこのまま言いようにされるのが悔しく、未亡人であるから蔑まれているのかと悲しくなりました。
柏木亡きあとすぐに言い寄ってきた弟の左大弁の君といい、男などみな一緒ではないか。
この大将は親切そうな素振りで本心を隠して近づいてこられたのが、尚性質が悪い。
どうにも幸運に恵まれない己が身が呪わしく、涙が縷々と溢れてくるのです。
折しも山の端に大きな月が差し昇りました。
霧でうっすらと霞んだ様子がなまめかしく、さやさやと薄が揺れて鹿の鳴く声が辺りに響き渡りました。
「御心配なさらずとも無理に障子を開けたりは致しません。それよりもなんとも身に沁む宵ではありませんか。おしゃべりでもしましょう」
夕霧は魅力的に笑いますが、侮辱されたと感じる宮にはただ辛く、悔しく、早く夜が明けぬものかと待ちわびるのでした。

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