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令和源氏物語 宇治の恋華 第二十一話

 第二十一話 橋姫(九)
 
その日の薫は尊敬すべき師と巡り合えた興奮でなかなか眠りに就くことが出来ませんでした。
思った以上に宮は素晴らしい御方であり、薫のこれまでの悩みをも大きく受け止めてくれるように鷹揚であったのが救われたのです。
仏道に関しても阿闍梨がおっしゃる以上に多くを学ばれておられました。
普通であれば仏典に関する教えを乞おうとすると、僧都や僧正にお尋ねするのが然るべきではありますが、そうした方々はお弟子も多く、お忙しい身の上でいらっしゃるのでなかなか個人的にお会いすることが出来ないのです。
さりとて学徳も身分も無い僧には尋ねようにも答えられそうにもありませんし、賤しい性根の者は貴族を馬鹿にするようなところがあって相手にする価値もないのです。
薫にはそうした方が戒律を守っていることは素晴らしいと認めるものの、宮のように在世にて僧侶たちと同等の境地に至られ、学ばれている御方こそ尊いと思われるのです。
その上宮の御言葉は僧侶たちのように難解ではありませんでした。
物のたとえも在世にあるものらしく親しみが持てるのです。
言葉というものは厄介なもので、難しい言葉をよく知っているように遣い表わすのは安きことですが、優しい言葉で万人にもわかるよう説くにはよほど物事の本質を捉えていなければできぬことなのです。
また宮は楽の道に長じた御方でしたから、今は亡き名人たちの話を聞かせていただくのも楽しく、時には宮ご自身が自慢の七弦琴を披露されたりと、薫にとって宮はまこと得がたき存在となり、度々執務の後に宇治へ赴くようになりました。

八の宮のほうでも薫君と仏典を紐解くうちに新たな解釈や悟りとまではいかぬものの諒解するような閃きなどがあり、やはり人と関わることで御仏の教えに近づくこともあるであろう、とこの出会いに感謝しておられました。
実は八の宮は口にこそ出しませんでしたが、薫君を一目見た時からどこかでお会いしたような懐かしさを感じていたのです。
茫洋とそうした感を持ち続けておりましたが、月夜の宵に楽を合わせた時にそれが誰であるのかをはっきりと思い出しました。
宮は七弦琴を、薫君は懐から取り出した笛で合わせはじめて、宮はその音色をかつて聞いたものであると気付きました。
亡き柏木の大納言が式部卿宮さまより譲られた名笛、それに間違いありません。
そしてその手も柏木の大納言そのもののようで、顔を上げた宮には月明かりの元で見る薫君が亡き御方に瓜二つであるということに気付いたのです。
なんとも異なこと、と慄かれましたが、薫君は源氏の院の晩年に出来た子というのでもしや秘された経緯があるのかもしれぬ、もしや薫君は己の出生に隠された秘密をご存知なのかもしれぬ、ふと宮にはそう思われましたが、口に出すことはありませんでした。
そう考えれば薫君の苦悩の一端が推し量れるというものでしょう。
この御方は親の業をも背負おうとしていられるのか。
宮は薫君が労しくて溢れる涙を止めることができませんでした。
「いや、なんとも年をとりますと涙もろくなりますもので。つい昔宮中にて楽を奏でたことなど思い出されましてねぇ」
そう目を伏せた宮を薫君はお労しいと思うのでした。
互いに本当の処を口に出すことはせずに思い合う師弟の姿がそこにあるのです。

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