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紫がたり 令和源氏物語 第百四話 須磨(十一)

 須磨(十一)

人というものは、何かすべきことを見出すと張り合いをもって前に進んでゆけるものです。
紫の上は源氏が須磨での暮らしを少しでも快適に過ごせるようにと手回りに必要なものや無紋の直衣、夜具などを整えさせました。
そうして人の目に触れぬようにと使用人たちに気を付けさせて須磨へと送り出しました。
もちろん使者には心をこめて書いた手紙を託しております。
「姫、きっと殿は喜ばれますわよ。何よりお手紙に慰められるでしょう」
「そうね。少将の君」
この女房はかつて「犬君」と呼ばれていた紫の君の遊び相手、あの元気な女童だった人です。
昔のお転婆ぶりはすっかり形を潜めて、すまし顔に女房などとお仕えしておりますが、今でも紫の上の側で相談相手のように親しくしているのです。
「姫、これからお勤めですか?」
「ええ、使いの者たちが無事に須磨に着くよう祈りを捧げるわ」
「たいしたものですねぇ。私、お経なんて全然意味もわかりませんもの。それにお経を読むのはお年寄りばかりで辛気臭くて・・・どうにも、ねぇ」
少将の君が辟易しながら首を傾けるので、紫の上は笑みをこぼしました。
「あなたの昔から変わらない良いところはそういう素直なところね」
「そうですか?少納言様には遠慮がない、って毎日お小言をくらって大変です」
「私を笑わせてくれたじゃないの。ありがたいわ」
「姫がそうおっしゃるなら、今度少納言様に胸を張って言い返します」
少将の君はそう言って嬉しそうに次の用事の為に紫の上の御前を下がりました。

近頃紫の上は毎日読経に勤しんでおります。
それは心に懸ることが多い証。
一人になるとあらゆる物想いが湧いてくるのです。
平安時代では身分の高い貴族は何人妻を持って良いことになっておりました。
源氏のように宰相にまで上る者は正妻さえ複数持つこともあるのです。
厳然とした男尊女卑が存在して、女人は男の所有物と見做される社会。
源氏だけではなく、世の男性は女の元に通うことを「恋」という言葉で誤魔化して多くの女人と契りを交わしております。
しかし妻という女の立場からすれば、それは紛れもない「浮気」。
源氏の相手の方々の噂が耳に入るたびに、紫の上の心は削られてゆくようでした。
いくら女人の立場が低くても、同じ人間なのですし、感情もあるのです。
此度の勅勘を蒙った罪というのも、元はといえば帝の寵姫と通じたことが発端です。
明晰な紫の上ですから、口には出さなくともそれが政事がらみの勢力争いであるというのは理解しております。
夫を表だって非難するようなこともけしてしませんでしたが、自分の意思では生きられない女人の辛さを思い知りました。
もしもこの物想いから解放されることがあるとすれば、その方法はただ一つ。
伯母の藤壺の入道の宮がされたように出家すること。
いつしかそのような考えが頭の隅に芽生えているのでした。
しかし、源氏がそれを許すはずもないことを紫の上が誰よりも知っております。
まるでそうした様々に湧いてくる思いを振り払うかのように、日々御仏に一心に祈っているのです。
そして必ず懐には、亡き祖母の尼君が愛用していた水晶の数珠を忍ばせておりました。
透き通った水晶は覗き込むと世界をまるで小さいもののように映し出します。
自分の物想いなど瑣末なことである、と慰められているようで、そして祖母に護られているような気持ちになり、自然と心が整ってゆくのでした。

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