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令和源氏物語 宇治の恋華 第四話

 第四話 光なきあと(三)
 
さても源氏の栄華の象徴であった六条院こそは明石の御方の為にこそ作られたものであったか、と世の人々が噂する通り、明石の中宮が為した子・孫たちはこの広大な六条院にて明石の上によって養われました。
他の夫人たちが終末へ目を向けているのに対し、明石の上だけは一族の要となり未だ息災であるというのは、この人の持って生まれた運の強さと亡き入道の徳とばかりに思われましょう。
 
二条院の新たな主人といえばあの紫の上が後を頼んだ三の宮。
美しく陽気な若君は、元服して兵部卿宮となられてからも変わらずにこの二条院にて過ごしておられます。
春になれば艶やかに咲く紅梅を「お祖母さまの梅」と愛で、その一枝を仏前に供えるのは紫の上が亡くなったその時から続けているのです。
兵部卿宮は堅苦しい宮中ではなく、この二条院にて伸び伸びと養育されたので、まるで太陽のように明るい気質に亡き祖父・源氏にも似た華やかな美貌から、当代一、二の貴公子として慕われております。
色好みのところも祖父・源氏に似たものか、それはもうたいそうなもてぶりなのです。
 
そして今一人当代きっての貴公子と言えばやはり薫君。
本当のところの血縁はさておき、薫が伯父で兵部卿宮は甥ということになりますが、この二人は年齢も近く、共に六条院にて育った仲なので親友のように睦まじくしておりました。
太陽のような三の宮と月の光のように穏やかな薫君。
まるで対称的な一対の絵のようにそれぞれの魅力が備わるこの二人こそ光なきあと世を照らす者たちともてはやされているのです。
しかし三の宮は自惚れが強く、我こそは、と思う節があるので、友であっても女人に人気のある薫が妬ましくてなりません。自らも同等に高い評判を得ているものをまだ足りぬとばかりにむきになって密かにライバル心を燃やしているのです。
何よりあの身から立ち上る不思議な香りが備わっているのが羨ましくて仕方がなく、こればかりは授かりものと諦めようものを、やはりなんとか薫と並びたいと切に願うのです。意外とまめな一面もある宮は勉強嫌いを返上し、香と名のつくものには何でも関心を示して多くを学び、それこそその道では並ぶ者のないほどにまで極められました。
庭の前栽にもそれぞれの季節で芳香の高い植物を植えさせて、もちろん自ら纏う薫衣香(くのえこう)は至高の逸品。
高貴に生まれついた風貌とあいまってそれは当代一と呼ばれてもおかしくはない存在となりました。
そんな二人の貴公子を世の人々は『匂う兵部卿宮(匂宮)、薫る中将』と呼び、女人ならば一度はお逢いしたいと願い、娘を持つ親ならばなんとか婿にできないものかと憧れるのでした。
 
 
匂宮が薫を羨むように、薫も宮を羨ましく思っておりました。
快活で笑顔の似合う少年が屈託なく太陽のような輝きを放つのが眩しくて、あけっぴろげで無邪気なのが心になんの憂いもないように思われたからです。側にいるだけで誰も彼もが笑んでしまう、そんな不思議な魅力に溢れていて、常に表情を変えない薫でさえもその年頃らしい少年の顔を垣間見せる無二の友であるのです。
匂宮は宮中にあっても気軽にどこへでも入り込み、知り合いも多く、薫が参内していると聞くと必ず部屋を覗きにやって来られます。
その日も薫が宮中行事の日程などを確認していると聞くや、いつものようにふらりと立ち寄りました。
「やぁ、やぁ。また渋顔で真面目ぶってからに。仕事をしているふりなどは見え見えだぞ、薫よ」
その遠慮のないもの言いに薫はさらに渋い顔をして見せてから、人の悪そうな笑みを浮かべて、親友に報います。
「なに、勤めのない君と違って宮仕えの身はいろいろと大変なのだよ」
「相変わらず辛辣だなぁ。仕事がないとは言ってくれる。まぁ、親王というのはそういうものだ。君、羨ましいかね?」
「開き直るとはまた呆れたものだが、私は退屈なのはご免だからね。あくせく地道に働いて宮仕えというものを楽しんでいるのだよ」
匂宮は薫の言うことなどは意にも介さず、どっかりと隣に座りこみました。
この二人は公では『中将』、『宮さま』と取り繕って呼び合っておりますが、他に人がいなければ『薫』『君』と砕けた気の置けない呼び方をしているのです。
「それより薫。此度入内された更衣付きの女房がなかなかの美人らしいぞ」
「君はいつでも女の話ばかりだなぁ」
「退屈で時間を持て余す親王には、それくらいしか楽しみはあるまいよ」
「まったく・・・。それで、本当のところ、そんなに美人なのかい?」
にやりと笑いながら話に乗ってくる薫の表情はまさに他の若君たちと変わらぬ十代の若者に違いはありません。
「それが他の公達がもう目をつけて文を贈っているらしいぞ」
「まぁ、見てみないことにはねぇ」
「またまた。余裕をかましているといつぞやのように片野の中将あたりに出し抜かれるぞ」
などと、これから先は女人には聞かせられぬような話ばかり・・・。
若い殿方にはこうした息抜きの場も必要ですので、私は口を噤むと致しましょう。
 
さておき、薫にとってこの宮がなければ人並みの若君らしい息抜きはできなかったに違いありません。二人は互いをライバルと認めながら高め合う、殿方の世界でしかわからぬような、得がたき存在。己れを高めるには重要な要素であると思われるのです。
薫中将と匂宮は表裏のように寄り添いながら互いに光を放ちあう不思議な縁の元に生まれたということでしょう。それが男の友情であるのか、永遠のライバルであるのか、果たして別の縁となるのかは計り知れぬ宿縁でありますが、二人が強烈に惹かれあったのは言うまでもありません。
ただこの今春を謳う人たちとしてみると、さすがに厭世的な薫君にも心浮くような兆しがあって然るべし。
それは薫君もお年頃。あちこちに恋人のような人はおりましたが、その忍び歩きが明らかになることはなく、通ったところがすべて露見してしまう匂宮とは違い実に卒なく世の目をごまかしているのです。
ただ一人と思いきれないのは未だ宿世の相手と巡り合っていないせいなのでしょう。それともいずれは世を捨てて仏道に邁進したいという強い願望があるからでしょうか。
薫君は空にたゆたう雲のようにとらえどころがなく、そうした素っ気ない振る舞いもまた女人達を夢中にさせるのでした。

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