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紫がたり 令和源氏物語 第八十話 賢木(九)

 賢木(九)

宮に受け入れてもらえなかった源氏は、やるせない心を引きずりながら二条邸へと戻りました。
道々にも、宮が私を不憫だとお思いになるまで絶対にお目にかかるものか、などと拗ねているのが、なんとも子供っぽい考えであることよ。
源氏の鬱屈した気持ちを紛らわせるもの、その救いはいつでも女人という存在です。
そうかといって西の対の紫の姫を訪れるのも複雑な心境です。
その姿は輝くばかりの日の宮と謳われたあの頃の藤壺の宮と瓜二つなのですから。
このような時ほどあの真っ直ぐな姫の情熱に触れて癒されたいものだ、と源氏は朧月夜の姫を想いました。
実はこの二人は姫が入内した後も関係が続いているのでした。
それはもちろん秘めたる密事、朧月夜の姫の元に仕える中納言の君という女房の差配あってのことです。
源氏は中納言宛に文をしたためました。
時はほどよく、内裏では五壇の御修法(ごだんのみずほう)が開かれております。
五壇の御修法とは、国家の祭事、宮中の中央及び東西南北に五つの壇を築いてそれぞれに五大明王を祀り、息災を祈る修法です。
帝は祭事に従事するために精進、潔斎して慎まれておられるので、女御達への御渡りはありません。
なんと畏れ多い所業でしょうか。
帝が国事を果たしておられるというその時に、寵姫を盗みに入るとは。
きっとこのようなことは御仏もお見逃しにはならないでしょう。

源氏は弘徽殿の局に導かれました。
弘徽殿は仕える女房も多く人目があるもので、中納言の君に案内されたのは奇しくも姫と最初に出会ったあの細殿なのが、また源氏の気分を高揚させるのか。
狭く板戸を一枚隔てただけのこの端近な場所が露見するのではないかと想像するだけでも空恐ろしい。
「あなたは帝とはどのような顔をして過ごしているの?」
源氏は少し妬ましく思いながら朧月夜の姫に問いました。
「意地の悪いことをおっしゃるのね。あなたを愛しているからこそ、このような危険を冒しているというのに」
つんと拗ねる様子がまた可愛らしいので、
「ごめん、ごめん。ちょっと妬いただけだよ」
などと、また姫を抱きしめます。
この密かな情熱を持った姫は今が盛りとばかりに咲き誇る牡丹のような女人です。
逢うといつでも夜が短くて、すぐに恋しくなるのです。
知られれば身の破滅が待っている恋であるのにやめられない、そんな背徳的なところが甘美な夢をみさせるのでしょうか。
源氏はこの姫に強く惹かれておりました。
しかし情け容赦もなく睦言も尽きぬ間に夜は明けるのです。
「宿直の者がここにおりまする」
などと、咳払いする輩は夜警に従事(つ)いていた者か。
女の元へ忍ぶ者達を追い立てるように声高にのたまうのは意地の悪いことですが、源氏ということが知られれば具合の悪いことになります。
「これは、はや退散するべきだね」
源氏が密やかに耳元で囁くと、朧月夜の姫が次にいつ逢えるものかと不安そうな瞳で訴えるのも愛おしい。

朧月夜:心からかたがた袖をぬらすかな
         あくと教ふる聲につけても
(夜が明けると教える声を聞くにつけても、別れが辛くて私の袖は涙で泣きぬれてしまうのです)

源氏:嘆きつつわが世はかくて過ごせとや
        胸のあくべき時ぞともなく
(あなたを見飽きるほどないほど愛おしいと想っているのに、別れなければならないことを嘆きながら世を過ごさねばならないことが辛いのです)

暁の朝霧に紛れて発つ君が、あまりにも朧月夜の姫に心を残していたからでしょうか。折悪く承香殿の女御の兄君が女の処からの帰路にて源氏を見て取り、そっと物陰に身を潜めて様子を窺っていらしたのは迂闊なことでありました。

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