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令和源氏物語 宇治の恋華 第百六十二話

第百六十二話 浮舟(二十六)
 
 水まさるをちの里人いかならん
     晴れぬながめにかきくらす頃
(宇治川のまさる水の里にいられる恋しい姫は如何にお過ごしであろうか。きっとこの雨続きの空を憂いているであろう。そればかりが気になって私の心も晴れぬのですよ)
 
美しい走り書きは薫君の性格を表すようにきっちりとした色紙に収められ、上品に恋心が詠み込んであるのが理性的であります。
そうでありながら端に密かに御身からの消息を心待ちにしておりました、としたためてあるのが可愛らしくもあることよ。
匂宮の文は心の思うままにこまごまと情熱的に書き記して結び文としてあるのがまったく対照的な二人であるのです。
 
どちらの殿方を愛しているのか。
それは浮舟にもわからぬところ。
侍従の君と右近の君は姫が匂宮に心を寄せていると考えているようですが、あの初めて薫君とお逢いした日に感じた永遠とも思われる安らぎ、存在を認められた喜びは何物にも代えがたい。
それでいて強く愛されたあの宮との数日は胸から消え去ることはない。
このまま身が二つに分かれてしまいそうなほどにどちらへの想いも拮抗しているのです。
ほんの少し前までは匂宮のことばかりを思い返し、夢にまでみていた浮舟ですが、もしもこの関係が薫君に知られれば、と生きた心地もしません。
それは不義を詰られる惧れよりも君に軽蔑されるやもしれぬ、という恐れ。
それが何よりも辛く感じられる浮舟なのです。
女心というものはそうそう簡単に測れるものではありません。
その心を染める色は一色(ひといろ)ではなく、紅があれば藍もある、その重なる部分は紫にもなり、色合いもそれぞれ微妙に違うのです。
「姫さま、まずは人目に立たぬよう匂宮さまへのお返事をしたためられては如何でしょうか」
賢しくも進言する侍従の君の言葉を姫は辛く聞く。
「お返事は書きません」
それを侍従の君は照れているのだと匂宮への傾倒と考える。
浮舟が薫君に返事を書こうと硯を引き寄せるとその下に忍ばせていた匂宮が描いたあの寄り添う男女の絵がはらりと御前に舞い落ちました。
その絵を見てどうして宮を想わずにはいられよう。
私を思い出しておくれ、といったあの優しい御言葉が耳元に甦り、浮舟は心が裂かれるほどに痛くて涙を禁じ得ない。
耐えかねて宮を想って歌をしたためました。
 
 かきくらし晴れせぬ嶺の雨雲に
      浮きて世をふる身をもなさばや
(峰に漂う雨雲がいつかは消え失せるようにこの身も何も感じぬように消えてしまえばよいものを。薫君に迎えられたらば、たとえ生きていても御身に今生でお逢いすることは叶わなくなるでしょう)
 
侍従の君はその浮舟の書き捨てたものを匂宮へと贈りました。
それを読んだ宮は、もしもこのまま裂かれたら浮舟は薫に引き取られた後も密かに心の隅でも私を恋しがって泣くのであろう、としみじみと姫が物思いに沈む姿が目に浮かぶようであり、それが不憫でおいおいと泣いてしまうのでした。

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