紫がたり 令和源氏物語 第四百十九話 夕霧(二十二)
夕霧(二十二)
宮はとうとう大将がここまで来られてしまったと動揺されました。
いつまでもこのようなことでどうにもならないとは覚悟しておりましたが、自ら塗籠を出るのではなく、手引きする女房がいるとは情けなく思われるのです。
夕霧はいつもとは違う張りつめた空気で静かに座っておりました。
「私がこのような振る舞いをして不躾とお怒りでしょう。宮さまが本当に私をお厭いであるならばもう御心を煩わせることは致しませんので、最後と思ってお聞きください」
夕霧は薄暗い中でまっすぐに宮を見つめて言いました。
「宮さまは私をお嫌いですか?」
宮はその突然の問いに答えることが出来ませんでした。
「初めは亡き柏木との友誼ゆえに宮さまを心からお世話しようと勤めました。それに偽りはございませんが私はいつしか宮さまの慎ましさ、お優しい御心、嗜みの深さに惹かれたのです。尊い御身を娶ろうなど分不相応であることは承知しておりましたが、宮さまに恋をして自制ができなくなりました。御息所には大変申し訳なく、御心を煩わせないようにと取った行動が裏目に出たのは不徳の致すところでございます。これが私の思う処のすべてでした」
宮は夕霧のその嘘偽りのない言葉を聞きました。
静寂(しじま)に木霊する響きが乾いた大地が水を吸うように心に沁み入るようで、真の言葉こそが心に届くのでしょう。
夕霧には無限とも思われるほどの時でありましたが、宮の御心はゆるゆると解きほぐされてゆくのでした。
それは乾いた大地が恵みを受けて潤ってゆくように。
「わたくしはあなたにそれほど想っていただけるような者ではありません。亡き柏木の君もわたくしの至らなさに失望されておられました」
宮のか細い御声は耳が洗われるほど尊く夕霧には聞こえました。
「私はけしてそのようには思いません。どうか私を信じて共に新しい人生を歩みましょう」
夕霧は宮のお側に寄り、朝の光でその美しくもなまめかしい御顔を見つめました。
「このように美しい人をどうして思いきれましょうか。あなたを得られれば他に多くは望みません」
見つめ合う二人にはもう何の隔てもなく、宮は心の隅で柏木の父君などが知ったならばなんと責められるであろう、と思いつつも、もう夕霧を拒むことは出来ないのでした。
新婚の朝といいましても喪中ですので華々しく祝うこともできません。今はもう宮も塗籠を出られて御座所にて夕霧といらっしゃいます。
女房たちは気を利かせて服喪の丁子染めの御几帳や鈍色の御簾などが見えないよう屏風で覆い、沈香木の二階厨子などで部屋を飾りました。
そして自分たちも祝福の意を表すべく派手ではない山吹襲や濃い紫の艶やかな装束に改めて食事の給仕などを始めました。
夕霧はようやく宮への想いが実ったので幸せな気持ちでいっぱいです。
交わす目と目には自然に笑みがこぼれて初々しく、宮も打ち解けられて、夕霧が話しかけるのに控えめに答え、新婚らしい空気が一条邸に溢れるのでした。
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