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紫がたり 令和源氏物語 第二百二十七話 胡蝶(二)

 胡蝶(二)
 
六条院の春の庭には舟を何艘も浮かべられる巨大な池が造営され、中宮の住まわれる秋の庭へと続いております。
ちょうど庭の境に大きな築島で隔ててありますが、双方の庭はどちらの池からも行き来できるようになっているのです。
中宮付きの若い女房達は美しく着飾り、春の庭から差し向けられた小舟に乗り込んで、春の御殿へ訪問することとなりました。

唐風に飾った小舟の船頭は同じく唐風の衣装を纏い、みずらに結った愛らしい唐子のような二人の童たちです。
「さぁさ、みなさま。どうぞお乗りください。春のお庭までご案内致します」
右と左に役割を分担して器用に小舟を操る様子も愛らしい。
女房達はわくわくと、まるで夢の国に向かうような心持ちで楽しげに舟に乗り込みました。

普段秋の御殿から眺める庭は小舟から見るとまた一風違ったように思われます。
「あら、こちらの岸には薄にまぎれて竜胆が植えてありましたのね。風流ですわ。秋になれば咲き誇りましょう」
「本当に。今は菫の紫が可愛らしくて春を感じますわね」
などと、感嘆の声を上げております。
ほどなくして庭の境である築島に差し掛かると、唐子たちはまた器用に舵を漕いで春の池へと小舟を旋回させました。
そして、開けた視界の艶やかなこと。

同じ築島の反対側には山吹が湖面に零れるほどに咲き乱れ、そよそよと枝垂れる柳の鮮やかな緑が清々しい。
すでに盛りを過ぎているはずの桜が水面に花を散らし、あちらの釣り殿の近くには色鮮やかな藤の花がみっしりと房を垂らしているのも、なんとも優美です。
ところどころに霞がかかり、まさにこの庭は春そのものを留めたような別世界なのでした。
同じく浮かぶもう一層の唐舟には色とりどりに着飾った春の御殿の女房達が嬌声をあげて景色を愛でているのも天女かと眩しくて、まるで仙境ではないかと思われるほどに美しいのです。秋の御殿の女房達はうっとりとその光景に目を奪われました。
「ねぇ、ここは噂に聞く仙境ではないのかしら」
「そうねぇ。きっとそうに違いないわ」
それぞれ思うままに歌があふれてきます。
 
 風吹けば浪の花さへ色みへて
     こや名にたてる山吹の崎
(風が吹くと水面に山吹の黄金が広がってゆくように見えて、これがあの名だたる山吹崎というべき美しさよ)
 
春の池や井出の河瀬にかよふらん
      岸の山吹そこも匂へり
(この春の御殿の池は井出の河瀬まで続いているでしょうか。岸に山吹が溢れ、その花びらを含む水底も山吹が薫るほどに思われます)
 
 龜の上の山もたづねじ舟の中に
     老いせず名をばここに残さん
(亀が背負うといわれる蓬莱島をわざわざ訪ねるまでもないでしょう。ここに仙境はあるのだから、この舟の中で不老不死となりましょう)
 
 春の日のうららにさして行く舟は
      棹のしづくも花ぞ散りける
(春のうららかな日差しの中を漕いでゆく舟は、滴る棹の雫さえまるで花のように散っている。なんとも眩しい光景でしょうか)
 
あまり深い意味など考えない若い女房達なのでしょう。
それもまた眩しいばかりの一興。
心のままに詠む歌もまた無邪気で微笑ましい春の一場面なのでした。

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