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紫がたり 令和源氏物語 第九十二話 花散里(二)

 花散里(二)

源氏の側近・惟光は源氏とは乳兄弟の間柄であり、幼い頃からお仕えしてきた君を敬愛しています。
そしてこの男ほど源氏の恋愛事情に通じている者はおりません。
この中川のほとりの女のように一度逢っただけでも心にかけているところが、源氏の優しいところなのですが、他の貴公子達のように打ち捨てておけばお悩みも減るのになぁ、などと惟光は主の心配をしております。
しかしそんな源氏の君だからこそ慕わずにはおれないのです。
源氏は女人だけではなく、絆(ほだし)のある方々に礼を尽くし、家臣も大切にする情の厚い優れた人なので、この御方の為だったら命を賭けてもよいと惟光は懇切丁寧にお仕えしているのでした。

ほどなくして女御のお邸に辿り着きました。
人が少なく、ひっそりとした感じが物悲しい佇まいです。
本来ならば朝廷が女御まで勤められた婦人にそれなりの御封(みふ=禄)を与えて暮らしを保障するべきですが、あの弘徽殿の大后は入道の宮(=かつての藤壺の宮)からすべてを取り上げられてしまわれるくらいなので、他の后達にも冷淡なのです。
源氏の財力で細々と簡素な暮らしをされている女御が哀れでなりません。
橘の白い花がはらはらと落ちる様がしっとりとした風情を増しておりました。
女御はお元気そうで、院がいらした時のことなどとりとめもなく話すうちにも、父院が懐かしく思われて、心から父を悼んでくれる人がここにもあったなぁ、と源氏は嬉しく感じ、もっと頻繁に女御をお見舞いするべきであったと悔やまれます。
話は尽きることもなく、やがて月が昇りました。
「おや、ほととぎすが鳴いているようですね」
先程の時鳥が私を追ってきたのだろうか、と源氏は思いながら詠みました。

 たちばなの香をなつかしみほととぎす
        花散里をたづねてぞ訪ふ
(橘の花の香りを懐かしんで、ほととぎすが花散里を訪ねて鳴いています)

女御はうっすらと微笑まれると返されました。

人目なく荒れたる宿はたちばなの
     花こそ軒のつまとなりけれ
(訪れる人もなく荒れた私の邸には橘の花(妹姫)が御身を誘うつま(種)となりました)

その歌の詠みぶりが慎ましくて奥ゆかしい。
生活を世話してくれる源氏への感謝の念も込められております。
女御の人となりを表しているようで、父はこの御方に安らぎを感じていたに違いないと懐かしく思われるのでした。

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