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紫がたり 令和源氏物語 第二百二十九話 胡蝶(四)

 胡蝶(四)
 
春の宴の翌日は秋好中宮が主催する御読経の初日なのでした。
多くの貴族達がそのまま参加するので、春の御殿にて控えの間を用意し、秋の御殿へ参上できるようにと束帯へ着替えられるようにしてあります。
源氏ももちろん参加するので、邸奥にて支度を整えておりました。

紫の上は中宮様が催される法会にて、御仏に花を奉るという大切なお役目を任されたことで早朝から忙しくしていたようです。
それは、心から御仏のために。中宮様の功徳が御仏に届くように、と趣向を凝らしてるのでした。
「どのような趣向を思いついたのだね?」
源氏に問われても紫の上は、あとでお分かりになるでしょう、と謎めいた笑みを浮かべて秘密にしています。
それは楽しみな、と源氏も正午を目途に秋の御殿に参上しました。
 
殿上人がずらりと御堂に着座し、静かに読経が始まりました。
どなたも昨晩の宴とはうって変わって神妙な面持ちで御仏に祈りを奉げています。
中宮様のお人柄をそのまま表すような荘厳さでこれでこそ御仏の慈悲も得られようというものです。
花を奉る頃合いになると、庭先から二艘の舟が現れました。
鳥と蝶の装束を身につけた八人の美しい女童が花を携えて乗っております。
鳥のいでたちの童女の手には銀の花瓶に桜が挿してあり、蝶のいでたちの童女の手には金の花瓶に山吹が挿してあるものが艶やかです。
春の庭先から届けられた花はどれも見事な花房を選ばれたようで心が尽くしてあります。
舟が岸に着くと、女童たちは正面の階にいる行香の役の人に花を委ねて、鳥の舞と蝶の舞をひらひらと舞い始めました。
折しも鶯が誘われるように鳴きはじめたのがなんとも雅やかです。
その様子が愛らしく、中宮様が微笑んでおられると、御簾の傍らに夕霧の中将が控えて紫の上からの文を差し出しました。
 
花園の胡蝶をさへや下草に
   秋まつ蟲はうとく見るらん
(美しい花園に飛ぶ胡蝶でも秋に心を寄せるあなたさまにはつまらないと思われるでしょうか)
 
中宮様は去年の秋に贈った歌の返事であると思うとにっこりと微笑まれました。
中宮という重いご身分は不便なもので、なかなか気軽に出歩くというわけにはまいりません。おなじ六条院の中でも心安く行き来するのははしたないのです。
昨日の春の宴も本来ならば中宮様をお招きしたいところでしたが、中宮様はせめて側の女房たちを春の御殿へ遊びに行かせたのでした。
側近くの女房は昨日の宴を思い出しながら、
「春の御殿はそれは素晴らしいものでしたのよ。ちょうどこんな感じでわたくしたちも登場いたしました」
そう嬉しそうにはしゃいでいます。
紫の上は中宮様の元に春を運んで喜んでいただこうと思い、このような趣向を凝らしたのでした。
その気持ちが伝わったのでしょう。
中宮様から紫の上へ返歌が届けられました。
 
こてふにも誘はれなまし心ありて
    八重山吹をへだてざりせば
(八重山吹の隔てが無ければ、この心は胡蝶のように春の御殿に飛んで行けるのですが、宴に出られなかったのは本当に残念でございました)
 
中宮様は遣いの女童たちに褒美として細長を与えました。
鳥の女童には桜のものを、蝶の女童には山吹を。前もってご用意されていたものがまるで紫の上と心が通じていたようで、ことさらに素晴らしく、六条院の方々の仲の良さは、まこと天上の尊き方と思われるご様子なのでした。

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