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紫がたり 令和源氏物語 第百三十一話 明石(十八)

 明石(十八)

都では、本当に神意であったと思われるように、源氏赦免の宣旨が下るとあれほど続いていた長雨がぴたりと収まりました。
表だってご政道を批判はできないので、世の人々はやはり、と陰ながら噂し合いました。
弘徽殿大后はやはりその行いが覿面の罪を蒙ったのか、御身は重い病に蝕まれておられました。一時は大変ご重篤とも噂されましたが、宣旨が下ってからは回復の兆しも見られるようです。
帝の眼病もどうやら復調に向かっておられるとのことで、世の中はまた平穏な日々を取り戻してゆくようです。


源氏が難波津に着いた頃、先に出立していた共人が二条邸の紫の上に源氏帰還の報せをもたらしました。
二条邸は喜びで一気に明るさを取り戻し、みな涙に咽んでおります。
この辛い三年がいよいよ終わりを告げる、ということに感慨もひとしおなのでした。

紫の上はうっすらと紅を刷いておりました。
無限に感じるほどの長い時を暗闇に惑うていたような気がします。
源氏が戻ればすべてが元のようになるのであろうか、それとも闇はさらに深まるのであろうか、これほどの経験をして、もはや大きな力に抗おうとは思いませんが、まったく先は見えないのです。
そう考えるようになった自分は変わってしまったのではあるまいか、源氏が以前のように愛してくれるのかと不安が募ります。
それはやはり心の奥底に明石の君のことがわだかまっているからなのでしょう。
「少納言、殿とお別れしてからわたくしは変わったかしら?」
紫の上は傍らに控える乳母(めのと)に問いかけました。
その振り返った仕草で流れる髪のつややかな美しさ。
長いまつ毛が愁いを帯びている目元の匂やかなこと。
源氏と離された愛ゆえの苦しみが姫にえもいわれぬ色香を与えたようです。
少納言の君は、我が姫ながらこれほど麗しい御方は他にはおられまい、と感嘆の溜息を漏らさずにはいられません。
「はい、立派な二条邸の女主人となられました」
少納言の答えに紫の上は寂しそうな笑みを浮かべました。
気を強く保ち立派に邸を守ってみせようと、戻った源氏に愛しんでもらえるように、そう何くれと心を砕いて日々を送ってきました。
殿も同じ想いで過ごしているとばかり、信じて疑わなかったものを・・・。
明石の浦で夢をみたと源氏はいいましたが、その夢に自分が映ることはなかったのだと思うとこれまでの愛情も疑う気持ちが大きくなります。

ああ、わたくしは嫌な女になってしまったわ。
せめて殿に嫌な思いをさせないように心掛けなければ。

そう思いやる紫の上という女人の情け深きこと、源氏の君はきっとこの優れた人の心裡を知ることはないでしょう。
女人の心にはいくつもの小箱があるのです。
物思いのひとつひとつをそこにしまい、心の奥底に沈めて、表には出しません。
世に優れた人といわれる御方には、それこそ無数の小箱があるのでしょう。
暮れてゆく秋の陽をぼんやりと眺めながら、紫の上は物思いをひとつ忘れることにしました。

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