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紫がたり 令和源氏物語 第四百四十ニ話 幻(十一)

 幻(十一)
 
紫の上の一周忌はもう目前。
この一年はこれまでの人生のうちでもっとも早く過ぎたものでした。
そしてもっとも色味のない一年であったといえましょう。
人は心を置く場所がなければ空しくもろいものでございます。
源氏にとって心を置くところとはまさに紫の上の掌、それを失って心は中空を漂うばかり。
いっそ上のいるところまでこの心が飛んでゆくことができればよいのに、と願わずにはいられない源氏ですが、今しばらくは気を保って上の供養に勤めなければなりません。
それが最後まで出家を許さなかったことへのせめてもの償いなのです。
法要の段取りなどはすべて夕霧に任せたもので、源氏はこまごまとした仏前の道具などを整えました。
上であったらこのようにしたであろう、と偲びながら、華美ではない上質な品々に花は白菊というシンプルなもの。
今回の主役となるのは上が描かせた極楽曼荼羅ですから、仰々しく飾りたてないほうが場が締まるというものでしょう。

そうして紫の上の命日が訪れました。
よくもまぁ永らえたこと、と上のいない一年を振り返る源氏はこの日こそ誰とも面会する気もなく、静かに紫の上を偲ぼうと考えていたもので、鈍色の厚い御簾の内に引き籠っておりました。
この側に寄れるのは夕霧のみ。
一年経つことから源氏がその姿を現すのではないかと期待していた上達部や親王方は残念に思いましたが、紫の上のことを大切に思う気持ちが痛いほどに伝わってきて、みな神妙な面持ちで法要に臨んでいるのです。
紫の上が絵師に描かせた曼荼羅には中央に阿弥陀如来、左右には観音菩薩と勢至菩薩が描かれておりました。
その周りには数多の仏たちが集まり、天には蓮の花を手にした飛天が描かれ、仏たちの表情がみなそれぞれに徳を表しているようなのが何ともありがたく感じられます。
厳かながらも上の人柄を表すように優しく艶やかな色遣いで仕上げられ、その見事さに集った者たちは感動の涙を流しました。
夕霧もその出来映えの素晴らしさに感嘆の声をあげました。
「紫の上さまの信仰の深さと御仏を敬う尊い志が感じられる絵でございますね。きっと今はあのような眩しい世界におられるのでしょう」
「うむ」
源氏は御簾の向こうから短く言葉を返しただけでした。
しかし夕霧の言わんとすることは誰よりも源氏こそが強く感じていたことでしょう。
僧侶たちの唱える経が堂内に木霊して、香が馥郁とたちこめる中で、夕霧の幼い若君たちが色とりどりの花びらを撒いて歩きました。
その姿があまりにも可愛らしく、源氏は誰よりも無垢な子供を愛した上が喜んでいるであろう、とうっすらと笑みを浮かべるのです。

傍に控える紫の上に親しんでいた女房の中将の君の白扇には上を慕った歌が書かれているのを、源氏は取り上げて眺めました。

君戀ふる涙はきはもなき物を
   今日をば何の果てといふらん
(紫の上さまを慕う涙際限なく溢れるのに、一周忌で一区切りとは、今日は何の果てだというのでしょう)

源氏は筆を持たせるとその扇に書き添えました。

人戀ふるわが身も末になりゆけど
     残り多かる涙なりけり
(わが身も儚くなろうというこの人生の黄昏時にある者がいまも紫の上を恋い慕って涙が尽きないのです)

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