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令和源氏物語 宇治の恋華 第百三十六話

 第百三十六話  親心(十三)
 
匂宮の振る舞いを聞きつけた母・常陸の守の北の方はとんでもないことと急ぎ二条院へとやって来ました。
このままここに置いて宮の姫が穢されては薫大将と娶わせるなど夢のまた夢と消えるように思われたからです。
すでに口さがない女房たちの噂にのぼっておれば、遠くない将来に薫君がそれを耳にすることもあろうかと思うと、たとい潔白であっても宮の姫を二条院には置いておけません。
「賤しい身でありながら、それを顧みずに中君さまのお手に縋ろうとしたあさましさをどうかお許しくださいまし。姫も幼く無分別でありましたでしょう。わたくし共は失礼させていただきますわ」
慌ただしく姫を引き取ろうとする北の方を見て、すでに匂宮の無体な振る舞いが耳に入ったかと恥ずかしく思う中君ですが、どうにも北の方を留めることが出来ないようで残念に思いました。
「それではせめて女房の右近をそちらに仕えさせましょう。しっかり者ですし、姫とは仲良くなったようですから是非に」
「ありがたいことですわ」
姫の周りには気の利いた女房がおりませんのでこれ以上の申し出はありません。
「どうか姫が幸せになりますように」
「中君さまも恙なくお過ごしくださいませ」
そうして別れを惜しむ間もなく姫君は二条院を後にしたのでした。
北の方は姫を迎えに来ましたが常陸の守の邸には帰る場所はありませんので、以前から手に入れていた三条辺りにある小さな住まいに姫を移しました。
洒落た邸ではありますがまだまだ普請の途中で飾りつけもなされておらず、屏風と几帳で御座所をこしらえた即席の造作です。
「まだ整っていないので不便かもしれないけれどしばらくの間は我慢してくださいましね」
「大丈夫ですわ、母上さま。充分暮らしていけますもの」
北の方は健気に微笑む愛娘のいじらしさに涙をこぼしました。
「それにしても恐ろしい目にお遭いになったのねぇ。必ずこの母が御身を幸せにしてさしあげますからね」
「母上さま」
かわいい姫を慰めながら、今更ながらにこの姫を認めなかった八の宮さまが恨めしく、高貴な身分であるからと姫を見下して力づくで自分の物にしようとした匂宮が憎くてならない北の方です。
それにつけても思い起こされてならないのはあの薫君の立派なご様子です。
姫への求婚も伝手を辿ってこちらの気持ちを解すように申し込むその心遣いが誠実に思われ、この姫を大切にしてくださる方は薫君をおいては他にはいまい、と決意を新たにしたのでした。
そうかといって薫君にこちらから姫の居場所をわざわざ知らせるのもあからさまで品がなく、仮にも宮の姫なればただ薫君の前に身を投げ出させるような真似はできません。
二条院の中君に知らせれば匂宮に姫の所在が露見する可能性もありますので、ここはやはり弁の尼を通じてそれとなく薫君に伝えようと思案する北の方なのでした。
まったく北の方の迅速な行動はまさに的確な判断であったと言わずにはいられません。
中宮のお加減が良くなったとみるや匂宮は急ぎ二条院に戻り美しい姫の姿を探したのは想像に難くはないでしょう。
すでに姫の姿は無く、中君に何処へ姫を隠したのかと詰め寄る始末。
「あなたがこんな意地の悪いことをするとは思いませんでしたよ。あの姫を何処に追いやってしまったのです?」
「わたくしを恨む筋ではございませんでしょう。物忌みの為に預けた大事な姫君にとんでもないこと、と母君が引き取っていかれたのです。御身の情けない醜聞をあてこすられて辛い思いをしたのはわたくしですわ」
「それではせめてどこの姫なのか教えておくれ」
「わたくしが母君にまた恨まれることでしょう」
中君はあの姫が妹であることは告げませんでした。
いずれ宇治の方々などを辿って姫の所在が知れるのを恐れたからです。
「あなたがそんなにわからずやの人とは思わなかった」
そう臍を曲げる匂宮を中君は冷めた目で見つめました。
 
いつまでも子供のようにだだをこねる真の愛も知らぬ人。
この愚かな人がわたくしの夫であるのだ、と惨めに感じるばかりなのでした。

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