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紫がたり 令和源氏物語 第百三十二話 明石(十九)

 明石(十九)

翌日の月が昇る頃、源氏は都の風を懐かしく感じておりました。
どこからか流れてくる笛の音もすぐそばに人がいる温かさが感じられて、冴えた月の明かりさえも優しく感じられます。
帰ってきたのだな、と従者達の顔も安堵で明るいものです。
以前と比べて日に焼けた面々は逞しくなったようでした。
「殿、二条邸が見えましたぞ」
惟光の嬉しそうな顔につい笑みがこぼれる源氏の君です。
二条邸は源氏を迎え入れる為に灯りを多く灯して、昼のように明るく輝いているのでした。

「紫の上、戻ったよ」
源氏は最愛の人の名前を呼びました。
几帳の陰からにじり出てきたその人は、目に涙を浮かべながら優しく微笑んでおりました。
「お帰りなさい、あなた」
その清らかな美しさは目を洗われるように尊く感じられます。
よくも長い間この麗しい人を見ずに過ごせたものだと源氏は涙をこぼしました。
「もう二度と離れはしまいよ」
二人は喜びで固く抱き合ったのでした。

源氏が都に戻ったと聞くと、朱雀帝は早速参内するよう促し、元の官位からさらに昇進した大納言の位を与えました。
久々の出仕の日、源氏は身分相応に濃紫の直衣を身につけました。
辺境の地で勤行に明け暮れたせいか面はほっそりとしましたが、重々しい色の直衣が却って容色を際立たせるようです。
参内するとそれまで太政大臣や大后によって引き立てられていた者達はこそこそと物陰に隠れるように道を空けていきます。
君の輝くばかりの美貌に気圧されて、疾しい心をもってしては正視できないのでしょう。もはやこの君には肝の据わった風格のようなものが備わっているもので、なまなかな気持ちでは渡りあえないというのを悟ったのかもしれません。

久しぶりにお会いした帝はご病気でやつれておられましたが、眼病はすっかり癒え、源氏の姿を見ると明るい笑顔を取り戻されました。
「源氏よ、ここに来て兄に顔を見せておくれ」
帝は源氏の手を取り、涙を浮かべながら辛い思いをさせたことを詫びました。
「帝に私の潔白を信じていただけたことがありがたく、そのように仰せになられるのは身に余るものでございます」
兄帝が懐かしく、恨む気持ちなどはありません。

兄弟は打ち解けて、今や帝は源氏が頼りと始終内裏にお召しになります。
世の人々も再び都に“光り”が甦ったと、ことあるごとに君の様子を褒め称えております。
弘徽殿大后だけは源氏が戻ったことを口惜しく思っておられましたが、思いもよらず源氏が大后を気にかけて、なにくれとお見舞いをさしあげるので、憎しみは薄らぎ、心安らかな日々を送られるようになりました。
源氏は父院が目の前にお立ちになり、仰ったことを噛みしめておりました。
思えば大后の自分に対する恨みもひとえに父院への愛ゆえのこと、気性の激しい女性ではありますが、今は患っておられることもあり、いたわしく哀れに感じられるのです。

こうして須磨、明石と流離った源氏の不遇な時代は終わりを告げたのでした。

次のお話はこちら・・・

ラボオシリス①


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