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紫がたり 令和源氏物語 第三百二十一話 若菜・上(十五)

 若菜・上(十五)
 
朱雀院が御出家され、お仕えしていた女御や后たちはそれぞれの実家に戻られました。一番の寵姫、朧月夜の尚侍は朱雀院の後を追って出家する所存でしたが、未だ女盛りの美しい御姿を変えられるのを惜しんだ院はそれを許しませんでした。
いずれは仏門に帰依しようと心を固めながら、二条にあるご実家へ戻ったのです。
そうと聞いてじっとしていられなくなるのは源氏の悪い御癖でしょう。
今や准太上天皇という重い身分であるので、人知れず季節の折には文を交わしてはおりましたが、どうにかして会えぬものかと落ち着かないのです。
朧月夜の姫はあの弘徽殿大后の妹君、この恋は敵同士ともいうべき間柄から始まったものでした。
それはまだ朱雀院が東宮の時代、姫は后がねとして大切にかしずかれていた折に二人は出会ったのです。
桜が月に霞む美しい幻想的な宵でした。
若々しく情熱を秘めた姫は源氏を虜にしたのです。
たといそれが破滅を導くものだとしても抗えずに姫を盗んだのでした。
源氏の心は遠い懐かしい想いで満たされ、昔手引きをしてくれた中納言の君へその旨を訴えておりました。
しかし中納言の君はもう尚侍の元を辞しております。
その兄である和泉前守(いずみのさきのかみ)が姫の邸の家人として勤めておりましたので、源氏はその人物を呼び寄せて姫への手紙を託しました。
「せめて御簾越しにでもお話できないだろうか。私はこのような身分になってしまったので、よくよく秘して事を運ぶのだぞ」
和泉前守は機転の利く男なので、姫が一人で端近にあるのを見計らい、源氏の文を差し出しました。
朧月夜の姫がたいそう驚いたのは言うまでもないでしょう。
世間の辛い目に晒されて、長い間源氏に放っておかれたこの身に今更何の用かと憤りを感じるばかりです。
亡き父が右大臣であった時に姫を正式に北の方に迎えるよう打診した折にはうまくはぐらかされて、姫は心を痛めながら朱雀院の元へ入内したのです。
それからも何食わぬ顔で逢瀬を重ねて、源氏が須磨へ追いやられるという事件が起こったのですから、よい思い出とは言えないでしょう。
今の姫は朱雀院の穏やかな愛にほだされて、院に対して誠実でありたいと願い、若い頃の無知な振る舞いを恥じているのです。
源氏が今さら訪れたとしてそのまますんなり帰るとも思えません。
見縊られているようで不快でもあるのです。
「源氏の君の薄情な仕打ちをわたくしは忘れておりません。人知れずとあればよそへ漏れることもないでしょう。しかし裏切りはわたくし自身が知っているのです。もう二度と過ちは犯しません」
きっぱりと言い切った朧月夜の姫ですが、会ってしまえば再び心が揺らぐのが恐ろしいのです。
源氏は姫のつれない返事を聞きましたが、やはり会いにいかなければこの恋は終わることができない、と決意します。
その瞳には紫色の情念、深い翳りが宿っているのでした。

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