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コナン映画宣伝炎上の裏にあった、業界全体のコンテンツ消費の変化

副題:コアなファンに向けた作品作り復権の可能性はあるか。


今年のコナン映画では、前売り券を買って理想の花嫁に投票しよう!という公式の企画が炎上し中止・謝罪に追い込まれました。

ジェンダー観点で外野からあれこれ議論が巻き起こりましたが、古参ファンの一意見としては
ブロガー・徳力氏のこの総括が極めて的確な指摘だと思っています。

この炎上は一見すると、最近増えているジェンダー文脈での炎上のように見えますが、劇中で花嫁になるキャラが決まっているのに、なぜわざわざ「理想の花嫁」を別で選ぶのかなど、コナンファンからの批判が多かったことが企画が中止し謝罪することになった背景にあるようです。

広告やキャンペーンを実施する際には、当然既存ファン以外の新しい顧客がターゲットになりますが、その広告やキャンペーンが既存ファンの心証を害したり、ファンがガッカリするようなことをやってしまっては本末転倒といえるわけです。

テレビ東京「お詫び広告」に学ぶ、広告が炎上しやすい時代の「広告」の価値

今回の映画において、いかに今回のマーケティングが炎上以前の段階で
「人気の新規キャラ&ファンへの宣伝を重視するあまり、既存キャラ&ファンを蔑ろにしてるのでは?」
と不信感を爆発させ、既存ファンにマイナスの心象を抱かせていたかは、前回記事で背景事情や当時の心理を書いたので割愛します。

上記記事内で言及していますが、炎上に至った現在のコナンマーケティング路線は、2015年のサンデー危機に際して編集長となった市原氏が打ち出したもの。

このような【長期作品のテコ入れを図った結果、新規路線と旧路線でファンの軋轢が起こる】先例は過去にも山のようにあります。

今回の件も、そういう今までもあったよくある例だとも解釈できます。


ただ、一方で長年のファンとして。
いや、あるいは20数年ばかりアニメや漫画・ゲームにハマっていたオタクとして。
コナンのみならず近年の作品作りに対する時代の変化、あるいはそれに対する世間の反応に対しての違和感があり。


これを、ライター:稲田 豊史 氏による著作
【映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~】
が、見事に解説していました。

思わず本書を読み切った後に「つれぇ…」と言葉を漏らしてしまうほど。


今回はコナン映画の炎上に至る【新旧路線の軋轢】だけではない、業界全体のコンテンツ消費のあり方や時代背景に関して、
自分の所感と本書(および本書の原案となったネット記事)の指摘事項を照らし合わせて思うところを述べたnoteです。

共感強制力の結果としての人気?

私が近年の爆発的なコナンブームに対して、昔とは全く質が違うのではないかと感じたのは、
新キャラのブームが増大するにつれて、コアなファンが増えた以上に
単純に「友人がハマっているから自分も話題に乗るために参画している」人が多いのではないか・・・
そんな直感を覚えたからです。


別ジャンルで例えるなら、鬼滅の刃は随分前から漫画好きオタクの間では面白いとジワジワ人気な作品だったけど、無限列車編の映画ヒットで一気に新規ファン層の流入が起きて何かが色々と一変したのに似た感覚、みたいな・・・。


その直感が、本書およびその元となった記事で言語化されていたんです。

LINEグループの“共感強制力”

大学の講義や就活イベントなどで現役大学生と触れ合う機会が多い森永真弓氏(博報堂DYメディアパートナーズメディア環境研究所)によれば、若者のあいだで「仲間との話題に乗れることが、昔とは比べ物にならないほど重要になっている」という。

「Z世代と呼ばれる大学生を中心とした若年世代にとっては、仲間の和を維持するのが非常に大事。とにかく共感しあわなければいけない。“共感強制力”がすごいんです。スルーはできません」(森永氏)

(中略)

しかも、LINEグループは1つや2つではない。大学の友人だけで複数。そこにサークルやバイト先。さらに高校時代や中学時代の友人。なんなら小学校時代の友人までが、LINEグループで永遠につながりつづける。

(中略)

「それぞれのグループから『これ、観たほうがいいよ』と作品を薦められる。自分の好みや興味として欲望を持って観るのではなく、各グループの和の維持を目的として観るのだとしたら、そりゃあ早送りでもしないと、こなしきれませんよね」(森永氏)

「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由

一度人気に火がついた話題作・キャラについて、人気なので、友人が話題にしているので、だから見る。いいねと推す。

いわば人気の同調圧力というべき現象は昔からありました。
ただ、それが極めてパワーアップした状態になっているのか昨今のブームなんじゃないかと。

どうしてこの現象がパワーアップしてしまったのか。その原因を本書ではこう指摘しています。

もちろん、話題作をコミュニケーションツールとして使う傾向は、今にはじまったことではない。
「観ておかないと、学校や職場で話題の輪に入れない」作品は、昔からあった。

ただ、かつて若者が友達と触れ合うのは、教室だけだった。教室を出たら逃げられた。我が道を行くことができた。
しかし今は、LINEがどこまでも追いかけてくる。逃げられない。常にレスを求められる。

「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由


自分は子供の頃、人気作品・あるいは人気キャラに追従せず、コアでマニアックで良いと思った作品・キャラばかりを追って、有名どころの作品・キャラには我関せずでした。
当時から実にクラスから浮いた存在だった記憶。


でも当時は、LINEなんてものはありませんでした。高校時代になって(今となっては不便な)ガラケーのメールで多少友人とはやり取りする程度。

スマホ上のLINEのように、どこまでも教室の友人とコミュニケーションする必要なんてまだなかった、最後の世代だったんです。

私がもし今の時代に学生時代を過ごしていたら、今の自分のように我が道を行くオタクで在ることができたと言える自信は、到底ない。


SNS人気を最大化したい映画予告マーケティング

「旬」が大事

映画の場合、話題作が劇場公開されると、チケット半券の写真や劇場のポスター前で自撮りした記念写真などがSNS上にあふれる。
感想以上に、「いち早く観てきた!」アピールがすごい。それに感化されれば「旬に乗らなきゃ!」という気持ちになる。

映画会社がSNSによる拡散を期待した宣伝を積極的に仕込むのは、昨今の常識だ。

稲田 豊史. 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレコンテンツ消費の現在形~ (Japanese Edition) (p. 129). Kindle Edition.

SNS上での圧倒的な特定の新規キャラ人気。そのSNS上の人気キャラをフューチャーするばかりの今回の映画の予告内容。
実際の本編は、予告通りかというと(むしろ私にとっては良かったけれど)SNSの人気キャラ登場時間は一部だけ。

あれはあれで、仮に予告詐欺だと訴え出る新規キャラファンが出ても仕方ないと思ったレベルです。


公式サイドは、SNSで【バズる】=話題が拡散されることを狙って、SNS拡散力の高い層ばかり意識してたんだろうな、と映画を見てから思っていたのですが。

本書の指摘を見るに、あぁその予想は的中していたんだな・・・と、残念にも裏付けが取れてしまいました。

世間の評価に反する意見を言う恐ろしさ

今回のマーケティング、相当前から不信感を募らせている既存ファンがいたはずなんですが、その不満をSNS上で可視化することが難しかったと思います。

なぜか。
押しも押されぬ人気キャラがフューチャーされた企画を喜ぶ人たちばかりのSNSのタイムラインの中で
「これは嫌だ」と異論を述べるのが怖かったんです。

「おもしろい」と言うのは勇気がいる

「ネットで“おもしろい”って声をあげるのは、勇気がいるんです。絶対に否定されないような、あらゆる人が傑作と認めている“勝ち馬”にしか、“おもしろい”って言えない空気がある。誰も評価しない“負け馬”に乗っていることに謎のプライドを持つ昔のオタクとは、真逆なんですよね」(佐藤氏)

映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由

こちらでは、作品を評価することに対して勇気がいると指摘されていますが、逆も然りです。
周りのあらゆる人が評価することに対して「私は評価しません」と言うのが難しい。

結局の本質は
【周りの大勢の人が言うこととは違う意見を言い出し辛い】ことではないでしょうか。
それが何かを評価することであれ、批判することであれ。


私がこんな批評記事を書いているのは、私自身が昔から流行りでなく自分の評価で良いと思ったものを追いかける、上記で指摘される
誰も評価しない“負け馬”に乗っていることに謎のプライドを持つオールドタイプのオタクそのまんまだから。

そして何よりも、炎上騒動を経て私と同じような感想を抱いた人が(少数派であったとしても)いるという確信が取れた --- つまりは、少なくとも仲間がゼロではないとの確信があるからです。
そうでなければ、わざわざ大衆と違う意見を唱えることで炎上するかもしれないリスクを、私も取る気にはなれなかったでしょう。


SNSで見えないものであっても、存在は消えてなくなりません。
今回起きた既存キャラに対するマーケティングへの不満の声は、花嫁投票企画をきっかけに誰かが口火を切ったことで【そうだそうだ】とばかりに公然と表明されました。


SNSでは大きな声で言えない既存ファンの声を企画側が見落とし、
SNSで大きな声で言える「流行りの新規人気キャラを応援する声」が世間の全てだと思って暴走してしまったツケ
が、例の炎上騒動の一因だったように思えます。

【オープンワールドゲーム的】【分かりやすさ】を追う作風

本書を読むまで想定していなかった、しかし思い当たることがありすぎるワードとして

【オープンワールドゲーム的な作品作り】
【分かりやすさ】

の二要素が近年のコンテンツに求められているとの指摘でした

「オープンワールド化」する脚本

かつて映像作品は、ある程度以上のリテラシーの観客に向けて作っていても、さほど問題にはならなかった。理解できない者の一部は勝手に背伸びをして理解に努めてくれたし、排除された客の声は可視化されなかったからだ。

しかし今は違う。商業作品と名がつく以上、あらゆるリテラシーレベルの観客が満足する(誰もが気分を害さない)ものを作らなければならなくなった。

(中略)

とはいえ、どのレイヤーの人間も満足させる作品づくりには、途方もない、とてつもない創作労力が必要とされる。

「オープンワールドゲームみたいなものだと思うんですよ。広大な世界観はこちらで用意しておく。好きな場所を徹底的に掘ろうと思えば掘れるし、掘らなくてもゲームは楽しめる。どういう目線でその世界を体験するかは、プレイヤーの自由です、と」(佐藤氏)

(中略)

オープンワールドゲームは、制作者側が用意したすべての建築物や場所に足を踏み入れずとも、またすべてのイベントを体験しなくとも、一通り楽しめるように設計されている。
「ゲーム内で体験できていないこと」があっても、プレイヤーを不快な気分にさせないのだ。

『逃げ恥』『シン・エヴァ』…「リテラシーが低い人を差別しない」作品が時代を制する


今回の映画、私はどこのキャラの出番を取ってもバランスが良いと評しました。

警察学校組の活躍を見たい人も。
安室さんの活躍を楽しみたい人も。
高木・佐藤両刑事の恋模様を楽しみたい人も。

そして何より子ども向け作品、名探偵コナンとして。
主人公・コナンとそのいまの友人達である少年探偵団の活躍を楽しむ子ども達にとっても、みーんな楽しめる作品でした。

まさしくオープンワールドゲーム的な、何が好きな人もどこから楽しんでもOKな作り。
今回の映画、オープンワールドゲーム的に見て【良作】である作品なのは確かです。

ただ、映画作りにおいてオープンワールドゲーム的なものしか作れない、コアで尖った要素を入れられない状態が続いているのだとしたら。
それは作品の幅を狭める行為に他ならず、長期的に見て良い傾向ではなさそうです。

(コナン映画の場合、初期には【ベイカー街の亡霊】という意欲的なチャレンジに挑戦した時期もありつつ、それが決して世間的に良評価を得られなかった歴史もあります。
今にして思うとあの作品の持つ意義を考えさせられます・・・)


そして、近年のコナン映画は
【推理の割合が減ってアクション映画化してる】
との指摘があったんですよ。

確かに初期のコナン映画にはいろんなゲストキャラがいて、この中の誰が事件を引き起こすのか推理を楽しむことができました。

でも近年の映画は、ゲストの数が少ない・行動の幅も少ない・提示される情報も極めて限られており、誰が事件の犯人か推理ではなくシナリオのメタ的観点で推測できてしまう作品が多いです。


コナン自体、初期より推理モノとしては同ジャンルの作品の中でも推理よりアクション寄りの要素が強い作品ではありました。

ただ、もし時代の「わかりやすさ」を求める波に押されて「わかりにくい」推理要素が排除されてきた結果が、近年の作風なのだとしたら?

これは単純にコナンという作品の変質を意味するだけでなく、
「分かりやすさ」が求められる時代における、推理・ミステリーモノというジャンル全体の危機かもしれない。

コアなファンの需要よりカジュアルなお客様を追う時代

残念ながら今回の炎上騒動を経たとしても、この流れがすぐに変わるとは思えない構図があります。

それが下記。

フリーミアムの限界


選挙に喩えるなら、浮動票が爆発的に増大したようなもの。彼らに固定の支持者はいないが、1票は持っている。政治に興味も知識もない浮動票を獲得するには、簡潔でキャッチーな、誰にでも理解できる公約を掲げることが肝要だ。

すなわち、コンテンツ市場において作り手は、「わかってくれる人(コアファン)にだけ届く、良質な作品だけを誠実に作り続けていればいい」というスタンスを今後取りづらくなる。

作り手は、カジュアルな倍速視聴や10秒飛ばしが常態化した人たちを「メインのお客様」であることを前提にしたマーケティングを実行した上で創作し、ビジネスモデルを構築しなければならない。

稲田 豊史. 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレコンテンツ消費の現在形~ (Japanese Edition) (pp. 246-247). Kindle Edition.

まさしく長年コアなファンがいた今回の既存キャラ(高佐)を推しにする身としては、これはかなり辛い指摘です・・・。


ここでは選挙のメタファーが使われていますが、これに関連して思い出すのが、今回の高佐ファンの間で長年飛び交っていた自虐ネタです。

グッズに金を落としたくとも、
公式がそのキャラのグッズを出してくれない

と。

幸か不幸か今回の映画を通じて、ようやくグッズが一定数出たため、長年の鬱憤を晴らすかのように、それはそれは楽しそうに買い漁る仲間の姿がSNSで流れてきたものですが。


このネタ、コンテンツ作りを巡る近年を現状を思うと、オールドタイプのオタクにとって笑うに笑えない切実な問題に思えてきました。


消費は投票行動だと言われます。グッズに金を落とすのは人気投票のようなもの。

しかしそもそも自分の意志を代弁する立候補者がいなければ自分の意志を伝える投票ができないように、消費においてもそもそも推しのグッズがなければ人気投票の土台にも立てないのです。

独裁国家で政府の意向に反する候補者が立候補から排除されて国民がその意志を表明できなくなるように。
グッズやコンテンツの場合、売れ残りのリスクを回避するためにあらかじめ公式が一定以上売れそうと判断したキャラ以外の商品は出ません。
なのでそれに金を落とす消費という形で人気を投票することが不可能に・・・。

コアなファン層がいるにも関わらず、公式サイドがリスクを恐れるあまり人気を可視化できてない作品は、おそらく今回のキャラに限らないでしょう。

コアファンに受ける作品作りは復権できるか

ここまで、本書の指摘事項を今回の映画感想に絡んで思ったことを述べてきました。

本書を最後まで読むと、これからの作品作りの世界は
「これからはコアなファンに受けるような作品作りは徹底的に排除されてしまいそう」
という未来予想図が浮かびます。

読了時、流行りに関係なく自分が素晴らしいと思う作品を追い続けてきたスタンスのオタクとしては暗澹たる気分に・・・。


ただ、あえて、技術者として、これまで技術がもたらす社会の変化を観察してきた人間としては。
この未来予想図が確定されたものではない、と反論できる要素を記事の最後にいくつか挙げておきたいと思います。


技術が進化しても、本質的に魅力あるものは蘇る

技術の進化によって、特定のジャンルが衰退することは歴史上繰り返していました。

レコードが登場した時には生演奏に比べて録音なんて低質だと言われ。
けれど、今や録音された音楽を聴くのは当たり前。

演劇もそう。あるいは、映画なんて、テレビなんて、ネット番組なんて。
新しいものが登場すれば必ず古いものは新しいものに反発しつつも、かつての勢いを失っていきました。

それでも、後続の技術では本質的に代替できなかった魅力あるものは残り続けてきました。

例えば、映像を録画する記録媒体自体はどんどん便利に進化し、旧世代の存在は消え去るでしょう。
私が子供の頃の録画媒体はビデオテープでしたが、今やその価値はHDDレコーダーやサブスクに取って代わられて影も形もありませんし、今後も復活する可能性はないでしょう。

しかしサブスク華やかりし現在。
どんな録画技術でも代替できない【生で毎回人が演じるので、違いをみる楽しみがある】演劇は、2.5次元ミュージカルといった形で再流行しています。

音楽だって、生演奏をコンサートで楽しむ文化、自分自身の手で演奏を楽しむ文化は未だに健在です。

往年ほど主流ではないにせよ、後続の技術が代替しきれなかった、本当に魅力あるジャンルは一定の形で残り続けると思います。

Netflixの頭打ちが意味するもの

本書でも、月額数千円で映像作品が見放題になるサービスの台頭が、個々の作品に対する敬意の低下、現在の風潮を生み出したと指摘されています。

Netflixは同サービスの中でも、特にデータ分析でユーザーの好みを探し出し、ユーザーに受ける作品を作り出すことで、ユーザーを絶対に掴んで離さない、サービスの規模は右肩上がりする一方だと思われていた王者でした。

そのNetflixが、2022年の春ついに会員数が減少。

コロナが落ち着いたことに伴い、ユーザーが自分の時間(可処分時間)を使うコンテンツがNetflix以外にも広がった余波だと考えられます。


かつて一部のマニアだけが楽しむものだった映画・アニメ・ドラマ・漫画といったコンテンツが、見放題サービスの台頭に伴い一般大衆化したのが過去十数年の流れなら。

可処分所得ならぬ可処分時間の熾烈な奪い合いに伴い、
映画・アニメ・ドラマ・漫画に時間をわざわざ時間をかけるのは、一部の【オタク】のみの時代に戻る
--- そんな展開も、十分あるんじゃないでしょうか。

もちろん、そうなった際には現在ほどの市場規模はないでしょう。
時代が移り変わって規模が縮小するタイミングでは外野から【オワコン】などと騒がれるタイミングもあるかもしれません。

でも、もしそんなニュースが飛び込んできたとしても、それは必ずしも悲報ではないと思うのです --- オールドタイプのオタクにとっては。

Web3.0やNFTが求められた理由

時代はいつも、特定の方向に進化した後、揺り戻しを起こすかのように真逆の方向へ走り出しながら進化していきます。
例えば、デジタル化が進んだ過去数十年の反動から、アナログの良さが見直されたり。

近年ビジネスやテックのニュースで騒がれているWeb3.0やNFTといった技術が台頭しつつあるのは、この記事で指摘されているような
【経済的利益最大化のために、特定の人気コンテンツだけが台頭する】ことへの反発があります。

Web3.0やNFTの詳細、またそれがどう人気コンテンツの偏りを解消しうる可能性があるか。
これらは膨大な歴史や背景・現在も続く論争があり、私なんぞのnoteの片隅では書ききれません。

なので、NFTを通じてエンタメ業界の課題解決に取り組んでいる株式会社Gaudiy CEOの石川 裕也 氏による関連記事を紹介します。

共感するものに人々(ファン)が自律分散的に集い、その実現や価値向上のために活動し、個々の価値貢献に対してフェアにインセンティブが還元される。そうしたwin-winの関係を構築することが、ファンエコノミーの形成では重要です。

Web3.0と日本。世界で勝つためのクリエイターエコノミーの提唱


新しいIPビジネスへの拡張とファンやクリエイターへの還元スキームを構築するということ。具体的には、IPから派生した新しい収益構造の創出や、クリエイターやファンのモチベーションを高めるようなインセンティブ設計などが考えられます。
実際に、こうした仕組みはNFT、ブロックチェーンなどの登場によって実現可能なものになっており、解決策として実用化されつつあります。

エンタメ業界の構造課題を解く。ファンエコノミーが未来を変える。

Web3.0やNFTをめぐる現状には批判もあります。またこれらの技術が求める信念とは裏腹に、一攫千金を狙った行動をする人々もいるのは確かです。


一方で前述したように、人気を支える消費を投票行動のメタファーで言うならば。
長年高木刑事・佐藤刑事のキャラクターを応援してきたファンは、売れるかどうか分からないので公式がグッズも出してくれない、消費できない
=投票したくてもできない、応援できない

という状況が続いていました。


20年ほどそんな場面を目の当たりにしてきたオタクの端くれとしては、今までの時代の反省から、このような新たな流れが模索されつつあることに、一縷の期待を寄せてしまうのです。




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