天才の言うことを「分からない」と認める勇気
こんにちは、IT業界の隅っこでエンジニアをしているyukari_erbです。
エンジニアとかプログラマーの世界にも、いわゆる「天才」と呼ばれるような人たちがいます。
今回は
(特に自分と近しい業界の)天才の言うことを「分からない」と認める勇気
の話をしたいと思います。
天才の【生の声】が聞きやすいITの世界
2020年の東京オリンピックでは
【天才アスリート達と一般人とがSNSで交流できることの功罪】がニュースになりました。
一方ITの世界は、インターネットという仕組みを生み出した業界柄か、何十年も前から ブログやSNS等を通して、天才たちの【生の声】を聞くことが出来ていた世界とも言えます。
そんな業界で情報収集用にSNSをやっていると、
国内外問わず業界内で天才と名の知れた人が書いたブログやツイートが、しょっちゅうタイムラインに流れてきます。
それは往々にして、天才本人ではなく
「あの天才がこんなことを言っている!」と興奮気味に語る周囲の人物による拡散によって。
天才の言うことは、1割理解できれば御の字
私はなんだかんだ情報系の大学を卒業してエンジニア職について数年経ちました。いわゆる中堅若手と言われる立場にあります。
ぶっちゃけた告白をすると、私程度のスキルだと
タイムラインに流れる「天才の言っていること」の内容が「ちんぷかんぷん」って感じることがよくあります。
そういうときは、話の内容の1割くらいだけ 「あぁ、これってあの話かなぁ・・・?」 と辛うじて理解できれば御の字。
でも、天才が天才と言われる理由を考えれば、これって当たり前のことなんですね。
多くの人とは違う、理解しがたい突出した、極めてまれな能力を持つ人だからこそ天才と呼ばれるようになるのですから。
確率的に考えて、これはごく自然な流れなのです。
スキルが追いつけば理解できる:3割
では「天才の言っている、ちんぷんかんぷな9割の話」と、どう向き合っていけばいいのか。
未知の9割のうち、
3割は「自分のスキルが追いついたら理解できるようになること」
です。
世の中の仕組みは複雑。
特に高度で専門的な分野の説明になるほど、いくら話し手が平易に説明する努力をしても、受け手のスキルレベルに関係なく理解できるよう説明するのは困難を極めます。
高度な話を真に理解するには、受け手のスキルを磨くことが必須。
ましてや、天才と呼ばれるような極めて優れたスキルを持つ人の専門的な話であれば、受け手がその話を理解するにも相応のレベルが求められます。
天才と呼ばれるような人の話を理解できる程度に受け手側がスキルを向上させることは可能なのかどうか。
それはある程度の経験年数でカバーできる場合もあれば、生まれ持った能力の差で永遠に謎のままかもしれません。
ただいずれにしても大事なのは「天才の言うことを安易に理解できるとは思わないこと」と自戒し、それを理解するための自己研鑽を怠らないことだと思います。
間違ってないが役に立たない:3割
では、がむしゃらに天才の言うことをすべて理解しようとすればそれでいいのか。 実はそうでもありません。
残りの6割のうち、3割は
言ってることは間違いではないけど、今その場にいる天才の環境でしか成り立たないこと。
だったりします。
もっと砕けた言い方をすると
言ってることは間違っていないが、今の自分の環境には関係がないので役に立たない話。
です。
自分が今いる環境とは縁遠い話だから、 いまいち天才の言うことがピンとこない=言ってることが良くわからない。
という話になるわけです。
もともと、他人の話が自分の役に立たないことなんて当たり前。
自分とは違う境遇、経歴で生きてきた他人同士なのですから。
それは天才が言うことだろうがなんだろうが同じこと。
ところが、 天才の言うことは、絶対に自分の役に立つに違いないという先入観に囚われて、無理にでも自分の人生に当てはめて考えようとしてしまう場合があります。
天才と言えども赤の他人。
「ふーん、この人のいる状況ではこうなのね」と、冷静に内容を分析し、取捨選択する力が必要になってきます。
天才と言えども間違っている:3割
そして残りの3割は・・。
天才と言えども、間違ったことを言っている
です。
私達はうっかり気を抜くと、天才のような
「特定の分野において優れた業績を挙げた人」のことを
「完全無欠で、絶対に正しいことを言うこと」だと勘違いしてしまいます。
「あの偉い人の言うことなんだから、正しいに違いない」と。
天才だったり優秀だったりする人は、普通の人より正しく物事を行える可能性が高い、普通の人では思いもつかなかった偉大な発見をする―――
確かにそういう側面はあるでしょう。
でも「天才、優秀であること」と「絶対に正しい」ことは
イコールではありません。
実際、歴史上天才と謳われた人でも、その生涯を追っていけば失敗や間違いとは無縁ではありません。
たいてい多くの誤りや試行錯誤の上にその功績を打ち立てています。
あるいはその業績によって後世に華々しく名が残っているのとは裏腹に、業績を打ち立てたあとは失敗ばかりの晩年を過ごした・・・そんなパターンも少なくありません。
天才の言うことにも間違いはある。
本当は間違っていることを、「正しいこと」という前提に解釈しようとするから
「言ってることが良くわからない(間違ってるんじゃないの?)」そんな感覚に陥るわけです。
この状況では「この人の言うことがよく分からないんだけど」という自分の中の内なる声を押し殺し、
「天才の言うことだから、絶対に正しいに違いない」と盲目的に鵜呑みにすることのほうが、遥かに恐ろしい事態になります。
天才ではない私達は、ともすると天才の言うことを有り難いご神託・・・【神様から頂いた絶対に正しい言葉】のように捉えがちです。
どれだけ天才と持て囃される人々も、決して無謬の神ではなく、時には誤りもするただの人の子だということを、忘れてはいけません。
天才の言うことを「分からない」と認め続ける勇気
天才とのスキル差、特定の環境でしか役立たない話、そもそも天才と言えども間違いはある・・・
こうやって天才の言うことを分からない理由を深堀りしていくと、
我々は通常 「天才の言うことは分からない」と感じることのほうが当たり前
という、考えて見れば意外でもなんでもない事実に改めて突き当たります。
ところがどっこい。
特定の集団のなかに身を置いていると、あの人は天才だ・あの人の言葉は凄いだとか、皆が持て囃す場面にたびたび遭遇します。
不思議とみんな「この天才の言うことが分からない」などとは言いません。
まるで自分は天才の言うことを全て理解できているかのごとき表情で、新しいメンバーに天才のことを紹介していたり。
天才の言うことって、こんなに簡単に周囲が理解できるものだっけ?
・・・その理由は色々あると思います。
お仕事上、自分は天才とまでは言わないでも「優秀」だと周囲に認められていたほうが都合がいい。
天才のいうことをすごい、と紹介すると
「自分は天才の言ったことを理解できる優秀な人間」そんな気分になれるんですね。
方や逆に「天才の言うことを分からない」と発言すると、
まるで「自分は天才の言うことが分からない、優秀ではない人間」と、集団の中での自らの評判を下げてしまう恐れがあります。
実際には、確かに自分のスキル不足が理解できない理由の場合もあるでしょう。
でも、天才の言い分が十分一般化されてなかったり、そもそも天才の言うことが間違っているのが原因だったりする可能性もある。
この可能性が大いにありえる以上、天才の言うことへ安易に「分かったフリ」をして思考停止するのではなく
「天才の言うことが分からない原因はなんなのか?」と考え続けることが、本来自他ともに大事な行為なはずです。
自分が所属する集団とは全く関係ないところの天才に対しては「分からない」ということは案外簡単で。
例えば私はスポーツとは縁遠い人間ですから、
天才スポーツ選手の話などを聞いても
「へー。すごい。よく分かんない」って感想を抱くだけで終わります。
でも、同業のITの世界に対する天才を「よく分からない」と主張することは
いたずらに自分の業界内での評価を下げる気がして、もの凄く恐ろしい。
恐怖心に抗い、自分に近しい業界の天才の言うことを「分からない」と認める勇気を常に持ち続けること。
「分からない」ことの理由を追求し、ときには対立する意見を自分で考え出すこと。
そうすることが結局、
天才と言われる人のスキルを少しでも自分が真似できる力になったり、
あるいは天才の言うことと言えども間違ったことがあれば気付いて正す力になったりする。
インターネットの力によって【天才の生の声】をつぶさに聞けるようになった時代だからこそ、
この声に対する【適切な距離感の保ち方】もまた大事になってくる時代になる気がしてなりません。
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