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9月18日

 今日もつつがなく仕事が終わり、一日が終わろうとしている。特に問題もなく、いたって普通……ということはつまり、これといって目を引くようなネタもなかった、ということだけれど。
 仕事の話となると守秘義務や社外秘が色々とついてまわるので、結局のところ詳しいことは書けない。そうすると嬉しかったことよりは愚痴やワル口の方が先に出そうになるのはまあ単純に修行不足だ。わざわざ何者かを悪役に仕立て上げてまで共感を得ようとしたり、単純に罵詈雑言を書き連ねて折角見に来てくれた人に不快な思いをさせることもないので、今後ともサラリーマン業のことについて詳しく書くことはおそらくしない。

 望む望まざるに関わらず明日はやってくるわけだけど、そうしてやってきた新しい一日が今日と同じように『普通』に過ぎていくとか、大多数の人間にとって都合の良い側の日になるかとかはわからない。やってきた明日が誰も望んでいない事象をともなっていたとしても、一日には変わりない。
 目にうつる全てのものは本当は奇跡の産物であるから、感謝を忘れないように――と言われても、そんな日常に慣れるにしたがって忘れていくこともあれば、未曽有の大災害に対してとても礼など述べられるような状態でない、ということもあろう。キリストでさえ十字架にかけられ絶命する間際に『なんでじゃ』(意訳)と叫んだというから、人間そんなものなのだろう。理性理屈より感情が勝ることはままある。

 などと述べつつも普通に過行く日常を月並みに表現するだけでも『二度と戻れない瞬間』であったり『今日という日は今日以外にない』とは真実として言えるわけで、無事に終わったなら無事に終わったで時々は奇跡だ何だの話を思い出しながら塩ひとつまみ分ぐらいの感謝を抱いて明日を待ってもいいかな、などと考える。
 時間という概念は人間が考え出したものさしのひとつに過ぎないらしい。連続した変化の積み重ねによってどのような事象が目の前に現れるだろう。明日は明日の風が吹く、などと言っておく方が、多少は人間らしいのかな。

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