見出し画像

すばらしき文明

 先生、記憶を消したいのですが――。
 開業医の私のもとに、そのような『患者』が訪れるようになって、もう数年が経つ。
「はい。いつ頃のですか」
「六年前の、九月九日です。時刻は夜八時十九分七秒です」
 私は患者から差し出されたタブレット端末を指で操作し、速やかに目的の『呟き』、SNSへ投稿された、短い文章を見つける。ちらと日付時刻を確認すると、然るべき手順に則ってその『呟き』を削除した。サーバーまでアクセスすることはできないから、『患者』のアカウントから該当する投稿を削除したら、それで終了だ。
「終わりましたよ」
「本当だ。ずっとログが残ったままだったのに……何も思い出せない。噂通りの腕前です」
 はっきり言うと、大したことはしていない。もともと私は脳神経外科医だ。最初こそこんな依頼に戸惑いもしたが、評判が評判を呼び、今ではこういった依頼の方が多いほどになってしまった。
「デバイスを指で使うなんて、とんだ時代遅れだと思ってましたが……すばらしい」
 まだ若いであろうこの患者には、私のような人間の存在が信じられなかったようだ大げさに感動し、また奇異の目を向けてもいる。
「不都合な『記憶』があれば、また来なさい」
 礼を言って去っていく若者を見送り、私は複雑な心持ちになっていた。
 いわゆるスマートデバイスが世に誕生して、はや数十年。
 技術の進歩は凄まじく、指で操作していたものが声での操作に変わり、ついには思考、思念での操作が可能なまでになっていた。頭に小型のチップを埋め込めば、体を一切動かすことなく、ただぼんやり考えるだけでほとんどの家電を動かせてしまう時代。
 日常生活はまさに『思いのまま』。どうしても労力が必要なものは、お手伝いロボットに命令を送れば掃除、洗濯、食事の準備に至るまで無難にこなしてくれる。
 さらには何か記憶しておくにも自分の体――脳を使うよりも確実かつ忘れることもないからと、情報の記憶領域を外部メディアに移す者が一定数いた。極端にものぐさな者になると、SNSと連携して、得た情報をそのまま投稿内容とし、それこそメモ帳代わりにSNSを利用する者までいた。
 投稿の手間が省ける、と喜ぶのもつかの間、あとになって気付くのだ。記憶と投稿がイコールで結ばれているということは、ログが残る限り忘れることもできない、ということに。
「削除なんて、本当は簡単なことなんだが」
 説明を読み、その通りに操作すればいいだけのこと。しかし。
「ほんのちょっと難しい語句、見慣れない字になると途端に理解できず、意味が分からなくなってパニックを起こす。こんな結果を誰が想像したろう」
 文明がもたらした究極の利便性は、人が自ら知恵を獲得する力を奪ってしまった。
 患者が私の、つまり脳外科医のもとへ駆け込むのは、チップを頭に埋め込んだという印象が強すぎるからだろう。実際にはお門違いだということにも気付かずに。
「私も、すっかり名ばかりの医者になってしまったな」
 明日もまた、画面をスワイプしてタップするだけの仕事が待っている。

読んでいただきありがとうございました。よろしければサポートお願いいたします。よりよい作品づくりと情報発信にむけてがんばります。