ぽんこつキャンペーン、スターティン♪
「心の中でリスカをずっと続けているんですよ」
え?!なんて可哀そうなひと!
可哀そうなひとは、わたしだった。
8月の初めのこと。
初対面の人と深い話になったときに言われた。
衝撃だった。
言われた瞬間、生傷だらけの手首が目に浮かんで、息をのんだ。
その絵がどうしても頭から離れなくて、ショックだった。
こじらせて生きてきた。
40を過ぎてようやく、だいぶテキトーに、好き勝手に生きることができるようになったと自負している。
そんな自分が好きだとも思える。
でも。
それなのに。
自分に厳しくてその厳しさで、自分自身を傷め続けているのだと言われた。
そんなわたしは過去のもの、もう終わったことだと思っていた。
それなのに。
「まだ」、なのですか?
別の人にはもっと自分を満たすように言われた。
好きなことをして、行きたいところに行き、自分のご機嫌をとれるようになったと自負している。
自分を満たしていると思っていた。
それなのに。
まだ、足りないの?
満たすって間違ってたの?
なんなの?
じゃあどうしたらいいの?
キレたよね。
それから3週間くらい経つ。
考えてもわからないから、考えるのを諦めることにした。
答えを探さないことにした。
思考停止、かもしれない。
「はぁ~。わたしは無意識で脳内リスカなくらい、自分に厳しいんですかぁ~。へ~。」
「はぁ~。わたしはもっと自分を満たしていいんですかぁ~。へ~。」
そんなふうに第三者から見られるということは、
自分がそうであるか否かを考えたり、認めたりする前に、
逃げられない、もう、そのように「見える」「見えちゃってる」ということだもんね。
そこに理由や解決策を求めても、そこには、ないのかな、とぼんやり思っている今。
3週間前のその衝撃の出来事を皮切りに、5か月振りの歌舞伎、半年ぶりの友人とのサシ飲み、ライブに行った。堰を切ったように遊んだ。
どれだけ、わたしは人と話をしていなかったのか、話したくて仕方なかったのかと知った。
どれだけ、このコロナ禍の中、自覚している以上のストレスを抱えていたのかと知りビックリした。
過剰に神経質にならないようにしていたけど、薄い真綿の繭から飛び出したくてたまらなかったんだと実感した。
わたしは、画面上やテキストだけでなくて、リアルを人並み以上に欲していた。
それがわたしの人生にとって大切なものなんだと、知った。
第三者の目
そして昨日。
1・第一印象
2・数か月を経た今の印象
3・すごいと思うところ
4・手放す、諦めた方がいいと思うところ
について、何人かから伝えてもらう機会があった。ジョハリの窓のアレンジ版といったところか。
1と2は、自覚しているままだった。
「仕事がデキる」「なんでもできる」
その通り。
だってそう思われたくて仕方なかったのだもの、子供の頃から今までも、ずっと。
そうなりたくて必死だったんだもん。
3も、おおむね自覚していることだった。
だって、わたし、スゴイんだも~ん(笑)
で、4。
・自分で安心・安全の枠をつくってそこにおさまろうとしている。
・「普通」に寄せようとしている。
おっしゃるとおりですよ。
そりゃそうだよ。
「仕事ができる」「なんでもできる」って思われていて、自分でもそう思っていて、でも、その期待に応えたい、ガッカリさせたくない、って。
そう思うと、怖くて怖くて、予め安全柵を自分で作って自分の身を守ることしか、思いつかなかったんだよ。
根深いなあ、オレ。
期待を裏切ろう。
ガッカリさせてやろう。
上等だ(苦笑)。
命を落とす訳じゃない。
期待を裏切ろう。ガッカリさせよう。
ぽんこつキャンペーン、始めます。
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写真は6年前のマウイ島。
本文内の写真はいつかのLAの駅の天井、だったと思う。
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