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わたしたちが持っている自己決定権を、育てていくこと

昨日、急遽友人から視聴権利を譲り受けて、オンラインセミナーに参加した。


7/11は「世界人口デー」とのこと。

コロナ禍で、望まない妊娠・出産、妊産婦や新生児の理不尽な死亡、家庭内のみにとどまらない”パートナー”からの性暴力が増えているにも関わらず、問題として取り上げられるには優先順位が下がっている実情。
自分のからだと将来に関する選択をする力、主体性を持つ権利についての討論の時間だった。

「からだの自己決定権」という言葉が、わたしにとって、ピンとくるようなそれでいてピンとこないような微妙な距離感だった昨日。
1日経って改めてググってみた。
この記事は、わたしにフィットしたかな。

登壇者のコメントで印象に残ったわたしのメモ。

上野千鶴子さん

●「女のカラダはお国のモノ」という政治実績、それを長年受け入れてきたからこその今の土壌がある。

●「したい時に、したい相手と、したい方法で性交渉をする自由。
  したくないときに、したくないと伝え、断る自由。
 どの自由を行使しても誰からも差別されない権利の大事さ!


●これだけ情報があふれていて、簡単にそれらの情報に触れられるようになったにも関わらず、「NO」が言えない男女関係がいまだに再生産され続けている現実。同性愛の関係性においても、「NO」が言えない関係があること。

● 歴史は放っておくと後退する。

● かつてのアンケートより:性交渉=ツライおつとめ⇒その挙句の望まない妊娠⇒やむを得ない中絶への罰則。理不尽だらけ。


アルテイシアさん

● 性教育が遅れているのに、月経用品・避妊法・中絶技術・出産方法など全てが最新のものから遅れをとっているというのに、ポルノ産業の世界の6割は日本製という矛盾。

● 明確なYES以外、YESではない。

●「相手の同意を得る」ことを教育する必要。

◆◆◆

・性教育。
2003年以降、義務教育に性教育が組み込まれていない。
実施されていても、女性向けのものばかり。
男性に向けての性教育の重要性。必然性。
・女性だけの問題ではない。女性だけで解決できる問題ではない。

・意見の否定=人格の否定ではない。
「NO」を言う自由。生活全般。
・安心して議論できる場。
・叩かれることを気にしない。味方を増やしていく。
・当事者が要求を継続する。

● 男性が男性へ発信することも必要。

● 支援は慎み深く。

● ドヤらない。イキらない。

● 自分を受け入れてもらえないのなら、そんな相手は捨ててしまえ!
尊重されていないと思うのならそれは、愛されてはいないということ!

すること・できること・やらなくちゃいけないこと

〈対処策〉
・アフターピルの市販化
・ピルの市販化
・中絶に関する理不尽な同意書の廃止
・保険証なしで受診・相談できる駆け込み所の設置・拡大 (献血ルームの延長的な)
・医療と福祉の連携強化
・性教育
・事実の洗い出し・・・かつての「モア・レポート」を2020年代版としてアップデート
・選挙に行く

〈マインド〉
じぶんのからだに責任をもつ。自分で選択する。自己決定
⇒ダイエット、避妊、月経の対応






わたしのザラザラ

女性にフォーカスした内容を意見・議論するとき、「女性だから」「女性ならでは」みたいな枕詞がつきがちに思う。
そこにものすごく、わたしは違和感というかザラザラしたものをいつも感じてしまう。
あと、こういう内容の議論の際の常套句、「日本は遅れている」「海外ではもう既に」にも若干辟易してしまう自分がいる。

パネリストのそれぞれの立場からの意見に、なるほど!と膝を打つこともあったけど、どこかでザラザラがぬぐいきれず、少し退き気味で眺めてしまった。
もちろん、自分では持ち合わせない視点や、知らなかった現実に、視野が広がる刺激も嬉しいのだけど、やっぱり「どこか他人」を感じてしまうからなのだろうか。
かといってゴリゴリの当事者の涙ながらの体験談も、わたしは正直、退いてしまうと思う。

発せられた感情や事実を受け取ったとき、
どれだけ自分の人生との接点を見出せるか、
どれだけ自分ごととして引き寄せることができるか。

これって、つまりは、社会的生活の濃さ・経験値の深さ。
駒崎さんの運営する保育園では、就学前のこどもたちに話し合いの場を設けているとのお話があった。
自分の考えを述べても、感情を表現しても、大丈夫、という感覚を
早いうちから身に着ける必要がある。
家庭内でどれだけ言えるか、学校で、習い事の場で、地域活動の場で、
外の集団でどれだけ言えるか、積み重ねなのかもしれない。

ザラザラした中で、むむむ?とひっかかったことが2か所あった。

● 男性の育休取得をもっとひろげよう
育休取得。 
とっかかりやすい大事なアクションのひとつなんだけど、そもそも、
会社で有休を取得すること自体がまだまだ日常化していない現実があるように思うのはわたしだけ?
有給休暇をとる理由って、必要??
そもそも、○○休暇って、は?その○○に該当しないひとは得られないの?

有給休暇を”消化”(←これもどうかと思うよね!)する理由=急遽の体調不良のみ可、みたいな働き方・会社を20代で経験してきた。
その当時は女性の産休だって、休むくらいだったら退職しろって風潮だった。
改善されてきてはいるけど、男女に関わらず、理由に関わらず、働き方に責任を持つ・自分で選択することって、大事なんじゃないか?と思ってしまったんだよなあ。

● 性教育は文科省案件なんで・・・
ファシリテーターが切り盛りする進行の中で、するっと聞こえてきた。あまりの自然な独り言に、全く悪意のない発言だとは感じた。
でもさ。
縦割りの政治体制を続けてきていろいろ歪みが出まくっているのが現代で、
そのお役所主義をどうにかすべく、各種団体を有志で立ち上げて作って、接着剤になったり、潤滑油になったり、なんじゃないのかしら??
そのムーブメントの中心に存在しているように、わたしなんかからは見える立場の方からのナチュラルなひとりごと。
それぞれの分野・担当はもちろんあって、そこに集まってくるいろいろで手一杯なのも簡単に想像できる。
でもでも、それを言っちゃおしまいじゃないかしら??って、魚の小骨がのどにひっかかった感じを受けたんだよなあ。
現実といえば、現実。超リアル。でももやっとする。

要求を発信することを継続する。

どうにもアウトプットのスイッチが入らないままだったこの数か月。

久しぶりに出してみようと思ったら、うぷうぷでとっ散らかっているが、
ちょっとはきだしておく。

こうして感じたことを、どなたかが受け止めてくれて何かの一歩につながるかもしれないしね。

上野千鶴子さんが繰り出すパンチは、スカッともするし、ヒヤっともする。
このnoteを書くのにあたって、ググったら、なんと本日がお誕生日だそうだ。続けてくださったセンパイの背中。
ありがとうございます。そしてお誕生日、おめでとうございます!

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世界は少しのマジョリティではなくたくさんのマイノリティで成り立っている!2択だけじゃない。選択の選択肢は2つとは限らない。たくさん持ち札を持っている方が優しくなれる。余裕が生まれる。

世界は、上下でできているわけではないよね。地球が丸いように、本当は全部つながっているよね?どうだろう。  

ちょっとおいしいおやつが食べたい。楽しい一杯が飲みたい。心が動く景色を見たい。誰かのお話を聞きたい。いつかあなたのお話も聞かせてください。