書くことで生きのびた人の話②
前回に続いて個人的なライター仕事の話。
2019年の9月、友達の言葉が小さい光となって道のような何かがぼんやりと見えた気がした。
「未経験でも文章の仕事ってあるのかな」と思い始め、何度かの検索の末にたどり着いたのがクラウドソーシングサービスだった。
クラウドソーシングサービスは最初の一歩目になり得るか?
クラウドソーシングとは、不特定多数の人へ仕事を依頼するかたちのビジネスのことだ。
企業だけではく、個人も発注者になって仕事を依頼できる。
仕事をしてくれる人を探している発注者が、サイト上で依頼したい業務の内容を開示して、受注希望者の中から業務を委託できる人を採用するというのが一般的な形だという。
私がクラウドソーシングを利用していたのは確か2019年の9月から12月くらいまでで、当時複数存在したクラウドソーシングサービスのいちばん有名なところでやっていた。
しかし思うところはある。
未経験の人でも仕事を受注できるのはいい。それはいいのだが、振り返ってみるとあまりにもギャランティーが低く、かつ記名記事(自分の名前が載る仕事)の仕事などほとんどなかった。
仕事をしてもしてもあまりお金にならず、自分のキャリアとしてポートフォリオに載せることもできないのだ。
私もいくつか仕事を受注してはみたものの単価は1文字1円以下が普通で、ある時は書いたものの掲載先すら知らされないこともあった。言い方は悪いが、これは搾取だと思った。
しかしそれも私の場合というだけの話で、クラウドソーシングサービスの全てがダメなわけではないのも事実だ。
受注者の「どこまでやるか」とギャラ感が合っていれば、それは搾取にはならない。クラウドソーシングサービスを利用する際に重要すべきなのは、受注側のスタンスだと感じる。
走り出す、出会いと繋がり
先に書いた通り、クラウドソーシングサービスでは企業だけではく個人も発注者になって仕事を依頼できる。
いつも通りサイト内の新着の求人案件を見ていた時、音楽メディアを1から作るためにライターを探しているという求人を見つけた。
文字単価が高く、これまで受けていた仕事よりもずっと割がよかった。この単価で好きな音楽の記事とかを書けるのか〜〜〜いいな〜〜〜と思った。
他の求人と比べると好条件で、受注希望者はかなり多かった。受注希望者として応募したものの、このサイト内の仕事を少ししか経験していないのでたぶん選ばれないだろうなと思っていた。
数日経って、メッセージが来ていることに気づいた。受注者として選ばれたのだった。
そうして立ち上げ時から関わらせてもらっているのが、「あたらしい音楽」を発掘するマガジン「ヂラフマガジン」だ。現在は法人化して株式会社ヂラフの運営となっているが、当時は編集長が個人で立ち上げたメディアだった。
(↓当時の様子が書かれている株式会社ヂラフのnote。面白いのでぜひ!)
経験も何もほとんどない私を受注者として選んでくれた理由を、いつだったか編集長に訊いてみたことがある。「プロフィールに貼ってあったブログの文章を読んで、好きな文章だったからですね!」とのことだった。
こんなプロフィールの片隅にあるリンクなんて誰も踏まないだろうし、ブログなんて読まないだろうと思いながら「とりあえず」貼っておいたのだが、何がどう仕事に繋がっていくかわからないものだなと思った。
そしてこの「何がどう仕事に繋がっていくかはわからないものだな」は、この後仕事を続けるうちに何度も感じることとなる。
驚きの出来事と方向転換
ヂラフマガジンでの執筆を始めてから1、2ヶ月。当時はアルバイトと並行してやっていたのだが、振り返るとたいへん楽しい時期だった。
自分の書いた記事が自分の名前とともに掲載されることが嬉しく、また(当時も今も)ヂラフマガジンの編集長はライターの個人的な視点を大切にしてくれる方なので、その自由さが安心感と心地よさにもつながっていった。
そんなある日の出来事。バイトから帰る電車の中でヂラフマガジンの公式Twitter(現X)を見ていたところ、私の書いた記事におかしい桁の「いいね」がついていた。
さっと血の気が引いた。炎上に違いない。何か書いてはいけないことを書いてしまったのだと思った。「終了」という二文字が頭に浮かんだが、幸いなことにその不吉な予想は外れることになる。
おかしい桁のいいね数は、私の書いた個人的に敬愛するアーティストについての記事が本人に読まれ、さらに共有されたことが原因だった。
びっくりした。そのアーティストがエゴサーチに抵抗のない人であることは知っていたが、まさか読まれるとは思っていなかったのだ。こんなことがあるのかと思った。
そこで何かのスイッチが入ったのを今でもうっすら覚えている。
数週間後、私はクラウドソーシングサービスを退会し、やりたいことをまとめた企画提案書を見様見真似で作成し、Webメディアへの売り込みを始めたのだった。
(③へ続く)