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「あたった」と「ぶつかった」の違いは被害者意識の差

同じ現象を表すのにも、主観的に言葉を選ぶと、異なる言葉になる。
「Aさんの肩が当たった」と「Aさんの肩がぶつかった」
この二つは同じ現象を表しているが、微妙にニュアンスが違う。感覚的には、激しさの違いが感じられる。映像を呼び起こすと、かなり違うと思う。この二つ言葉の現象が、実は同じものだとしたら、この二つの表現の差は何なのか。

次のような状況を考えてみる。
Aさんの肩がBさんに当たった。それをCさんが見ていた。この状況だとBさんは「Aさんの肩がぶつかった」と表現することが多い。Aさんが謝らないのならなおさら。Cさんは「Aさんの肩がBさんにあたった」と表現するかもしれない。つまり、当たった方には、若干の被害者意識が感じられる言葉を選ぶ傾向にある。

言葉には類義語というものがある。似たような言葉を使っても、意味が通じるということで、語彙数を増やすために、類義語辞典を使うよう、生徒達には指導している。その時に、数ある類義語の中で何を選ぶか。
まずは、言葉を意義素で分類し、その時表現したい意義素の中で類義語を選ばせる。
説明しますね。
例えば「ぶつかる」にはいくつかの意義素がある。

障害と激しく衝突する
当たる
難局として受け入れる
競争などにおいて敵対する 等

「ぶるかる」には、いくつもの意味がある。その意味ごとに類義語がある。障害と激しく衝突することを表す「ぶつかる」と
競争などにおいて敵対することを表す「ぶつかる」は、当然、類義語も違う。
前者は「ぶち当たる」「突き当たる」「打ち付ける」などが類義語になり
後者は「真向かう」「適する」「立ちはだかる」などが類義語になる。
その時、同じ意義素の中で、どの言葉を選ぶか。それは本当に主観的なものになるのだ。

例えば、ある人があなたの行動を否定したとする。
その場合、それがお世話になっている上司である場合は「指摘してくださった」になるし、仲の悪い近所のおっちゃん(笑)であれば、「いちゃもんをつけてきた」になる可能性もある。同じ指摘であってもだ。
このように、どの言葉を選ぶか、それは非常にその人の主観にかかっている。
だから、相手が事実をどんな言葉を選んで自分に言ってきたのか。その言葉から、相手の、自分への感情が掴み取れる。
同じように、自分が相手に話す言葉にも主観が入るので気を付けたい。
ビジネスなどの場面では、主観が入っていない言葉を使う必要がある。
たとえ「クレーム付けられた」とか「いちゃもんをつけられた」とかあなたが感じても、そのように表現してはいけないし、なんと「苦情」もNGだ。
「苦情」にも主観が入っている。判断するのが上の人の場合、いちいち主観が入った言葉を伝達されては、上の人は大変だ。大ごとだと思ってかけつけたら、大したことはなかったということもある。
それが「苦情」であるかどうかは、本人が申し出ない限り、あなたの判断なので「お客様からこのような苦情がございました」ではなく「お客様からこのようなメールがありました」など、事実を伝えた方が良い。
特に苦情等ネガティブなことの伝達は、間に何人か入ると、どんどん言葉が大げさになっていく可能性を孕んでいるので、主観を含まないプレーンな言葉で伝達するのが大事だ。

ただ、相手が「ぶつけられた」と表現したら要注意。相手は「当たった」で済ませたくない。そんな意識があり「当たった」の大げさ系「ぶつけられた」と表現しているのだから。

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