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無難という制限

最近よく思いをはせるのが、無難な道を推薦する親心。
親は子供に挑戦させたいといいつつ、けがはさせたくない。
だから「可愛い子には旅をさせよ」と言われても、宿泊先と授業カリキュラムまで保証されている「留学」はさせるけど、行く行先も分からないバックパッカーの旅は好んでさせない。
これらは、無難な選択なのかもしれない。

学校に行かせるのだって、本当はそう。
子どもには自ら学びを取りに行く人間になってほしいといいつつ、完全受け身の授業をする学校に子どもを送り込む。
あの授業スタイルである限り、自ら学びを取りに行く人間にはならない。
むしろ、学校というところは、苦手なことも頑張らなくちゃいけないし、しかもそれを評価されては自信もなくなる。
全員がオール4くらいを目指すように言われるし、親も「平均より上」と、それを望むが、全員がオール4になることは、絶対にあり得ない。

大学ぐらいは出ておいた方がいい
文系か理系かの分岐点では、あとから文転もできる理系をとりあえず選択しておいた方がいい
スイミングぐらいは習わせておく
塾には行っておいた方がいい

どれもこれも、無難なように見えるからだ。
無難とは難がないと書く。
本来、難がないところには、学びもない。

春。子供たちが、決められた進路を歩み始める時期。もし「違った」と気づいたら、戻るのは早い方がいい。
そうならないためには、何かを始める、何かを決める時に、とことん考えること、そしてその結果について、日常的に検証し話し合うことが大事。

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