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問いの本質を突き詰めることと、課題解決に全力を注ぐこと、どちらに比重をおくのか。

※このnoteは、「行動」に振り切るのが正な「起業家」という属性の私が、タイトルの「問いの本質を突き詰めることと、課題解決に全力を注ぐこと、どちらに比重をおくのか。」について、最近読んだ本『問いの立て方(ちくま新書)』を基に考えていく、ただの私の思考の話です。


私は、起業家です。

前回の事業は失敗しましたが、今次の事業に向けて全力疾走をしている起業家です。

課題解決を最重要なこととして、株式会社を設立し、仲間を集め、リターンを目的とする投資家を誘い、資本主義の中で行動することを自ら選択した起業家です。

はい、もう最初からタイトルについての、一般的な答えは出ています。

起業家とは「行動する人」です。なら、課題解決に全力を注げよ。
問いの本質を突き詰めたいなら学者になれよ。と。

解決したい課題がなぜ課題なのか、もしかしたらある程度まで本質に近づくことは起業家にも求められるかもしれませんが、もっと「なぜ」を繰り返し、この世界とは何なのか、自分とは何なのかまで行きつき、考えることは求められていません。

ということは、

ある程度まで本質にせまったら、その先を考えることをやめて、そこにある課題を解決することに全力を注ぐ

のが起業家にとっては、正しいのかな。

新しい仲間ができて、ミッションをよりシャープなものに、より伝わるものに言語化させようとしている中で、ミッションの起源を最後まで遡り自分とは、を考え始め、

「いや、いつまでも終わらん。こんなの考えるよりもとにかく課題を解決するべく動いた方が良いのではないか」

と思いつつ、最後まで考えるのを諦めている感じがして、モヤモヤするのです。

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なぜモヤモヤするのか。

それは私は起業家であると同時にもちろん「私」でもあるからです。

私は

考えることこそ人生、考えることこそ美しい

という価値観を持っています。(パスカルの「人間は考える葦である」という有名な一文。いつかちゃんと勉強してみたいです)

この価値観を自覚したのは割と最近な気がしていますが、『息吹(テッド・チャン著)』を読んだ時に心がすっとしたのも、『急に具合が悪くなる(著:宮野 真生子、磯野 真穂)』を読んだ時に感動したのも、この価値観があったからです。(それぞれの感想文も、大変拙いですがnoteに書いています)

「考えることこそ人生、考えることこそ美しい」という価値観を持っている一方で、

自分の存在を社会に還元していきたい

という意思、強い思いも持っています。

「自分の存在を社会に還元していきたい」というのはつまり、「自分が何かをすることで、社会に"良い"影響を与えたい」ということであり、「社会に"良い"影響を与える」には頭の中で考え続けるところから飛び出して、行動を起こす必要があります。
「なぜ社会に良い影響を与えたいのか」「"良い"とは?」などはここでは言語化しませんが、この意思にも、社会そして私自信が30年間で培ったバイアスがガンガンかかっています。
でもとにかく、「自分の存在を社会に還元していきたい」し、それには行動するしかない。

考えるのも、行動するのも、どっちも大切だと言ってしまえばそれまでなのですが、考えれば考えるほど、「自分の存在」にぶつかり「自分の存在を社会に還元していきたい」ひいては「社会に"良い"影響を与える」という行動に、本質があるのか、分からなくなる。
でも行動が伴う「自分の存在を社会に還元していきたい」という思いは明確にある。

という矛盾の中にいます。

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そんなことを思っているときに、Twitterで知人が紹介しているのが目に入り読んでみたのがこちら。すごくタイムリー。

本の内容(本書、表紙裏から引用)
質問、テーマ、問題といった小さなものから、人生の課題、目標、テーマといった大きなものまで「問い」は様々な形があるが、問いという点ではすべて共通している。では、「いい問い」とはなんだろうか。私たちが解くべきほんとうの問いにたどり着くため、「問い」それ自体を問うことからはじめ、磨くための考え方を深めていく。

こういう本を読むと、どうしても「私は何を考えたのか」を言語化したくなります。
ということで書いたのが、このnoteです。

著者が冒頭で読者に弁明?注意喚起?をしているのですが、「問いの立て方」のハウツー本ではありません。
「問いの立て方」を考えていく話です。

正直、こういう本って途中から「これは何を言っているのか?」と思い始め、これは言葉遊びではないのか、、、みたいな気分になってくるので、自分自身が今解決したいと思っている課題を頭に浮かべながら読むことをオススメします。

「なぜその課題が課題なのか」を遡っていくと、本書はかなり深いところまで考えるきっかけを与えてくれます。

本書には、

言うなら、とにかく動け、というより、とにかく考えよ自ずと身体が動くまで、です。
(出典:問いの立て方 宮野公樹著)

という一文が出てきます。

もう少し説明すると、本書では、「問いの循環」の図が紹介されていて。(図を掲載できれば分かりやすいのですが...興味がある方は本を読んでください!)

「意見・考え」
「観念」
「歴史」
「存在」

が上から順番に並んでおり、下に行くほど不変で「意見・考え」は1番可変。

「意見・考え」の前提を考えると人生観のような「観念」にいき、「観念」の前提を考えると「歴史」までいき、「歴史」の前提を考えると不変の「存在」までいき、「存在」を考えた結果自分がなくなり、それでも考え続けることでまた自分が現れ、「意見・考え」にもどり、それが本分=本来尽くすべきつとめ、となる。

という考え方が記されています。

(わけわからんと思った方。すみません、私の説明が悪いので、ぜひ本を読んでみてください!)

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本書の「問いの循環」をベースに、タイトルに対する私の優等生的な回答を書きます。

問いの本質を考えていき、それは自分の考えの起源を考えることになり、それが行き着くと「自己の存在」を考えることになり、必ずそこでつまずく。
「私とは何か」「なぜ生きているのか」「生きたいとは。存在とは。消えるとは。」
わからない。
でも、どうしても自分の存在を社会に還元していきたい、行動に起こしたい、解決をしたい諦められない「考え」が湧き出てきて、その「考え」の曖昧さ、意味のなさを横目に見ながらも覚悟を持って行動を起こしていく。

この社会ではこの回答が「正しい」のだろうし、今の私がいくら考えてもこの回答に行き着くと思います。

「存在」を考える途中で「わからない」が出てくるのは、私がまだその先まで(自分がなくなる?)を考えられず苦しくなり、途中で「意見・考え」に帰ってくるからですね。

そして、まだ存在について先の先まで考えられていない私は、この循環を何周もさせるのだと思います。

どのタイミングで上記の問いの循環をするのか、は、哲学思考の人は「毎日」なのでしょうが、起業家である私は課題解決=行動に比重を置きながら、「たまに」という感じになるのでしょう。
「課題解決」に全力を注ぎながら、しかし定期的に「問いの本質」に向き合って、本分に辿り着こうとするのだと思います。

そして、問いの循環をした結果、

今の「考え・意見」である「自分の存在を社会に還元していきたい」が本分ではなく別の何かが私の本分であった

と気が付くかもしれず、それは何だかすごく怖いことなのですが、それを定期的に回していくことこそが、我が家の家訓「真剣に生きる」につながっていくのだろうな、という気持ちです。

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ふーーーーー。

完全に納得のいく言語化ではないものの、書き出したことでスッキリしました。

この内容を考える合間にも、起業家としてやるべき、そしてやりたい行動が山ほどあるわけです。その焦りと、でも考えたいという狭間で、このタイトルになりました。

「うだうだ言ってないで、起業家ならとにかく行動して、1分1秒でも早くサービスをリリースしろよ」と、バイアスにまみれた心の中の私がうるさいのですが、

大丈夫。

全速力で走る姿勢はブレません🏃‍♂️🏃‍♀️🏃‍♂️🏃‍♀️🏃‍♂️🏃‍♀️🏃‍♂️🏃‍♀️

ミッションも最高に納得感のあるものに作り直すことができたので、また今度ミッションについて発信をしたいと思います。

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