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また、つらつらと、‘わたしの人生’を。
とっても久しぶりのnoteになりました。
手の動くままに想いを綴ったときから、約1年ぶり。
開くことが少し、怖かったのかもしれません。
ズキズキと痛かった一年前の投稿も含めてまた全部、消去してリスタートしようかとも何度も思ったけれど…
それをせず残したままにしながら、
これまで生きてきた私の人生ぜんぶ、抱きしめて生きていくんだ。と思えるまで、一年かかったんだなぁと振り返って感じています。
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「意識」と「肉体」、 両方の再構築を。
先日の投稿(Facebookも)に、あまりに懐かしいひとたちや「えー!」とビックリするくらい遠く見えていた方からも、沢山メッセージやコメントを貰ったりして…
noteでも沢山「スキ!」やメッセージを頂いたり…。
noteってなんなの…って驚きの連続なのですが、全く縁もゆかりもないところから発見して読んでくださる方々ってどこから?その中でも神さまなの?と思うくらい、わたしを天から(いやすぐ隣からそ
「つらい」ことを「つらい」と言えるわたしに。
今日、大切な人と話した。
何年かぶりで2人でじっくりと話すのは初めてだった。
この数年に起こったことをつとつと話して、ただ、「そうだったんだね」「うんうん」と聴いてもらって、
「本当に色々あったね。よく、頑張ったね」という言葉をもらって、
気づいた。
もう、どれくらいかわからないほど流した涙も、枯れ切ったと思っていたのに、久しぶりにポロポロととめどなく流れた。
わたしは、ずっと、傷つき
わたしは、どこまでも“人間の美しさ”を見つめて、そこに語りかけられる人でありたい。
ほんとうは、何を願っているのか。
ほんとうは、何を大切にして、生きたいのか。
最近、ずっと自分に問い続け、見えてきたこと。
私は、美しくありたい。
美しさと共に、ありたい。
私の本当にやりたいこと。
それは、美しくあること。
人間の美しさの、“すべて”を体現すること。
それは、
恐ろしく生命力に溢れていて、瑞々しく、強く柔らかく、そこに在ること。
感情豊かで、そして自分を律する
【再掲:2020年11月7日の記事】わたしは、あなたを、「ほんとうに、愛している」ってことに気づけた。自分への、確信。本当の覚悟。
昨日。
一日に、2回も泣いた。
何があったか、説明するつもりもなく、書く勇気もない気もするのだけど。
泣きながら、かんじたこと。
それは、とても大切な、ことだった。
だから、ほんとうは、note立ち上げて2回目に書くトピックは、普通もっとこんな感じであるはずで…と、
脳内に広げられる声はそっと、横に置いて。
書いてみようと思う。
・
大好きな友人と会って、これからの話をたくさんで
とても重たくて、でも確かに歩みたい、はじめの一歩。
はじめの、一歩。
この一歩を踏み出すことの重さったら、ない。
わたしには、表現したいことが死ぬほど、ある。
でもそれは、残念ながら今は、このわたしのカラダの中に、だけしか存在していない。
沢山あり過ぎて、いつも、「えーっと、私の中にあるものをどこから出していったらいいんだ・・・?」と悩んでいたりする。
「まずは、自己紹介から!」「・・・どこから?」「てか、どこを切り取るの?」そんなことを