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一旦、区切りを。

違和感を無視せずに自分を生きていく。
「誰になんと言われようと…」と口で言うのは簡単だけど、こんな怖いことはない。

2021年6月までは、ほんとうに激動でした。
思えばかれこれ2年半ほど、もがいてきて、今です。

やっと、ここだな、と思える感覚にいます。
これからやっていくことを少しずつここで表現していく前に、一度言葉にしようと思います。

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「ママは、自分の人生をあきらめて生きない。だれのせいにもせず、自分の人生を生き切る。あなたにもそんな人生を送ってもらいたいと願ってるから。そのせなかを、あなたに見せたい。愛してる。いってきます」と、もちろんまだ字も読めない2歳の我が子に、そんなメッセージと当時の写真で埋め尽くした本を泣きながら書いて作って、初めて9日間、子どもを置いて自分のやりたいことのために海外に飛び立った2019年。

2年ちょっと前のこと。今はわからなくても、もう少し大きくなって字が読める頃、この想いが伝わるときがあるだろうか。愛されていた、と受け取ってくれるだろうか。受け取ってくれるかなんてわからない。それでも、わたしはできることをすることしかできない。

唯一、娘の存在だけが、わたしの決断を揺り動かし続けていました。

それから数ヶ月後、自分たちの人生を100%生きるために、パートナーと話し合って、籍を分かちました。

2人の関係性の間に積もり積もった違和感を無視しない。
もう終わっていることを感じながら、形だけ継続することは選ばない。
誰の人生にも乗っからない、誰のものにもならない、期待された役割を生きない。
依存もしないし、犠牲にもならないし、支配もされない。
自分の責任のもとに、何もかもから自由であること。
「わたしは、わたしだ」を生きる。

自分の人生を生きることは簡単なことじゃない。
この世界では一番難しいことかもしれない。
でも、あとに続いていく、この愛する子どもに、見せたい背中を生きるんだという想いで。
なにより、「あなたのせいで」と、誰にも、わたしが言いたくないから。

決めたものの、
それから、失っていくように思うものが怖くて怖くて、身がちぎれるほどの痛みに息を止めて耐えたり、「自分が決めたことだから」と誰にも助けてと声を出せなくて大丈夫なふりをしたり、「活動を、かたちにしなきゃ」と焦って「やってます!」と動いて頑張ってみたりしたけれど、、、
違和感が滲む表現になりながら自分の中でもいろいろと葛藤ばかりで、
表現と心の奥深いところが定まらず、自分としてひとつにならなくて...

「母親なのに」「産んだ責任が」「自分のわがままで」「なんで?」何度も突きつけられた言葉。現実の中での「母親」「妻」「女性」・・・最後の最後まで、「母親なんだから幸せにしてあげなければ」といろんな世間の呪縛や罪悪感と共に踏ん張った日々でした。

「誰も、ここに起こっていることの中身は知り得ないじゃないか!」と何度も怒ったり泣いたり、絶望したり。表現してこなかった、秘められたいろんな複雑な事情たちを世の中にぶちまけたい衝動に駆られたり。
正しさを主張したくなる、わたしは悪くない!を声高に言いたくなる、どこまでも弱い弱い生き物だなぁ私、そして良い悪いってなんなんだ、何から逃げてんだ、と。
そして、そんな葛藤を経て、全員にわかってもらうこと=自分が救われるような道を、どうにか模索していた自分に、気づきました。

いや、自分を救うのは、自分だけだ。
自分が選んだ道は、自分だけがわかっていたらいい。
というか、究極、自分にしか、わからない。
だって、他の誰をもの事情や感じていること、私自身もわからないじゃないか。
同情や慰めや、同時にわたし以外への批判や批評も要らなくて。
自分と、手を結ぶだけで、いいんだよ。それに、覚悟する。

その先で、わたしをわかってくれる?いや何か通じ合う人がいたら、それはとても嬉しいこと。
それは、わたしとなにかを分かち合い、人が自分を生きていくことへの祝福が産まれる感覚。
正しい間違ってる、の判別ではなく、自分を生きる人の足を引っ張り合う意識がこの世界から少しでも減ること。
さらに、そこから一緒に、これからの未来に希望や可能性を見いだしていけるようにも思う。

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2021年3月末、娘と話をして、娘は元パートナーのところへ。

4歳、まだまだ小さな小さなヒトだと思っていたけど、、、
もう、それは立派なひとでした。

ここで、Facebookでも表現してきた、この件でわたしが感じてきたこと、
これまでの軌跡を、一旦、自分だけの大切なところに収めました🔐。

これまでのこと、どんなことを経験したか、どんなことを感じていたか。
色んな、事情も流れもありました。
大切な’キオク’であり‘キロク’なので、わたしの人生から消すわけもなく、経験から学び得たモノはたくさんの人の勇気になったり、自分を生きるきっかけになると信じています。

パートナーシップ、一人のヒトとしての子ども、家族の形、自分の内側の統合。
それは大切に、誰に遠慮するでもなくそのままの形で伝えたいから、これから深いことたちは、わたしの大切な人たちに安心して届けていける空間に、🔓を開けて、表現しようかなと今は考えています。

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わたしがこの命をもってやりたいことは。

この世界で命終えるとき、
「このわたしに産まれてきてよかった。この身体でよかった。最高に幸せだった。みんなありがとう!」と言って、ほんとうに笑って、死にたい。
どこまでも、後悔しない生き方をしたいのです。

そして、わたしがその人生を生きるだけでなく、地球上のひとりでも多く後悔せずに全力で笑えた人生を送れたら、その瞬間瞬間を仲間として共に分かち合えたら、最高に死ねるな、と思う。

そして、わたしは、何をするか。

大切なひとを、大切なものを、絶対に守れる、応援できる力を持つと決めた。
わたしのように葛藤しながらそれでも前に進みたいと願っているひとに、「おいで!」と言える自分でありたい。
そんな自分が好きだから。だから「’大切’を守れる」大好きな自分で居続ける。
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区切りとして、なんだか、残したくなりました。
離れていても、心から愛していることに、何も変わりなんてない。
あなたが、みんなが、この世界で幸せに笑っていることを願っています。
そして、「自分を幸せにできるのは、他の誰でもなく自分だ」と、小さなからだで強く生きていくだろう、自ら選んだあなたの力を遠くから信頼しています。
先日、「おおかみおとこと雨と雪」を観て、雨が旅発つところ、同じ想いで送り出したよと泣いて、泣き笑いました^^

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というわけで、今日も元気に生きてます!😊
これからのこと、具体的なこと。ちょっとずつ書いていきますね!
惹かれたひとたちとまた出会って、ここからクリエイト✨

と、やっぱり、感じていることを書いて表現するのはドキドキするもので、、、
「アンタ公に書き過ぎよー!」と大切な友人からも言われたもので笑、
こちらの投稿が届くべき方々に届いた気がしたら、、また、🔑かけるかもしれません。笑

ドキドキ。なんて長文。
それでも、そのときそのとき湧いてきたものをそのときに。
自分に正直に、生きていきたいと思っております。受け取ってくださった方々、ほんとうにありがとう!!
繋がれる方はこれからもよろしくお願いしたいです😊!

では。

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