わたしの生き方が、誰かの勇気になる。がん友と会って感じた「神さまの采配」


わたしの生き方が、誰かの勇気になっている。

そんなこと、考えたことがなかった。

それをわざわざ伝えに来てくれた友人は、乳がん手術入院中に知り合った「がん友」だった。

乳がんで手術し、入院中に知り合った彼女のことについては別の記事で書いた。


この記事を書いた後に、彼女から久しぶりに会おうと言う連絡をもらった。

最後に会ったのは、2年半も前。フラメンコの発表会に来てもらって、終演後に挨拶をしただけなので、ゆっくり会うのは数年ぶりだ。

コロナ禍で人と会わない日々が続いていたし、私もどうしているかなと思っていた。先日の乳がんの記事を書きながら、昨日のことのように彼女のことを思い出していたので、彼女からの連絡はとても嬉しかった。早速、年明けに会うことになり、酒飲み同士なので3時間飲み放題のお店で待ち合わせ。

1.笑い上戸な「がん友」との再会


久しぶりに会った彼女は、相変わらず明るくて酒好きで、笑い上戸だった。

選んだ居酒屋はぐるなびで適当に選んだお店だが、これがまた笑いのツボに入って面白かった。

お店自慢のビーフシチューなのに「上手にできるか分かりません」って書いてある。毎回上手に作れるように練習するのが料理屋の使命じゃないのか?とツッコみつつ、友人が「今日の出来がどうか、賭けてみたいから食べてみよう」というので頼んだ。まあ食べたところで、初めて食べるから、今日の出来がどれほどのものか分からない。せっかくなら今日の出来を、言い訳と共に教えてほしいよね、と話して大爆笑しながら食べた。ちょっと肉が固かったから、星2つくらい??

このお店、女子会コースで、ひとり3500円ポッキリで料理6品つき、さらにお酒が飲み放題。ただでさえ安いのに、1本2400円もするスパークリングワインのボトルまで飲み放題メニューに入っていて、大丈夫なのか?と心配になる。けれど呑み助のふたりは、ビールをたしなんだ後、ありがたくスパークリングワインのボトルを入れ、2人で2本空けてしまった。しっかり元をとって、これまた大爆笑。

2.「がん友」と楽しんだ乳がん治療ライフ


そういえば入院中も、初対面だったのに、彼女と話すといつもゲラゲラと大笑いをしていたのを思い出した。リハビリに参加して、たまたま隣にいた彼女に、たまたま話しかけてすぐに意気投合。

初対面で、しかも乳房全摘というハードな手術してすぐなのに、何がそんなにおかしいのか、夜な夜な病棟の休憩室で、あれこれ話して大笑いしていた。

彼女といると、どこにいってもこんな楽しい時間が過ごせていたなと懐かしく思った。抗がん剤治療をしている真っ最中、一緒に原宿で待ち合わせて、ウィッグを買いに行って、そのあとランチビールを飲みながらおしゃべりした。

抗がん剤で毛が抜けたあとも、ウィッグしてランチに行って「いま、髪どのくらいある??」なんて話をしながらビールを飲んだ。

「乳がん」なんて大変そうでシリアスな病気をして、けっこうハードな抗がん剤まで打ってるのに、何が楽しいのかおしゃべりしては笑っていた。そんな相手に出会えて、わたしの乳がん治療ライフは本当に楽しかった。

3.病気=お先真っ暗、とは限らない


病気になると、何もかもが不幸で真っ黒なイメージで、触れてはいけないような印象を受ける人も多いと思う。病気のことを人に話すと、なんと声をかけてよいかわからない顔をされたし、なんとなく「病人らしく」しなくちゃいけないイメージもある。

この「病気=お先真っ暗」な印象があるからこそ、がん宣告されると絶望的な気持ちになるのだろう。もちろん病気自体は放置すれば死に至るし、怖い病気ではある。ただ、病気を通じて、自分の中で気持ちの変化があったり、こうやって大事な友人と出会えたり、わたしにとって病気はたくさんの変化をもたらした。もちろん、しんどかったことも多かったし、無事に治療を終えて、元気でいられる今だから言えることだけど、治療が終わってまる5年が経とうとしているいま、病気は私の人生を考えるのに大きなきっかけで、よい経験だったと思える。


乳がんにならなければ彼女に会えなかったし、病気が見つかった時期や病院、入院時期など、すべてのタイミングが揃って彼女に会った。これだけ取り上げても、乳がんにならなければ出会えなかった人がいる。そのほかにも、自分が乳がんの体験を発信したことで繋がった人もいるし、お世話になった人もいる。もうなりたくはないけれど、乳がんのおかげ、部分も大きいのだ。

大きな病気は、自分の生き方を振り返ってみるチャンスだと聞いたことがある。いろいろな日常のルーティンが止まることで、無理な生き方をしていないか、天から問われているとも言える。

わたし自身も乳がんの経験を経て、人生に対する考え方が大きく変わった。死を身近に感じたことで、人生は有限なのだと体感した。だから、限られた時間をもっと自分の好きなことに使おうと思った。時間=人生だ。遠慮したり、気を使ったり、他人の顔色を窺ったり、そんなことに人生を使うよりも、自分が笑顔でいられることや、夢中になれること、自分にとって大事な人に時間を使おうと思った。我ながらひと皮むけたなと思う。


4.わたしが自分のことを発信する理由


そのがん友は、私が先日書いた記事を読んで、とても喜んでくれていた。あまりに嬉しくて、その記事を彼女の友人にシェアしてくれたらしい。その記事を読んでくれた方の中には、感動して泣いてしまったという人もいて、わたしの書いたこと、そしてその文章に心動かされたと言ってくれた。

また、好きでこだわり続けて続けているフラメンコについても、パワフルで前向きで見ていると勇気がもらえると言ってくれた。

そして、乳がんの経験談をブログで発信していることについても、「わたしには出来ない。すごいね」とほめてくれた。

私が病気のことも包み隠さず発信するのは、わたし自身「悪いことをしているわけじゃないし」という気持ちがあるからだ。

そもそもわたし自身の秘密のハードルが低いのだろうが、別に自分が悪いことをしているわけではないし、逆になんとなく乳がんという病気を体験できる人はそんなに多くない。

もうひとつ、自分が病気になったとき、病院の情報ではなく、一般の人の体験談が知りたいと思ってブログを探したのだが、思ったようなものが見つけられなかったのも発信する理由のひとつ。

副作用で苦しいとか、手術の経過など、治療の「記録」的なブログはあったが、それがどう感じたのか、その人にとってどんな体験だったのか書かれたものは見つからなかった。そして、病気だけど結構楽しんじゃってる人、のブログも見つけられなかった。

だったら、次に誰かが乳がん宣告を受けたときに、わたしのブログが役に立つかも、と思った。書くことは好きだし、しゃべりたがり、教えたがりの性格だから、自分の体験を書くことに抵抗はない。

誰かの役に立とう、というよりは、「たまたま体験しちゃったもんで、この体験談使えるなら使ってよ」という”もったいない精神”から来ている行動だ。それで役に立てばうれしいし、儲けものだ。だから書くことにさほど勇気も使ってない。

けれど、友人からするとそれはとても勇気が要ることらしい。確かに大きな病気は隠す人の方が多いと思う。周りがどう扱ってよいかわからないし、腫物扱いされるのが嫌、とかいろいろある。思い切って開き直ってしまえばそうでもないのだが、そこに至るまでは結構勇気がいるのはわかる。

※乳がん関連の記事はマガジンにまとめているので、よかったら。


5.わたしをパワフルだと言うがん友のほうが、よっぽどパワフルな件


ただ、書きたいから。と、あけすけな病気体験を書き、ただやりたいから。と言う理由だけでフラメンコをしつこく続けているわたしだから、自分ではとてもわがままな生き方しているよなぁと思うのだが、がん友からすると、それがとてもパワフルで見ていて勇気がもらえるそうだ。


わたしはただ、好きなことを、やりたいようにやっているだけなのに、その姿に勇気をもらえると言ってくれる人がいるのはすごく嬉しいし、驚きだ。

しかし、わたしから見れば、彼女のほうがよほどパワフルですごいと思う。

ここからは、わたしが彼女を「パワフル」と思わせるに至った、彼女の武勇伝エピソードを少し紹介しよう。

5-1.勢いがよすぎるリハビリ



以前の記事にも書いた通り、ビビりで痛がりのわたしは、手術直後の傷も癒えないうちに、リハビリでどんどん腕をあげなくてはならないのがとても怖かった。だって何もしなくても痛いのに、腕あげたら裂けちゃいそう。

けれど、そんなビビりのわたしの目の前で、彼女が腕をグイグイあげていたから、彼女はわたしにとって「リハビリ成功例」の生き証人となり、わたしの目標になった。手術日がちょうど1週間先輩だったから、1週間後にはあそこまで腕が上げられるようになろう目標にしてリハビリを頑張れた。


5-2.抗がん剤治療中の酒デビュー


抗がん剤治療中のお酒も、彼女が先駆者だった。わたしは飲みたかったけれどぶっ倒れたらどうしよう、と怖くてできなかった。わたしは担当医に「お酒飲んで良いですか」と聞いたが、彼女ももちろん、担当医にお酒を飲んで良いか聞いたそうだ。

ふたりとも担当医に同じことを聞いて、似たような回答をもらっていた。た。そもそも、まず抗がん剤治療中に「お酒を飲んで良いか?」という質問をする人自体がいない。だからそれに答えるマニュアルがないし、考えたこともないという反応だった。けっこうお茶を濁されたが「ダメではないけど、ほどほどに」と言われた。それはわたしたち酒好きの中での解釈は「飲んで良し」なのである。

けれどわたしは自分から飲む勇気がなかった。だけど一緒にランチしたあの日、彼女がさくっとランチビールを頼んで、その後もぶっ倒れずにキャッキャと楽しくおしゃべりしていたし、これまた先駆者の生き証人として、わたしもお酒解禁となった。まあ、お酒は飲まないほうが良いだろうが、わたしたち酒好きにとっては、酒が飲めないことはクオリティ・オブ・ライフの面で死活問題なのだ。

わたしにとっては、自分の病気を公表するなんて、ただ書くだけで痛くも痒くもない。だけど、実質的な痛みが伴う腕を上げるリハビリや、ぶっ倒れるかもしれない抗がん剤中の飲酒などは怖くてできない。

5-3.抗がん剤治療の最中にさっさと仕事復帰


さらに彼女は、復職も早かった。乳がんがわかり、休職していたのだが、抗がん剤治療が始まってから、「家にいても退屈だし、抗がん剤もまあ大丈夫だから復職するわ」と抗がん剤治療がはじまって3か月経たないうちに職場復帰してしまった。

その後、朝イチで抗がん剤を打ってから出社していると聞いた。すげぇ。にんにく注射を打ってから出社する人は聞いたことがあるが、抗がん剤を打って、その足で出社するとか信じられない。

確かに抗がん剤の副作用で起こりがちな吐き気は、その副作用を抑える強い吐き気止めで大したことなかったし、抗がん剤の影響で白血球の減少はあれど風邪もひかず、割と普通の生活ができていた。

それでもやっぱり、ビビりなわたしには抗がん剤を朝ぶち込んでから会社に行くのは嫌だ。当時わたしは仕事をしていなかったが、自分が同じ立場だったら復職はしないだろう。だるくなったら嫌だし、そういうことに関しては非常にビビリで慎重なので、朝イチで抗がん剤を入れてそのまま職場に向かう彼女を尊敬するの眼差しで見ていた。

その後、彼女は2つめの抗がん剤で副作用が強く出たらしく、足のむくみがひどくて大変だったようなのだが、そのときのLINEメッセージは「ヒールが履けなくて困る」だった。

困るのはそこ?と心の中で突っ込んだ。

わたしだったら足のむくみが出て靴が履けないなんて大騒ぎ案件だ。ヒールとかそんなところに気持ちが行かないぐらいビビって騒いでいただろう。

そういう意味で彼女はいつもキモが据わっているので尊敬する。

6.「自分らしさ」が、誰かに勇気を与えている


わたしも抗がん剤治療中にフラメンコレッスンに通い、発表会に出たが、発表会は一番調子が良い時期に当たるよう逆算してもらい、「フラメンコメイン」で抗がん剤のスケジュールを組んでもらった。わたしがどうしてもやりたいから、無理やりやっているだけで、毎日会社に行く彼女のほうがよほどパワフルだと思う。

けれど彼女は彼女で、わたしのことを「すごい、わたしには出来ないことをやっている」と言ってくれる。

ちょうど彼女と会った日は、フラメンコで6月に行うライブのソロライブに出演することを決めた時だったのでその話をすると、彼女を応援しに来てくれると言ってくれた。はっきりって私の踊りが上手くない。だが、踊っている姿を見ると勇気が出るそうだのだ。だったら私だって、出来る限り自分の楽しさを表現できるように練習したいと意気込みが入る。

そうやってなんとなく補い合えていることがすごく嬉しい。彼女との出会いは、本当に乳がんになってからの私の人生を明るく彩ってくれる出会いになったと思う。

彼女との関係だけでなく、お互い、自分が自分なりに普通にやっていることが、相手からしたらすごいなと尊敬してしまっていることは結構起こる。

人は自分にない部分に憧れを持つ生き物だ。だからこそ、自分にないことをやれている人をみると「すごい」と憧れるのだ。

世の中、完璧な人間などいなくて、みんなそれぞれ得意不得意がある。だったら、自分らしく生きれば生きるほど、その需要と供給がマッチして、自分らしく生きているだけでそれを「いいね」と言ってくれる人が登場するんじゃないだろうか。

だからこそ、嫌なことを無理してやるより、自分の価値観を信じて、自分なりに納得がいく人生を全うしたほうが、世の中うまくいくんじゃないかな、と思う。

もし神さまがいるとしたら、互いが互いを補い合えるように、うまく得意不得意を配分して人間をつくってくれてるんじゃないだろうか。そう信じて、自分は自分の道を精いっぱい生きていこうと思う。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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