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「急にいなくなる」家出する子ども。大人も、子どもも、必要なのは「居場所」だと思う件


NHKの朝ドラを見るようになってから、その後の「あさイチ」も見るようになった。

さまざまなテーマでのトークがあるなか、先日は「家出する子ども」の特集。

若者の自殺がとんでもなく多い日本だが、家出の数もとんでもなく多い。届け出があるだけで1万件を超えるとか。

番組上は、その背景にコロナでの不況や、コロナによる休校などで子どもの自宅時間が増えたことを挙げていて、居心地の悪い家でも、学校や友達との外出でなんとかしのいでいた子どもたちが、たまらず家を出たことが急増の理由と言っていた。

番組内での視聴者投稿では、コロナのせいで、といってはいるが、以前からこういう問題はあって、それがコロナで表面化しただけではないか、という投稿があったが、確かにそう思う。

10代の学生は、お金も行き先もない。だけど家にはいられない。仕方なくツイッターで泊めてくれる人を探す。そこで危ない目に遭ったりすることも少なくない。

それは事実としてあるし、もちろんSNSで知らない人にいきなり会わないとか、SNSマナーと言うのは当然知識として必要ではあるんだけど、

問題は家出をしなくてはならないくらい追い詰められている環境なのではないか。子どもはもちろん、親も。


1.子ども目線で見る


家出する子の理由は多種多様。共通するのは「家が居場所ではない」ということだろう。

わたしが育った家は、虐待とかなかったけれど、それはそれは息苦しい家だった。毎日のように「金がない」と嘆いて怒っている父の顔色をうかがいながら、父がいないときは、父の傍若無人ぶりを嘆く母の愚痴を聞きながら、中学校ではいじめられていた。

わたしが中学生の頃は、尾崎豊が盗んだバイクで走りだすとか歌っていた時代で「不良」というのがリアルにいた時代だった。オキシドールで脱色して、あからさまに派手になっていくプチ不良組が、なんか怖いなと思いながら、ちょっと憧れていた。ああなればいじめられないと思ったから。

家にも学校にも居場所がない。程度問題はあれど、ずっとそう思っていた。

わたしは勉強は好きな方だったのと、田舎住まいだったので、大学進学を理由に家を出る、というのをチャンスに、家を出ることに成功したからよかった。

もし大学に行けなかったら、一生この家にいることになるのかという不安と恐怖にかられたことは何度もある。

当時は家出なんて寓話の世界の話で、誘拐騒ぎになったものだが、いまみたいな時代だったら、何かしらの策で家を出ようとしたかもしれない。


2.親目線で見る

居場所がない子どもたちのことを考えると、昔の自分を見ているようでたまらない気分になる。

だがわたしは母親で、子育ても経験していて、そのとてつもなく煮詰まる感じも経験している。

わたしは息子が小学校高学年になるまで、専業主婦で子どもを育てていたが、金銭的にも生活に困らない程度であっても、息が詰まってノイローゼになりそうな時期があった。

そしてわたしの実家はいつもお金に困っていて、お金の話でケンカばかりしていたので、お金がないと人間まったく余裕がなくなる、というのも体感として分かる。

では、お金に余裕がない人が、家庭いう小さな単位で、誰からの助けもなく子育てをするとしたら??助けを求める相手がいなければ、煮詰まってしまう。

虐待する親の肩を持つつもりは毛頭ないが、追い詰められると人というのはとんでもない行動に出る。

特に子どものような、理屈が通じなくて、身体的に弱いものにそのストレスのはけ口が向かいやすいのは想像できる。

わたしは自分の子どもがめちゃくちゃ可愛いし愛しているが、それでも、幼児を放置して死なせてしまった母親のニュースなどを見ると「他人事ではない」と思ってしまう。それくらい何度も「何もかも投げ出して、逃げたい」と思ったことがあるのだ。

自分の幼少期の経験から、「息子の居場所を作ってあげなければ」という使命感にかられて必死で頑張って、息子は生来の気質も手伝って「おうち大好きっ子」になった。息子の居場所を作ることには、いまのところ成功したようだ。

だけど、そもそも実家に自分の居場所がなかったから、自分の新しく作った家庭に自分の居場所を見出すことができていなかった。いつも居心地が悪く、いつも怯えている状態だった。

そして常に「家事育児をする人」となり、頑張って息抜きをしても、自分が消えてなくなりそうな気持ちになっていた。

紆余曲折あって、やっと最近、家にいることが苦痛ではなくなったが、子どもの頃に自分の居場所がない経験と言うのは、大人になってもこういう形で影響するのだと体感した。

そういうときに救いになるのは、共通の悩みを持つ友達だったり、似た境遇の人たちと少し愚痴をこぼしたり、励まし合ったりすること。ほんの少しの息抜きでも、なんとかこらえる術になったりする。

それさえなかったら、本当に息が詰まってしまうだろう。

3.コロナは悪化に拍車をかけた


そして、冒頭でコロナのせいじゃない、という意見も出したが、コロナで「状況がより悪化した」家はかなり多いのではないかと思う。

息子が中学生のわたしでさえ、2年間の断続的な休校に振り回されてメンタルが不安定になった。親子関係がよいわたしたちでさえ、ずっと一緒にいると煮詰まって嫌気がさしてくる。さらに旦那まで在宅となると、煮詰まりマックスだ。ひとりで静かな時間は皆無。

ここに来るまでは紆余曲折あったにせよ、現在は比較的落ち着いている我が家でもストレスが多い。というか、ストレスをめちゃくちゃ感じているのはどうやらわたしだけ。

息子と旦那はおうちが大好きだし、学校嫌いな息子は「休校がずっと続けばいいのに」とゲームに興じているし、旦那は周りの雑音が気にならず鈍感力も高いので、いつもヘッドホンで爆笑しながらテレビをのんびり見ている。

周りのノイズが気になり、家族がいればやることがエンドレスな主婦のわたしだけイライラするのかもしれない。

政府は「休校でっす」とひとこと言えば対策を打った気になっているかもしれないが、この全国の母親の負担を塊にしたら、誰か呪い殺せるくらいの負担にはなっていると思う。

コロナ不況で仕事が減ったということがない我が家でこのザマだ。仕事がなくなったなどとなったら、それはもうとてつもない心労と不安、ストレスにさらされる。

不安要素が全部乗せになったら、そりゃもう親も冷静ではいられないし、その煽りを受ける子どももたまらない。逃げたくもなる。

だから、なんか、いろいろ、「それはダメだよ」とか、気持ち的に責められない。

4.政治はわたしたちを救う気があるのか?


そして、どうしても被害者になりがちな子どもに、救済の手が届かないことも問題だ。政府は投票する老人にばかり色目を使い、子どもの未来なんて放置。

少年犯罪があれば大騒ぎするけれど、その背景にある問題を解決しようとはしない。うっかりすれば、問題さえ見えてないんじゃないか。

中学生の息子を持つアラフィフ主婦としては、コロナ禍の政府の対策は、「まったく子どもたちの成長と未来が考慮されていない」ものだと思った。

いちばん多感な時期に、いちばん身体を動かし、刺激を受けて成長する時期に「家にいろ」「人に会うな」で終わり。って何?と、忸怩たる思いをもって生活している2年間。そしてまだ続きそうな感じ。うんざり。

子どもの未来をなんだと思っているのだろうか。未来を創るのは子どもで、その未来を担う子どもにお世話になるというのに、ほったらかしでケアもなし。

ご近所さん付き合いがなくなって、核家族化して、付き合いが薄くてラクだけれど、その分よそのお宅の事情が分かりにくい。そして介入しにくい。お互い介入しないぶん、全部自己責任。

だからこそ、家庭という狭すぎる世界で起こるあれこれが検知されにくく、問題が起こっていそうな場所にも踏み込めないまま親子とも追いつめられる。

番組にも、若者の救済に取り組むNPOの方が出ていたが、人数が圧倒的に足りない。取り組む問題が根深いから、対応にも時間がかかるし難しいだろう。NPOのような草の根でしか活動できないので、金銭面のやりくりも大変だし、となると、救える人数に限りがある。

国が打つ政策はいつも的はずれで、絵にかいた餅になる。だから、番組内でも言及されていたが、民間の活動をじゃんじゃん予算をつけて支援するとか、そういう考え方で、少しでも救済を必要とする側の目線で対応できる人を増やしていくしかないと思う。

では、何が救いになるのか?それは金銭的な面ももちろんだけど、精神的な安心感。それこそ、家出する子どもも、家出をしたくなるような家にいる親も、「つながり」や「救い」があれば、少し救われるのではないかと思う。

5.他人に冷たい日本人


海外に住んだことはないが、日本人はある意味、冷たいと思う。見てみぬふりが上手だ。

日本人のムラ社会や同調圧力に言及する劇作家の鴻上尚史さん曰く、日本は農耕民族で、ムラでまとまらないと生きてこられなかった経緯から、自分の身の回り(ムラ)の人は身内、それ以外は他人、という区切りがあって、ムラだけは大切にするが、他人には関わらない性質があるという。

震災やら大きなことがあると「絆」とか言い出して、なぜか震災にまったく関係ない遠方の人が「祭りを自粛します」だの言い出すし、その思いやりだかなんだかわからない何か、自分だけ楽しんだらズルイ感を感じさせる罪悪感、その正体が「世間様」なのだろう。

実体がない「世間様」を気にして、家の中の問題を隠し、「世間体」を気にして無理な進学を強要する。世間体さえなければ、もっと自由になる気がするけど、それが日本の歴史だから、すぐにはなくならない。

6.必要なのは「居場所」


政治とかコロナとか置いといて、とにかくいまの問題に必要なのは、それぞれの「居場所がある」という感覚なんじゃないかと思う。

わたし自身、小さいころの我が家に居場所がなかった。母はわたしに優しかったから、めちゃくちゃハードな境遇ではなかったかもしれないけど、少なくとも、わたしが安らげる場所ではなかった。

大学からひとり暮らしして、やっと自分の好きなようにできると思ったけれど「居場所のない感覚」は抜けなかった。ひとりだから自由なのだけど、それはそれでそわそわする感じ。落ち着ける場所が見つからないから、外で遊んでばかりいた。

今度こそ落ち着ける場所を、と思った結婚後も、居心地のよい場所を味わったことがないので、自ら居心地を悪くしていたなぁ、といま振り返って思う。折り合いをつける、と言うよりは、自分の思い通りにならなければ怒る、という形でなんとか自分の理想を実現しようとしていたが、相手のある話でそれは難しかった。

さらに息子が生まれ、自分や旦那よりも、もっと思い通りにならない赤ん坊と言う生きものが誕生した。自分の在り方よりも、か弱き息子の育児に必死になり、自分がほっとできる時間はさらになくなった。

幼いころから家庭は常に緊張する場所だった。だから家が「落ち着ける居場所」という感覚が持てないまま大人になった。家に帰りたくない族のままだった。

そこから、ほんとうに紆余曲折あって、ここ2年くらいでやっと、年齢のせいもあって、自分の家に「帰りたい」という感情が湧くようになった。

子どもの頃に「家に居場所がない」という感覚は、それほど長引いてしまうし、それを克服できる人もいれば、それから抜け出したいと願いながら、似たようなシチュエーションを作ってしまう場合もある。

家に居場所がなければ、ほかに作るしかなくて、「たまり場」みたいなものは、そういう場所なのかもしれない。

とにかく「自分が自分でいられる場所」を、家じゃなくてもいいから、ネット上でもいいから、作れたらいいなぁと思う。危ないこともあるけど、それは書ききれない。自分の危機管理能力と調査能力と感性で、「ここならホッとできる」と言う場所やつながりが見つかれば、少しは救われる気がする。

とはいえ、かくいうわたしも、いまだに確固たる居場所が見つかっていないので、そんな簡単に見つかるものではないのかも。でも、誰か本音を言える大人だったり、友達だったり、何かしらの小さなことが、自分の希望につながるのではないかと思う。

7.いまここで、わたしができることは何か?


とかいっても、すぐに何かが変わるわけではない。

何もかもが思うようにほいほい変化するわけもなく、政治家も素敵な政策を打ってくれるわけではない。

だったらどうしたらいいんだろう。

いますぐわたしにできることは、このnoteで「それちょっと違うと思う」「こうしたらいいと思う」と意見をいうことくらいだ。

バタフライ・エフェクトというのだろうか。その1アクションがいったい何につながるか分からないけど、数十年後に大きなムーブメントにつながるかもしれない。だから問題提起するし、自分の意見も言う。

ほんと、いち個人ではそれくらいしかできないのだ。

だからこそこういう場で発言して、共感を得て、みんなで動きを作れたらいいなとぼんやり思っている。

そのために、こういうつながりを持てたら良いんじゃないか、とか、こうしたらよくなるんじゃないか、とアイデアを出す、世の中に伝える。まずはそこから。

こういう問題に正解はない。すぐによくなる方法もない。正解はないけど、じゃあ、少しでもよくなる考えを世の中に提示することならできるから、できることからやるしかないのだ。


今日もお読みくださりありがとうございました!


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