「なんでもポジティブに転換」する人が苦手な理由
「なんでもポジティブに転換」してくる人が苦手。
そりゃあ人生、ポジティブなことばかりのほうが嬉しいかもしれないけど、ネガティブな事柄に関して「でも、こう考えればポジティブじゃない?」と無理に変換してくる人はどうも苦手だ。
わたしは生来完全にネガティブ思考な人間で、悩みすぎて思考がネガティブの極みまで達して「地球が滅亡する」までいけちゃうタイプなので、自分の取り扱いに困ってしまった時期がある。
そのときはなんとかこの癖を直そうとして「ポジティブ思考の本」なんてのも読んだりして思考の癖を直そうとしたが無理だった。
そのうちに気づいてしまった。
世の中、陰と陽があるわけで、陽しかないなんてありえない。で、嫌なもんは嫌だし、辛いことは辛い。
それを「でもこれってポジティブに考えればこうよね♪」とやってしまうと、ネガティブに感じている自分の気持ちを否定することになるのだ。なので思考をポジティブに変えようとトレーニングをしていたときのストレスはすごかったなぁと思う。
ネガティブはネガティブで受け止めて「ああ嫌だ」と嘆けばよくて、そのぶんポジティブな出来事は素直に喜べばいい、と分かってきてからはかなりラクになった。
1.「なんでもポジティブに転換する」人は、実は相手を否定している
だけど最近、知り合いに「なんでもポジティブに言い換える癖がある」人がいて、ちょっと困っている。
ものすごく明るくて親切で楽しい人なのだが、付き合いが長くなって、ときどき「ん?」という違和感を感じるようになってきてしまった。話している最中は楽しいのだけど、会ったあとにどっと疲れる感じ。
たとえば、うちのような手がかかる気難しい息子の子育てについて泣き言を言ったりすると「でも、わたしそういう子って好きよ。そんなユニークな子って将来が楽しみよね」という、ありがたいコメントをくださる。
うちの息子がユニークな子だってのは自分もよくわかってるし、彼の個性はわたしだって愛している。だけどそれを超えて手がかかることにアップアップしているからこそ、ポロリとこぼした言葉にその余裕ぶっこき発言は、子育てに疲れた自分からさらにエネルギーを奪っていく。
「でも」というのは相手の言葉を真っ向から否定する言葉だ。よく使うけどそういう言葉だ。
ちなみにその方のお子さんはうちと真逆で「ザ・優等生」。学校も部活も充実し、成績優秀。友達関係も満喫。毎日が充実していてザ・青春な毎日を送り、勉強も「ノータッチ」で勝手にやっている、という。
似たような経験を持つ人なら話は別だが、そんな全く違う子を育ててきた人が、息子の行く末を案じるわたしに「でも、子どもの人生は子どもが決めることでしょ♪うちは息子に任せっきりだから🎵」と言ったら、それはもはや「うざいだけで何の役にも立たない説教」、いや、もはやただの自慢話でしかないよね。
そりゃあそんな子どもがいたら、うちの子の手のかかり具合なんかわからないでしょうよ。子どもの人生は子どもが決めるなんてわかり切ったセリフも吐き気がするし、その無茶な「ポジティブ変換」うざくて仕方がない。
わたしだって、そんな出来の良い子を持ったことがないし、そちらはさぞかしラクな子育てだったでしょうにと思ってしまうが、その家にはその家なりの苦労や悩みがあっただろうし、それは絶対にわたしには分からない。
人は経験しないことは分からない。だから、分からないなら分からないでいいのに、たちが悪いのはそういう人って「分かった風」の発言をさらりとポジティブに変換するところだ。鼻をつまみたくなるようなクサさがある。
その人の話でモヤモヤしていて、いったいこの人の何が嫌なんだろうと考え込んでしまった。
で、考えた挙句「ネガティブを否定しているから」だと気づいた。
嫌なものは嫌。辛いものは辛い。仲良くて気のおけない友人に話せば「うわぁわかるわぁ。最悪だよねぇ」で済む話を
「でもそれってこう考えればポジティブじゃない?」って提案、いらないっす。悩むときも辛いときも、そのときそのときをなんとか乗り越える、ただそれだけしかないのは分かってけどこぼしたいだけだから、くさい説教は本当にいらないっす。
と分かってからは、その人に子どもの愚痴をこぼすのをやめた。
その人は何となく、「根っからのポジティブ」ではなく「ポジティブでなければいけない」と自分に課している空気感がある。だから他人にも「無理やりポジティブ」を強要してしまうのだろうな。
ちなみに児童心理を学んでいると言っていたけど、正直そういう人には絶対に子育てに悩む人の相談に乗ってほしくない。
だって、育児に疲れてベコベコに凹んで相談に行ったら、「でも、こう考えたらラクじゃない?」って謎のポジティブを押し付けられるんだもん。絶望するよね。このタイプの育児相談とかお悩み相談おばさん多いから、公共の機関も使わなくなった。
自分のところが問題なかったからかもしれないけど、他人のところも同じように決めつけられたらたまらんよ。
ポジティブ思考の押し付けは「自分に考える余裕がある」という見せつけにも感じてしまうのは、わたしがひねくれているからかなぁ?
こういう発言になんとなく「上から目線」を感じてしまうし、だいたいそういう人って人の話を聞いてるふりして聞いてないよね。
そういえばその人も、会話を横取りしてわが子の充実度合いをさりげなくぶちかましてたから、それもモヤモヤの原因だとわかった。
2.根っからポジティブの人に同じ相談をしてみた
ちなみにわたしには「根っからポジティブ」の知り合いもいる。
その人の価値観を知って自分が相当ラクになったので、ものすごく頼りにしているし感謝しているのだが、その人に言わせれば
「大変なもんは大変だから、そういうときだと思ってやるしかない」
以上、なのだ。
この前、息子に手がかかりすぎて「心配で死ねないという人の気持ちが分かり始めた」とその人にこぼしたら
「じゃあ、もう死んだらいいわ」
と言われて爆笑した。
まぁ「死んだ気になって見守れ」という意味なのだけど、根っからポジティブな人ってその人のことを否定しないし、無理にポジティブに変えさせようとしないし、「ふーん」とまっすぐ受け入れてくれるんだなと。
自分は人間観察と分析が趣味なので、いろんな人のいろんな言動をついつい深読みしてしまうのだけど、おかげで一見いい人だけど距離を置いたほうが自分にとってラクな人が分かったり、あっさりしているけどシンプルで自分がすんなり受け入れられるアドバイスをくれる人に出会えたりと、自分にとって居心地の良い人がわかるので、まだまだ人間観察はやめられないと思う今日この頃だ。
今日もお読みくださりありがとうございました!
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