見出し画像

それがゲームだっていいじゃない?

「またゲームばっかりして」

中学生男子を持つ母で、この言葉を発したことがない人の方が少ないんじゃないかというくらい「あるある」な「息子がゲームに夢中である」問題。

息子がゲームデビューした小学校低学年の頃には、わたしも「親っぽくせねば」と気合を入れ、「ゲームは1日1時間」とか「破ったら禁止」とか、「親っぽい規制」みたいなのを頑張ってみた時期があった。

けれど割と早いうちに挫折した。挫折してしばらく放置して、でも他のお宅のルールを聞くとやっぱり気になって、いきなり厳しくしてみたり、ブレブレな感じで数年間、葛藤しながら過ごしていた。

それもこれも「ゲームのやりすぎは悪」と思っていたし、やはり幼い息子をゲーム漬けにするのはどうなのか?という疑問もあった。目も悪くなるし頭も悪くなりそうだし。自分的に困ることはないのだけど、「ゲームを制限しない親はダメな親」的な雰囲気もあったというか、なんというか。

そんなブレブレのわたしをよそに、息子はがっつりポケモンのゲームにはまり、まだ難しい感じも読めないうちに、辞書並みに分厚いポケモン攻略本を夢中で読みこなし、新しくクリアしたステージやら、ゲットしたポケモンやらを嬉々として報告してくる。とにかくゲームの話をするときの顔がめちゃくちゃ生き生きしているのだ。

そして意外と勉強にも効果があるのではないかと思うことが出てきた。

寝る前にはポケモンの攻略本をわたしに(無理やり)読み聞かせしてくれるし、ポケモンはレベルごとに3段階の進化で別の生き物になるのだが、100を超えるポケモンの三段進化をすべて覚えていた。

本は読めるようになり、三段活用の暗記もできるようになっている。しかもポケモンのネーミングは、ちょうちょのキャラクターなら「バタフリー」など、英語(ちょうちょ=バタフライなど)をほうふつさせるようなものが多いので、ポケモンキャラの話が上がるたびに、「それは英語でバタフライって言うちょうちょの意味を文字ったやつだね」とウンチクを入れ続けた。そうすることで英語の勉強にもなる。

そしてなぜか息子は漢字はサッパリ書けないのだが、国語の読解がやけにできる。これはポケモン攻略本のおかげではないかと思っている。というか、それしか思い当たるフシがないのだ。

だからなんだか、ゲームを規制することが正しいのか分からなくなってきていたし、そもそも自分自身が放置プレイの親の元で育ったせいか、「親っぽい規制」をやればやるほど罪悪感と矛盾を感じていた。

そんなこんなで苦悩と試行錯誤を繰り返していくうちに、わたしもだんだん惰性になり、放置プレイ状態になってきて、結局息子はがっつりゲーマーに仕上がって、中学生になった。

(※ちなみに息子は中学受験をしたのだが、入れた塾が監禁タイプの塾で、とてつもない時間を塾で過ごし、塾で勉強をすべて完結してきたため、家では勉強をしなかった。なので家では結局ゲームをしていた。この話はまた別で書こうと思う。)

そしてがっつりゲーム世代ど真ん中の中学生、合格祝いにプレステ4をゲットし、ニンテンドースイッチから画面も操作も快適になった息子は、さらにゲームに夢中だ。

まあ、何かに夢中になれる青春を過ごしてほしいと願っての高みを目指さない、逃げの中学受験だったので、そんなことは想定内だ。進学校というより、青春しようぜ的な学校に入れたので、落第もあまりなさそうだし、受験もまあ大変だったし、とりあえずやりたいようにやらせてみようと様子見だ。

昨年は中学1年生だったが、例のウィルス騒ぎのど真ん中で入学式は延期、休校続き。友達も作れない状態で、結局休校中は、学校からちょろっと出された課題をした後は、毎日のように塾友とオンラインで「フォートナイト」をやりまくっていた。もともとインドアな息子なので、ノーストレス、オンラインバンザイ、学校休みバンザイ状態で、本人は長すぎる休暇を満喫していた。

親からすれば、休校でも学費はしっかり取られるし、この13歳という多感な時期に、今だからこそ経験したほうがよいことがたくさん待っているはずの中学にリアルで通えず、やきもきしていたが、今思えば学費やらなにやらにやきもきできるなんて、息子がノーストレスで引きこもりライフを謳歌して、精神的に健康そのものだったから愚痴れたことだったかもしれない。平和な証拠だ。

そんな感じで堂々と学校に行かずにぬくぬくとゲームをし続けた1年生を経て、さらにゲーマーに磨きがかかった息子、現在中2である。

登校は始まったが、相変わらずどちらかというとゲームが本業である。

本人曰く

「リア充と違って陰キャなオレは学校でもからかわれたり、嫌なことがいっぱいある。授業もダルイし、つまらないこともある。でも、帰ってゲームすれば息抜きになるし、ちょっと嫌なことがあっても今日クリアするゲームのことを考えればやり過ごせる。この楽しみを奪われたら死ぬ」

というので、

まあ、わたしも心のよりどころとしてフラメンコがあるし、がんの治療だってフラメンコの発表会に出たい一心で頑張ったし、取り上げられたら死ぬと思うので、言い返す言葉がない。

なので、いくつかの条件を満たせば、うるさく言わないと決めて、うっすら柵ありの放牧状態で見守っている。

条件はざっくり2つ。

ひとつは、ゲームはリビングでやること。誰かとオンラインでやっているとクソうるさいが、とりあえず高校生くらいまでは深夜とか明け方までゲームはどうかと思うし、オンライントラブルもありそうだし、何をやっているかだいたいわかるよう、うるささは我慢してリビングでやっていただく。

ふたつめは、ごはんと風呂と最低限の勉強、学校生活に影響が出ない程度の睡眠をしっかりとる、要は本業が学生で、いちおう人間らしい最低限の生活をするということ。

オンラインゲームあるあるだが、あまりに遅くまでやったり、ご飯の時間に辞めないと、あちら側のお母ちゃんの怒鳴り声が聞こえたりする。

なのでわたしも息子に、「ゲーム中は話しかけるな」と言われるが、ほかのお宅と同じく、ご飯に何度呼んでも来なかったり、夜遅くまでやっていてなかなかやめないときは、あえて大きな声で「やーめーろーーーー」とゲーム相手に聞こえるように言ってやる。

中学生男子がダントツに恥ずかしいのは


「母ちゃんに怒られているのを人に聞かれる」

ことである。

そんな毎日だが、最近、息子にちょっとした変化があった。
自ら志して、本格的にゲーム上達の練習を始めたのだ。

息子が今ハマっているのはシューティング対戦系の「APEX:LEGENDS」というゲームなのだが、友達と一緒にプレイするのはもちろんだが、一人静かに「自主練」をするようになってきた。

相変わらず学校のことはめったに話さないくせに、ゲームのことだけはうるさいほど熱く語る息子曰く、youtubeでゲーム実況をしているような上手い人に少しでも近づくために、自主練を始めたとのこと。

そしてうまくなるためには、漫然とやるのは無駄だと気づいたので、うまくなりたいポイントを絞って意識しながら集中して練習するらしい。ボーっとどうでもいいyoutubeを観るなら、うまくなるためにゲームが上手なユーチューバーの解説動画を観て勉強するらしい。

ゲーム上達のアドバイスをyoutubeで見て、狙った場所に射撃をする微妙なコントローラーの動きとかを練習しているようで、その成果を友達とのプレイ中に出せたときは、雄叫びをあげている。

うるさいけどあまりに嬉しそうなので、わたしまで嬉しくなってしまう。人が喜んでいるのを見るのは気持ちがいいものだ。

自分が黙々と練習した成果が出て達成感があったのだろう。
どれだけ練習して、どんな成果が出たか、わたしに熱っぽくキラキラした笑顔でまくしたてる。

わたしは息子のプレイ画面をたまに見る程度で実際にやらないので、何がすごいのかさっぱり分からなかったが、とにかく自分なりに頑張ったことの成果が出て嬉しかったんだな、というのは伝わってきたのでホイホイ一緒に喜んだ。喜んでいる人と一緒に喜ぶというのも楽しい。

すると今度は、新たな練習方法を試してみるというが、その内容に驚いた。

上手い人のプレイだけでなく、自分自身のプレイ動画を録画し、見直して、それを自分で解説してみたり、上手い人と比較して自分の弱点や改善点を洗い出し分析して、そこを改善すべく練習しようと思っているらしい。

めちゃくちゃ本気である。

我が子ながらすごいじゃないか。
振り返りをして自分を知り、目的を持って練習する。

これはすべてのことに通じる、わたしも40過ぎてから大事だと気づいた「振り返り」まさにこの記事で書いた「PDCA」ではないか。

もうこれは、応援するしかないではないか。

自分でやりたいことがあって、上達したくて、地味な射撃練習をして、動画で研究して、振り返りをして、目標を立てて練習して、実践する。ゲームだというだけで否定するのは大間違いだと思った。


よく、「やりたいことを見つけましょう」なんてキレイゴトが言われているが、やりたいことがなくても別にいいわけだし、息子のゲームのように、大人が喜ばなさそうなことでも別にいい。


けれど、世の中的には、大人が「ほほう」といいそうな、「いい夢だね」といいそうな、それっぽい感じの「やりたいこと」じゃないとダメな空気感がある。なんとなく「自己実現」的な?ちょっと気持ち悪い。


そして個人的に思う「やりたいこと」の定義は、
妙な自己実現ではなく

「頼まれなくても、お金にならなくても、夢中でやってしまうこと」

だと思っている。

わたしの場合はそれが語学だったり、フラメンコだったりする。夢中になってしまうことが稼ぎにつながれば良い気もするが、そうでない場合も多いし、わたしは今のところ、別にそれでいい。

でも好き。理由がなく好き。それをやって夢中になってしまう自分も好き。自分なりに頑張って成果がでたら嬉しいし、できないとめちゃ泣きたくなるけど、でもやっぱり絶対辞めたくない。とにかく好きなのだ。

そういうものを自分の中に持っておくことは、生きる希望につながる。

折に触れてそんなことを息子に話していたせいか、

「俺にとってゲームは、頼まれなくても夢中でやってしまうことなんだよ。うまくなりたくて地味な練習を黙々とやっちゃうくらい上手くなりたいんだよ。これが母ちゃんの言ってた、”やりたいこと”っていうやつじゃないの?」

と言った。

もうぐうの音も出ない。息子はとても成長している。
基本親バカなのは自覚しているが、こんな風に言われたら、周りになんと思われようと、母は手放しで応援してしまう。

息子のゲームへの闘志はめちゃくちゃ応援するし、わたしが話した「頼まれなくてもやってしまうこと」の話を覚えていてくれたことも嬉しかった。

もちろん本業であるはずのお勉強はそのぶんたいしたことはない(というか絶賛下降中)だが、なんだか楽しそうだ。基本、繊細だし自称陰キャだし、人に合わせるのがあまり好きではない息子なので学校もあまり好きな場所ではないが、とりあえず現在の彼を総合的に見るとイキイキしている。割と嫌なこともあるらしいが「ゲームがあるから大丈夫」らしいのだ。


滅多に学校や授業のことは話さないが、
「白米は土に埋めても芽が出ないんだよ、玄米じゃないと。食ってるこの白米は栄養分なんだぜ」とか、家庭科で習った話を急に口にしたり、
「体育祭のダンスがまさかのnijiUだった。中学生男子は恥ずかしくて踊れない。」だの、嘆きつつ愚痴りつつ、まあまあ楽しそうだ。


そして何より、ゲームだろうが何だろうが、自分が心底やりたいことに対して、目標を立てて、それに向かって試行錯誤するプロセスや達成感、自分から自発的に決めてやったことへの自信、そこで得るものは勉強よりも断然大きいと思う。


試行錯誤しながら子育てしてきたが、我が家に関していえば、ゲームは息子の成長に一役どころか、何役も買っている。

本は読めるようになり、暗記力はつき、目標を立てて地道に練習する力をつけ、達成感を感じる経験もできている。


夢中になれるもの。

それがゲームだっていいじゃない。


と強く思う今日この頃だ。

この記事が参加している募集

ゲームで学んだこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?