やっぱり「人」が大事。気持ち良い接客は心が華やぐよね
最近はレストランに配膳ロボットが配置されることも多い。
ロボットを使えば、人件費削減のためにローコストで「食事を運ぶ」という目的は達成されるけれど、やっぱり外食って、接客サービスも含めて楽しみたいよなぁ、と思うことがあったので書いてみる。
1.84歳と50歳の「女子会」
84歳になる一人暮らしの母とは、月に1回程度ランチを一緒に食べに行く。あちこち行ったこともあったが、最近はいつも近所の「藍屋」に行く。
「藍屋」はガストやバーミヤンを擁するすかいらーくグループの店舗だが、この店舗だけなのか、藍屋がそうなのかは知らないが、車でしか行けないアクセスの悪さが難あれど、店内が広々として、お客さん同士のスペースが広い。半個室のような席もあり、とても居心地が良い。しかも何を食べても薄味で美味しいので、関西出身の母と、その舌で育ったわたしは、とても口に合う。
先日もまた母を車で迎えに行って藍屋に行った。いつも開店直後に行くのだが、わたしが家を出る時間が遅くなり、到着したのはちょうどお昼どき。平日の昼間だし入れるだろうと思いきや、なんと駐車場が満車だった。
今日は他のところに行こうかと母に聞くと、変なものを食べるより、間違いなく美味しいものを食べたいとのことで、少し周辺をウロウロして時間をつぶし、再度訪れることにした。
1時間ほどしてから再度行くと、駐車場はまだ混雑していたがいちおう空いていて車を止めることができた。店内もピークを越えて落ち着いた雰囲気で、半個室の席に通された。
この店はファミレスと思えないほどゆったりできて、しかもちょっとした和食どころのような色遣いの店内で落ち着く。シニアのお客さんが多いせいか、座敷席は少なく、ゆったり座れる椅子席が増えているのもありがたい。
その日は和膳のランチを注文。いつもご飯を作り飽きているわたしは、湯葉だの、ごま豆腐だの、お刺身だの、ちょこちょこ少しずつ食べられる和膳が好き。お値段もランチなら1500円~2000円程度と、超リーズナブル。
母とふたりで、「やっぱりこの店いいよねぇ」と話していると、品の良い白髪の女性店員さんが、マスクの下からも分かる満面の笑みでお茶を持ってきてくれた。
お茶を置きながら彼女は「今日は女子会ですか、いいですねぇ。楽しんでゆっくりしていってくださいね」とほほ笑みながら声をかけてくれた。そしてわたしがしているネックレスを見て「あらそのネックレス、すっごく可愛いですね、素敵!」とも言われた。
その声掛けが、仕事だからという義務感でも、ゴマをすっているような嘘くささもなくて、本当に楽しんでくださいねという気持ちで声をかけてくださったのだろうな、という雰囲気で、その場がふわっと華やいだ。
久しぶりに会った母とも心地よさが倍増した。
今年50になるアラフィフと、84歳の母の2人を目の前に「女子会」と言ってしまえるそのセンスがニクイ。憎すぎてしびれた。
その店員さんは、グレイヘアというよりはシルバーヘアだったので、60代に差し掛かろうとしているかと思うが、そんな気の利いたことが言えるだなんて、なんてオシャレな人なんだろう。なんとも素敵な歳の取り方。
いつも食事は美味しいけれど、この日はなんだかいつもよりもっとリッチな場所に来たような気分を楽しめた。
しばらくして隣の席に、常連さんらしき中年男性が来たのだけれど、このお店が気に入っているようで「美味しいからたくさん頼んじゃうんだよねぇ」と言いながら、昼間から焼酎を飲んでいた。そのお客さんに対しても、彼女は「本当にいつもありがとうございます。ゆっくりしていってくださいね」と笑顔で対応していた。
2.配膳は「誰でもできるからロボットで」に反対
ここのところ、なんでもかんでも、「誰でもできそうなこと」は、AIだのロボットに取って代わらせようとしているけど、わたしはハッキリ言って反対。
個人的に、ごはんの味って、そのときの気分に左右されると思っている。
外食ってコスパ的には自炊より高いし、そこに「気持ちの良い接客」とか「気持ちの良い声掛け」があるだけで、ご飯が美味しく感じると思う。そうしたらまたこの店に来ようと思うし、そういう意味で接客って結構大事かなぁと思うんだけどな。
すかいらーくグループは猫の形の配膳ロボットがいるが、ここの藍屋は小上がりがあったり段差が多いので導入されていないのか、理由は分からないが、この藍屋には配膳ロボット置かないでほしいなぁ。
たぶん出てくる食事は変わらなくても、味わえる気分がわびしい気持ちに変わってしまうと思う。
最近は回転ずしもビューンと無人で飛んでくるが、なんとも味気ない。声で注文して「はいお待ち!」みたいなのがいいなぁと思う。
安い飲食店は経費削減したいのだろうし、確かにレストランは「注文して、食事を運ぶ」場所ではあるけれど、外食ってやっぱり自炊よりもずっと高額だし、最近はさらに料金も上がっているしで、安いファミレスでさえまぁまぁ高い。たいして美味しくもないものを、まぁまぁ高い値段を払って、ノロノロとロボットが持ってきて、自分でボタンを押して取って、、、って、面倒くさいんですけど。
うちの近所のガストなんて、もともと店が狭いので、ときどき狭い通路をロボットが通れなくてピーピー言ってて、それを店員さんが走って止めに来て、結局そのロボットを厨房に戻す操作をして、そこに乗っていた食事を人が運ぶという、なんだか分からないことになってたりする。冷めるじゃん。
しかも安全上の問題で配膳ロボットがめちゃくちゃスピードが遅いので、泡がしっかり立ったビールが飲みたいのに、届いたころには泡が消えていてガッカリすることもある。とにかくビールだけは人が素早く持ってきてほしい。というのが呑み助の希望。
そういうまともな接客を受けたければ高級店に行け、と言われるかもしれないけれど、そんなうやうやしいサービスを受けたいわけではなくて、せっかく人がいる場所に行くのだから、ちょっとだけいい気分になれたらお互い気持ちよいよね、ということ。
そもそも配膳て「誰でもできる仕事」じゃなくて、その人のサービススキルで、その後の再来店率とかだいぶ差がつくと思うし、これこそ人がかかわるべき仕事だと思うんだけどね。
3.心を潤すことを「不要不急」だと切り捨ててはいけない
コロナ禍で「不要不急」とされたのは、エンタメや芸術、そして会食。心を潤すものはすべて「不要不急」とされたけれど、人間が一番大事なのは「人との関わり」とか「心を潤すこと」だと思うんだよなぁ。
食べて、寝て、終わり。という必要に迫られたことだけをしていたら、生きてるのがつまらなくなる。
心が躍るような美しい音楽を聴いたり、転げまわって笑うような面白いものを見たり、そういう心が満たされることこそが一番必要だと思う。なのにそれを削ぎ落してしまったから、なんかすごく寂しい感じになっちゃったよね。
人が元気になれる瞬間て、それこそ仕事で疲れて一人で入った食堂でおばちゃんに「おつかれさま」と声をかけられて、なんか今日一日最悪な気分だったけど、ちょっとだけほっとした、とか、そんなもんだと思う。それがもし配膳ロボットだったら、気分は上がらない。
ということでわたしは「誰でもできる仕事はAIにやらせる」には反対で、一時的にはコストダウンになっても、結局売り上げも下がっていったりで、徐々にしりすぼみになっちゃうんじゃないかなぁと思う。
経済学とかまったく知識がないので、あくまでわたしの意見だが、人間てそういう「人との関わり」を無意識に求めていると思うんだよね。
今回みたいに、店員さんから気持ちよい接客を受けると、特にそう思う。
やっぱ人、なんだよねぇ。
いまはリユースショップでパートしているわたしだけど、レジとか接客するときには、できるだけ気持ちよく買い物してもらえるように対応しているつもり。
笑顔もちょっとした声がけも、減るものじゃないし、自分だってお客さんがいい気分になって気持ちよく買い物してもらえたら元気がもらえる。お互いにいいことしかないのだ。
もしかしたら「今日はあの店でいい買い物したなぁ」と思ってもらえたりするかもしれないし、そういうほんのり明るい気持ちが伝播すればいいなぁと思いながら日本の片隅で生きるアラフィフ主婦である。
今日もお読みくださりありがとうございました!
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