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「意味」と「イメージ」をひとつの言葉に内包する

花という言葉は、「花」をさす。花という文字は、花という存在の象徴。そんな話をした。言葉の「意味」と、文字の「イメージ」とがひとつの文章の中に宿る。そんな文章のあり方を想像している。

もともと、誰かの日記や雑記を読むのが好きで、そんなものを書いてみようと思いたってここに書き始めた。noteに文章を書いていく中で、だんだん、「文章を書くこと」と「絵を描くこと」のバランスについて考えるようになった。

いまのわたしにとって、絵と言葉のバランスはとても重要だ。どちらかがどちらかの意味やイメージの広がりを限定させることなく、相互に補完しあい、広がりをゆるすものであるべきだと思うようになった。

だからこれからここに書く文章はほんの少し変わるかもしれない。少なくとも、書こうとするものは変わるはず。わたし自身の存在など軽く飛び越えて、また、わたしの存在を知らずとも、わたしがこの世界に置いた絵や言葉の世界で自由に泳ぎ、好きなときに休めるように、つねに開かれたものにしたい。

「祝福」は、それをおこなった者の手から遠く離れ、どこかの海面にゆらゆらとたゆたい、子を宿す鳥の羽のあいだにひそみ、割れた果実の種となり、本のあいだにすべりこみ、何年も、何十年も、何百年も、手に取るひとがそのページを開くのを静かに待っているものなのだと思う。

忘れないように、書き留めておく。

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こんな、ひとりごとのような文章をいつも読んでくださって、ありがとうございます。書くことがいま、とても大切です。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。