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自己否定が強かった時期

カルフォルニアから帰国後引きこもりだったという記事を少し前に書きましたが

今回は、その後Web業界で働き始めたことについて書こうと思います。

帰国したのは1998年だったかな?まだまだパソコンは、一家に一台ではなかった時代だったけど、短大の時タイプライターは授業でやっていたのでブラインドタッチはできたからなのか、パソコンは使えた方がいいだろうという思いはあったんですよね。

留学中に学校で少しパソコンを使うようになり、留学先の友だちとはメールアドレスの交換はしていたのでどこかでパソコンを使える環境があった時に使うようになったくらいの頃でした。

やりたいこともわからない、留学までに社会人経験はあったもののどんな職種があるのか、どんな業界があるのか、どんな仕事があるのかわからないことだらけだったので、仕事を探すにもどうやって選べばいいのかもわからなかったんですよね。

そんな時、パッと目に入ってきたのがWebデザインの学校の案内

それまでは全く縁のなかった分野だったので、知った時にはこんなことができるようになれるの?やってみたい!と素直に思ったんですよね。

パソコン持ってないけど、大丈夫なのかな?とも思ったけど、留学から戻ったばかりだったのもあって貯金もほぼなく、パソコンと学校と両方に使えるお金はなかったので順番的に考えたら学校のが先かな?と思い、まだ数少なかった学校へ通い始めました。

まだその頃はインターネットが出だした頃だったので、HTMLを打ち込んで表示させられるだけでもすごーい!って思っていました(笑)。

イラストレーターやフォトショップなども初めて触ったので、パソコンってこんなこともあんなこともできちゃうんだーと驚きの連続だったことを覚えています。

もうどれくらい通ったのかも記憶にはないのですが、学校が終わってWeb業界専門の派遣会社に登録をしてそこからWeb業界に入ったんですよね。

パソコンも持ってなく、使い方もまだよく分かってなかったけど働かせてもらえるところがあって、そこでさまざまなパソコンの使いこなし方を覚えたのでした。

パソコンに詳しい大学生が出入りしているような環境でもあったので、なんでも聞くことができて、すごく親切に教えてくれるコがたくさんいたんですよね。

今思うとすごくいい環境に入れたので、有り難かったなぁ〜と思っています。

その頃、ITバブルだったのもあって派遣でも次から次へと仕事があったので、帰国後はやはり外国人のいる環境で働きたいという憧れもあり、外資系でWebの仕事ができる環境にも恵まれ、いろんな仕事の経験をさせてもらうことができていました。

最近、昔載ったことのある雑誌の処分をしていたのですが、この時通った学校の卒業生として紹介されたものを発見して思い出したことがあったのですが、海外の日本サイトの立ち上げの仕事をしていた時の会社で、楽しく仕事をしていたところにもうWeb業界での仕事はしたくないと思うような出来事があり、それ以来封印しちゃってたんですよね。

このことを記事にしようと思っていたところに、その時そこの会社で一緒に働いていた方の訃報が入ってくるという、封印を解くときですよというサインなんだなぁ〜と

Web制作に関する封印はすでに解けていたのですが、その時あった出来事に関しては蓋をしたままのことがいくつかありました。

今振り返るとどれも共通した課題で、自分を否定されたと思うような出来事

もちろんその頃は今のように課題として捉えることなどなかったから、起きた出来事に対してすごくショックを受けていたけど、今思うと自己否定が強かった時期

今思うとその頃から少しずつ変容の旅がスタートしてたんだなぁと

というのは、その時一緒に働いていた人がスピリチュアルな世界へ入ったので、そのモニターになったことからスピリチュアルな世界を知るようになったんですよね。

いや、でも自己否定に関しては少し前に書いた記事からも感じられるから

今世の大きな課題だったんだろうなぁ〜

この視点でみてみるとこのあと行くことになったスイスでも感じてたこと

スイスにいた時のこともちかじか書こうと思います。

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