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前髪を切りすぎてしまう、そんなわたしも丸ごと愛してやるんだ。

私はどんなことがあろうと睡眠だけはちゃんと摂ろうと思っている。

どれだけ遅く帰ってきても最短ルートで布団に入れるように、帰りの道すがらで計画を立てるし、朝はなるべくぎりぎりまで寝たい。
だから仕事の日の朝はいつもバタバタ。
ちなみにわたしは家を出る1時間前には起きるようにしている。それを早いと思うか遅いと思うかはあなた次第だけれど、おそらく女性にとっては、ちょうどいいようで、ちゃんと支度するには起きるのがちょっと遅いんじゃないかと思う。

そんな仕事の日の朝。
髪型とメイクについては、仕事中にこどもたちと遊んで動き回って汗をかいて、お洒落をしたところでなんの意味もないので、メイクはあっさりで済ませて、髪型は手軽さ重視の一つ結び、伸びてきた前髪をコテでくるっと内巻きして以上。

ちなみにわたしは数日前からずっと前髪が鬱陶しく感じている。伸びてくるといつも思うのが、このまま伸ばしてワンレンお洒落女子を目指すか、いつも通りぱっつん前髪を突き通すか。
とはいえ切る前になんとなく伸びた前髪をセンター分けして鏡で見て、あまりの似合わなさに「いや無いわっ」と結局ぱっつんに戻るのだけれど。

私がこれまでぱっつんで過ごしてきたのには理由がいくつかある。
顔が面長なこと、年齢より上に見られがちなので少しでも若々しく見せたい、眉毛の処理を怠ってもバレない(これが最大の利点)こと。

前髪を切るときは決まって夜にしている。
以前朝の身支度の流れで切ったら大失敗してどうしようもなくなったことがあり、それ以来は朝に前髪が鬱陶しく感じてもひとまず我慢する。思い立ったらすぐ行動したい私は、今すぐハサミを構えて散髪したい気持ちなのだけど、いつもグッと噛み締めて職場に向かう。重要な決断においてはものすごく臆病なのに、こういうときの突発的な行動力だけは自分でも尊敬に値する。

わたしが思い立ったらすぐ行動するようになったのは、自分の心に蔓延る怠惰が原因の一つ。自分のことに関しては自分の赴くまま生きているので「あとでやろう」は絶対にやらないパターンが多い。
やろうと思った瞬間がタイミングなのだ。我ながら面倒臭い性格してるよなと思うけど。

ここまで聞いて薄々わかった方もいるかもしれないけれど、朝の支度中に心に決めた「前髪を切ろう」という気持ちは、仕事で疲れて今すぐにでも布団に飛び込みたい私の頭にはもうない。そんな感じで数日が過ぎて前髪はちょっとずつ鬱陶しさを増してゆく。


そしてついに前髪を切る日。
その日は一日中ずっと前髪の鬱陶しさに邪魔されてばかりで、お風呂上がりに乾かした前髪は目にかかるほどダラリと伸びていて、流石にもう限界だった。

いつもならちまちまと毛先から切っていくのだけれど、今回はいつも以上に前髪が伸びてしまったので、とりあえずバッサリといってから整えることに。
しかしこれが大きなミスにつながる。

前髪を自分で整える方には共感してくださると思うけれど、前髪を指でパクッと挟み込んで切ると思った以上に切り過ぎてしまう時がある。まさにそれをしてしまった。

いつも気をつけていたはずなのに・・・・・

仕事終わりでぼんやりしていたのか
単純に横着しようとした自分のせいなのか
いやきっと両方。

いつまでも学習しないわたしは本当に不器用だ。

仕上がった前髪は見事にオン眉。

切り過ぎてしまってから数日はいつも憂鬱になる。今回もちょっとショックだったけれど、今日のわたしの気持ちはちょっと違った。

翌朝、鏡の前でスタイリング剤をつけてセットをしてみると

「あれ?悪くないかも」

そう思えている自分がいた。


お話の途中に失礼致します。
ここまで文章を打っていて不安になったので一言。
前髪の話だけで1,700文字も打ってるんですけど
まだ見てくださっている方いらっしゃいますか?
あら?まだ読んでくださってる?
ありがとうございます。
そろそろまとめに入りますね。


思春期真っ盛りだった頃はとにかく前髪が命だった。というか男女問わずそれに悩まされている方は多いと思うのだけれど皆さんはどうだろう。

そんな当時の私からしてみたら今の前髪は最悪な状況で、「可愛くない」「不格好だ」とそう思っていたはず。

そんな私がなぜこんなにもポジティブに捉えられるようになったのだろう。

それはきっと私自身の心変化があったからかもしれない。ここ(note)で文字を綴り続けて数ヶ月。物事の表と裏のどちらにも良さがあることを知って、プラスな感情はそのままに、マイナスな感情はできるだけプラスに捉えるようになった。おかげで見える景色が広がったし心の許容量がどんどん広がっている。

そんな今のわたしにとって”切り過ぎた前髪”は悩む必要もないことになったのだと思う。

「ちっちゃいことは気にするな」
とどこかの芸人さんが言っていた気もするが、それが今になってわかるような気がする。これまでの私だったら小さいことを気にし過ぎて、小さな塵を積りに積もらせて埋もれていただろう。


思春期のわたしは前髪の長さも、スカートの長さも、セーラー服のスカーフの長さも、リュックサックの肩紐の長さまでもこだわって、それがきっと私たち学生の最大限のおしゃれで、学校生活の楽しみの一つだった。言い方を変えると、学校という世界の中でしか自分を推し測れなかったのだと思う。

学生時代が窮屈だったとか、今の方がいいだとか、そういう話ではない。学生だからこそ楽しかった思い出もたくさんあったし、そんな時代があったからこそ今をより楽しく過ごせている。

なんなら大人になった今は、そんな健気な女子高生時代のわたしを、ほんの少し愛おしいとすら思えているのだから不思議だ。以前の記事を読んだことがある方ならお分かりだと思うけれど、学生時代は本当に色々あった。

前髪を切りすぎた話ひとつで、ここまでポジティブに語れている自分にも驚いている。
小説を読むのも日記をつけるのも苦手だった私だけれど、キーボードをパタパタと打つ時間はやっぱり楽しい。
ネタ帳を持ち歩く芸人さんのように、私のスマホのメモにはたくさんの感情が記されている。日々めまぐるしく巡る感情を逃さないように言葉にしていくことで、常に自分を見つめ直せるから。過去の記事を読んでは「文章まとめるの下手くそだな」と思うこともあるけれど、それはそれで当時の私らしい。

お陰様でどんどん自分のことを否定しなくなっている気がする。
たまに不安になるけれど。


短い前髪の私もちゃんと私だ。


切り過ぎてしまったおっちょこちょいな私も
短い前髪でひょっこり現れた眉毛すらも
愛してやろうじゃないか。


由佳



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