春は”本当の自分”と出会う旅のはじまり
駅から職場までの道路沿いに咲く河津桜の花びらが、風に乗ってひらひらと舞っていた。
朝8時すぎの駅周辺は、コツコツと一定の早いリズムで靴音を鳴らすOLさんや、青信号になるのでさえ待ちきれず、フライングで歩道に飛び出ていくサラリーマンさんがたくさんいる。
この並木沿いを歩くときは、いつも朝日がこちらを向いているから、目を細めながら足早に行き交う人たちの間を抜けなくてはならない。
向かい側からくる早足の人たちを、眩しさに耐えながら避けるのは至難の業。
わたしは朝の殺伐とした空気が苦手だ。
みんながみんな時間に余裕を持って生きていたらこんなことにならないのに。
ギリギリまで睡眠を優先したのか、片付けなくてはならない仕事が溜まっているからなのか、そんなのどっちだって良いけれど、ちょっとぶつかりそうになっただけで怪訝な顔をしないでほしい。満員電車で押されるのは良いけれど、押されて舌打ちをするのはやめてほしい。
休日の朝にまだろむ時間は好きだけれど、忙しなく行き交う人と強制的に足並みを揃えなくてはいけない朝はとても息苦しい。
きっとみんな、この早咲きの桜が満開なことにも気づいていないのだろう。
ここ数日の快晴の青空にうすい桃色がよく映えて、朝日に照らされて透けた花びらがとても綺麗だ。
こうして春の足音は少しずつ近づいているというのに、時間と心に余裕がないとそんな変化にも気づけないなんて勿体無い。
そういえばここ最近、卒業袴を着た可愛らしい女の子や、明るい髪色にサイズの合っていないスーツを身にまとう初々しい男の子をよく見かけるようになった。
「私にもあんな頃があったな」
とちょっとだけ心がじんわり温かくなって、自分の年齢から引き算して数えてみたら、両手の指で数えきれなくなりそうなことに、ちょっと切なくなって、風に乗ってきたであろう花粉に鼻をくすぐられてクシャミが出た。
3月は別れの季節、4月は出会いの季節だというけれど、学生の自分と別れを告げて、新しい自分と出会うための季節だともいえる。
まわりの環境と別れを告げて新しい環境に馴染むことは実はとても容易い。人は環境に馴染むことが得意な生き物だ。
数ヶ月経っても自分が馴染めていないと思うならば、それはきっと自分自身の心がそうなれていないか、そうしたくないと思っているから。
馴染もうとしているか、馴染もうと勤しんだうえでそう思っているのか、それが大切だ。
でも”本当の自分の居場所”を探すのは難しい。
私だって、
この歳になっても悩んでしまうことはある。
「自分が本当にやりたいことってなんだろう」
「本当にこれが自分に合っているのかわからない」
新しい環境に進もうとするたび、新しい環境に馴染もうとするたび、そんな疑問が頭をよぎる。足を止めたくなる時もあるけれど、そうしてしまえば何もかも崩れてなくなってしまいそうな気がする。
変わらなきゃと思えば思うほど見失っていく。
向こう側からまぶしい朝日が差し込んで前が見えなくなって、すぐそばに近づいている人の顔が見えないように、
まだ見えもしない未来の眩しい自分ばかり見つめようとして、本当の自分が見えなくなっている。
そんなことわかってる。
でもどうして良いかわからない。
私は私に問いかける。
『こんな大きな未来を思い描くことすら烏滸がましいと思うくらい、今の自分はちっぽけで、何にもできないような気がしているんだ』
今の自分がちっぽけだと思うのに、
どうしてその未来を思い描こうとするのだろう?
自分ならやれるって思うからでしょう?
たとえば運動音痴で球技がとても苦手な私が、今からプロ野球選手を目指そうなんて思わないでしょ。
いま自分がなりたいと思っている未来は、少なくとも自分の実力や能力に期待をしているから思い描けるもの。
『でも今置かれている環境でどう歩むのか、それとも新しい道を歩んでいくのか、不明瞭すぎて決断ができない』
もしかして
最短ルートでゴールに向かおうとしてる?
そんなのよっぽどの天才しか成し得ないよ。
今の自分にできることは着実に一歩前に進むこと。わからないなら今できることを精一杯やってみることが大切。
『未来に辿り着くことが長い道のりであることはよくわかった。それでも一歩ずつ歩んだ先で、自分の道があっているかわからなくなったら、どうしたらいい?』
ここまで考えて私の思考は止まった。
たぶん今の私には絶対にブレない軸というものがない。迷った時に戻って来れる場所がないのだ。
そんなとき
私の大好きなYouTuberさんの動画が目にとまった。
あさぎーにょさんが専門学校の卒業式でスピーチをした20分ほどの動画。彼女の現在に至るまでの人生の歩みと、幾度となく訪れる葛藤と、その時の気付きについて語られている。
もしお時間があれば皆様にも聞いていただきたい。
スピーチの後半で、彼女のモットーである「ワクワクを抱きしめる」という言葉について語っている部分があるのだけれど、そこで私はボロボロ涙を流した。
『自分の人生において
輝いていた瞬間はなんだろう』
彼女はそう言って自分の過去を振り返る。話を聞きながら私も同じように自分の過去に重ね合わせていく。
彼女に比べたら私の過去なんて薄っぺらいものかもしれないけれど、ポツリポツリと自分の輝いていた瞬間が思い浮かんだ。
高校演劇をやっていた頃、自分たちの作り上げたもので、お客さんたちがワクワクしたり、笑ったり泣いたりしてくれて、最後に大きな拍手をいただいて感動した日。
スタジオカメラマンを始めたばかりの頃、覚えることは多いし、先輩に怒られてばかりだし、お客様からのクレームに心が折れたこともあるけれど、
「お姉さんに頼んでよかったです」「とてもいい思い出になりました」と言われて心が救われた日。
どの瞬間も共通するのは
「誰かを笑顔にできた瞬間」
私は忘れかけていた・・・
どんなに辛いことがあっても、この笑顔を見られるだけで私は頑張れたし、たくさん救われてきた。
何より自分が”生きていていいのだ”と思える瞬間だった。
今私が迷っているのは
それを感じられていないからなんだ。
”本当の自分の居場所”は
きっとここなのかもしれない。
そう思ったら涙が止まらなくなった。
なんだか自分の中に大きな支柱が建てられたような、帰って来れる場所を見つけられたような感覚になった。
きっとこの支柱さえブレなければ、私はどれだけ迷っても帰ってこられる。
やっと見つけた。
今ならまぶしい朝日の向こう側に桜の花びらがふわふわと舞っているのが、はっきりと見える。
私の足元はとても明るく、それでいて確実なものとなった。
さあ歩いて行こう。
自分の足で一歩ずつ。
花崎 由佳
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