多様性の時代の私より、泣いてばかりだった幼き日の私へ。
過去を顧みるなとよく言いますが、今の自分にとって利益だと思えることについては振り返ってみてもバチは当たらないでしょう。
今日はそんな過去と現在のお話。
最初に紹介した言葉はアリス・イン・ワンダーランドの冒頭に、幼いアリスに対して父親が伝えた言葉です。
ワンダーランド(不思議の国)の夢ばかりを見てしまう
幼いアリスが寝ぼけ眼で父に問います。
「私はおかしくなったの?」
父は優しくアリスの頭を撫でながら言うのです。
「残念ながらお前はどうかしている、
まともじゃない。」
不思議そうに見つめるアリスに
父は微笑みながらこう続けます。
「でも良いことを教えよう。
偉大な人はみんなそうなんだ。」
人間の言葉を話す動物
支離滅裂で奇妙な帽子屋さん
不気味なドラゴン
色とりどりの変な植物
飲むと身体が小さくなる薬
食べると身体が大きくなるケーキ
不思議の国という奇想天外なお話において、それらをまず肯定するための簡潔でわかりやすいフレーズです。
「私がおかしいのか」「この環境がおかしいのか」
小学校の頃から学校に馴染めなくて友達がほぼいなかった学生時代。親は私の話を聞かず「学校に行きなさい」の一点張りで渋々登校だけはして、退屈になったら仮病を使って保健室に入り浸る日々でした。
そんな当時の私は先ほどの問いに対してこう答えるでしょう。
「私がおかしいのだろう」
「学校に行きなさい」「友達を作りなさい」と先生と親は言います。もちろん教育という面において集団行動を学ぶためには必要不可欠なことです。でも教えて欲しかったのはそんなことではありません。
友達がいないからおかしいわけではなく、運動が得意じゃないからおかしいわけではなく、人と違う考えを持っているからおかしいわけでもなくて、それら全てを肯定する考え方を知りたかったのです。
今でこそ「多様性」や「自己肯定」という言葉が世に広まるようになりましたが、あの頃はそんな「多様性」を否定する考え方が私の中では世の断りでした。それをもって天秤にかけるのならば、周りと調和を取れない私は必然的に「おかしい」のです。
アリスの父は「お前はどうかしている」と前置きをした後に「偉大な人はみんなそうなんだ」と言います。ワンダーランドでの不思議な冒険を経て、実際に「偉大な人」となるアリス。父の言葉は物語の伏線として、そのままの意味で捉える事もできますが、何よりアリスのことを受け止め肯定してくれている言葉だと思うのです。
人と違うけれど、いけない事ではない。
人と違うからこそ良い事もあるのだと。
それでも人の気持ちはどうしても多数意見に惑わされて、異端を否定していくでしょう。少数派の意見に耳を傾けることはとても難しい。それは自分自身の考え方においてもそう。己の中にある常識という範囲内からなかなか抜け出すことができないのです。常識の範囲を広げていくにはたくさんの知識を得て、考え方を知り、それらを受け入れていくことが必要不可欠で、それらを肯定する寛容性が必要。
幼い頃の私にはそんな広い世界を見る力も、肯定してくれる世界も存在しなかった。それでも過去の私を救うわけではないけれど、私は今伸び伸びと羽を伸ばして、自分のやりたいことに全力で臨めています。過去の経験を思い出すたびに悲しい気持ちになる事もあるけれど、それがあったから今の自由な私がいます。
今の私が過去の私に言葉を掛けるのならば
「生きることをやめないでいてくれてありがとう。
あなたがいたから私は幸せに生きているよ。
だから心配しないで。」
そう言ってあげたいです。
最後にもう一つ。
アリス・イン・ワンダーランドの冒頭に出てきた言葉を紹介します。
こちらもアリスの父の言葉です。
自分を信じ、未来を信じること。私は何歳になってもその気持ちを忘れたくはないです。忘れてしまったとしても、きっとまたすぐに思い起こす言葉となるでしょう。
由佳
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