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ルール炭田の日本人:過去にシンクロする

「ルール炭田の日本人」は、アーティスト川辺ナホさんの主催するリサーチプロジェクトだ。
私がリサーチパートナーに迎えられたのは、2021年の秋のこと。炭をマテリアルとして作品をつくる川辺さんから「ドイツのルール炭田にかつて多くの日本人労働者がいたとのこと、そのことを調べてみたい。一緒にどうですか?」と声をかけられた。
歴史調査は、かつて美術史を学んだ私にとっても苦ではなく、アーティストが関わるなら面白い視点が生まれそうだな、と私は二つ返事で参加することにした。

キュレーションとはなにか?
子育てに時間を取られる10年以上前から、その問いの廻りを逡巡していた私に、一つの新しい仕事の形を見せてくれることになったプロジェクトについて書こうと思う。
今回のテーマは、「アーティストのリサーチに伴走するキュレーター」。

*リサーチは、2022年、文献資料調査とルール地方の現地訪問、そしてドイツ在住のかつての日本人炭鉱労働者とそのご家族にインタビューを行った。成果は、2023年4月に冊子『ルール炭田の日本人』として発表。
冊子の詳細については、本文末尾を参照されたい。


はじまり:個人資産としての労働、重い道具

”労働とは、譲渡不可能で関税もかけられず国境を越え、誰の土地へでも持ち込める個人資産である” ージュリア・クリステヴァのこの一節を、この人たちは体現しているように思うんです。」

Étrangers à nous-mêmes, Julia Kristeva, 1991

川辺さんは、ドイツのルール地方にいた日本人炭鉱労働者の存在について語り始めた。9月にしては肌寒い、2冬前の秋のことだ。
コロナ禍以前から”移民”というテーマに関心を持ち、作品を発表していた彼女だが(その作品についてのテキストはこちら)、国境線がみるみる内に閉じていったコロナ禍をへて一層、ドイツに長く暮らす自分の、移民としての立場を感じるようになったのかもしれない。

1950-60年代に、ルール地方(ドイツ西部、デュッセルドルフ近郊)で日本人の炭鉱労働者が集団で働いていたとのこと。海外渡航が容易でない時期にドイツへ渡り、肉体労働に従事した彼らは、このクリステヴァの言葉を体現しているのではないか—彼女は続ける。
炭鉱で働くこと—高度経済成長後の日本に生まれ育ち、今は21世紀の北ドイツの比較的便利な都市に暮らす私たちにとって、想像しても捉えきれない行為だ。それをしかも言葉の通じない異国で、頼るものは自分の身体のみ。身体を使った労働、ただ一つが己を支える個人資産という言葉が説得力を持つ。

とはいえ「在独日本人」ということ以外は、自分とはあまりにもかけ離れた存在の炭鉱労働者の存在だ。それでもすこしずつ集めはじめた文献、その中に見つけた言葉に、とても共感した一節があったという。

「当時のドイツと日本では炭鉱で使われていた道具に違いがあり、ドイツ人の体躯に合わせてつくられた道具は重く使いづらかった」

日本の炭坑内は軽量ヘッドライトが使われていたが、ドイツでは6kgの重い手提げランプが使われていたという。
Initiativkreis Bergwerk Cosolidation, Gelsenkirchen, 2022

ドイツにやってきた日本人炭鉱夫達は、ランプや工具がとにかく重いと語っていたのだ。一方、川辺さんも作品制作のためにドイツの工具屋で道具を何気なく手に取ってみては、その重さに腰を抜かすかのように驚いたという。
男であれ女であれ、どこで生まれ育とうが、人間は皆おなじ。民主主義的価値にもとづく教育を受けてきて、身体的差異を気にかけず自由に振る舞うことを是としてきた私たち。それでもやはりどこかで壁にぶち当たることは、すこしでも日本国外で生活したことのある者なら誰でも経験済みだ。

西洋人と比べると、やはり小柄な体格を持つ同じアジア人としての共感と、一方で我々の想像を絶する状況での労働行為。
実際に、炭坑の中で働いた人たちの話を聞きたい、もしそれが叶わなければ、せめてご家族の話を。このアーティストの熱意がプロジェクトの原動力だった。

『ドイツで働いた日本人炭鉱労働者:歴史と現実』(森廣正、2005年)
Japanische Bergleute im Ruhrgebiet "Glückauf" auf Japanisch, Atsushi Kataoka, et.al, 2012
(日独の日本学研究者、歴史家による論文、ドイツ語による関係者の手記、資料 )

研究者とアーティスト、手法の違い

今回のリサーチの対象は、1950-60年代のこと、今から約60年以上前のことである。歴史、というよりはまだ近い過去と呼ぶべきかもしれないが、過去の事象を調べるのだからやはり歴史研究の手法が用いられるべき、と自然に考えた。史的研究であれば、アプローチはまず書籍に始まり、新聞、雑誌などの活字資料を網羅的にあたった後で、その上で情報を整理した上でインタビューを試みるだろう、というのが私の最初の目論見だった。

ところが、だ。もちろんのこと私達はまず最初に先に刊行された2冊の書籍(上掲写真)を入手し、最低限の基本情報はインプットしたのだが、アーカイブなどでの活字資料の探索は、スケジュールの都合で関係者へのインタビューと同時並行となった。

正直にいうと、私の中の「研究者」はこうした手法に戸惑いを隠せなかった。対象の全体像を知らないままに、当事者に問いを発することは、的外れになるのではないか、あるいは取りこぼしをしてしまうのではないか、という恐れ。
それと同時に、そうした態度はいうならば個人の人生の歩みを「生きた素材」と捉えることでもある。私は、いま目の前にいる人のプライべートな人生の歩みを、歴史家という態度のもと客体化するという行為(個人の生を見知らぬ他人が露わにし「歴史化」することは暴力的にすら思えた)-に加担するのだろうか。

手法の違いは内側に葛藤をもたらす。とはいえ、今回のプロジェクトは、アーティスト川辺ナホのイニシアティブで始まったものなので、研究者としての私は、手法に拘泥せず、事実関係の確認に徹底しようということで落ち着いた。
「とにかく話を聞きたい」と願う作家の思いと直観には、理由付けが必要だ。彼女の話を何度も聞いて、言葉にし、インタビューの対象者、間を取り持つ関係者への手紙にしたためるうちに、私の内なる逡巡もほぐれ、内なる説得力となっていく。

先行調査がある上でなお、肉声による証言を望んだ私たちの関心の中心をあらためて記すならそれは、いつどこで何をした、という資料に記される事実だけではなく、「もっと感情的なもの、感覚的なもの、泥や汗の臭い、湿気、機械の重さなどという体感の思い出」だ。
つまり、作家が知りたかったのは、感覚、つまり客観化されない、相対的なもの。それには歴史的手法とは異なるアプローチが必要だ。

坑内は地下水が滲み出て濡れていることが多い。
地下炭坑を復元したドイツ炭鉱博物館(ボーフム)内の坑道にて
Deutsches Bergbau-Museum, Bochum, Germany, 2022

通時的と共時的

そんな私たち、キュレーター(/研究者)とアーティストの態度の違いを、リサーチの報告書となる冊子のグラフィックデザインを担当した尾中俊介さんが、見事にいい当てた。「通時的と共時的」:言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールの理論だ。
つまり私がその時もっていた歴史家の態度とは、事実関係を時系列に沿って整理する、「通時的 Diachrony 」視点だという。これに対して、「共時的 Synchrony 」視点とは、時系列に沿った歴史を考慮せずに、ある瞬間の言語を取り出すような態度、つまりアーティストである川辺さんのようなアプローチなのだと。

これらの言語学的概念の正確な定義にはここでは触れないが、大雑把に要約してみる。たとえば中世の言語であれば、その時代特有のある言語を対象として、その構造や様々な使われ方を考察するのが共時的視点だ。一方で通時的視点とは、中世の時代のある言語と別の時代での同じ言語を比較することで、言語の成り立ちを考察する。
議論が飛躍するが誤読を恐れずに要約すると、共時的視点はその時点での「様々な異なり Variation 」を表すのに対して、通時的視点は歴史を通しての「変化、変遷 Change 」を表す、ということになるだろうか。

ここでようやく、尾中さんの指摘した意図に辿り着く。
私は、いわゆる通時的視点で、文献資料やさまざまな先行記述によって、インタビューを行う前からその捉え方を定めようとしていた。-つまり現在の地点から過去へと眼差しを投げかけようとしていた。
これに対してアーティストの川辺さんは、過去の時間に入り込み、その時間を生きた「その人固有のもの」としての経験、記憶、感覚を捉えようとしていた。それは現在の地点から整理しようもない、つまり、一つの目的や意図を持った歴史記述には収まらない「様々な異なり Variation」を捉えることだといえるだろう。

川辺ナホによるかつての炭鉱労働者へのインタビューから
『ルール炭田の日本人』所収

過去と今にシンクロする

ところで、昨今の現代美術では、アーティストが社会問題や地域の歴史的背景を主題にリサーチすることを手法として取り入れた作品が多く見られる。主題として調査した情報を昇華し、別のレベルの体験へと誘う作品もあれば、一方では、調査内容をヴィジュアライズ/視覚化して提示する、いわゆるインフォグラフィックのような、取材成果の発表がそのまま作品になっているものもある。

川辺さんの場合、今回のリサーチではひとまず作品制作のことは考えずにリサーチに取り掛かることにした。作品制作のための取材と、歴史調査は相容れない、という意見には私も同意だった。プロジェクトの意図は、拾い集められる声を収集し、ものと場所を実見することに重きが置かれた。
私たちは、ルール地方を訪れ、炭鉱博物館、炭鉱跡を訪問し、かつて炭鉱労働に従事した日本人やその家族へのインタビューを行い、地元の炭鉱跡資料館を管理する元炭鉱関係者からも話を聞き、そしてアーカイブに保管された新聞記事や手記、未発表の原稿も多数目にした。

インタビューには一件を除いて全て私も同席したが、今回の報告冊子の原稿にまとめたのは川辺さんだ。
彼女は、かつての炭鉱労働者やその家族へのインタビューの中に、新聞記事の見出し、他のインタビューや手記からの言葉、そして自らの語りを織り込んで綴った。まるで過去の時間に潜り込み、共にそこで呼吸するかのように。

そして今それを読む私たちは、必ずしも一筋にまとまりえない「様々な異なり」の数々の生として、過去の時間を経験する。いくつもの声が重なりポリフォニーのように聞こえる過去を生きる。
インタビューの原稿は視覚的形象ではないが、そこにアーティストならではの眼差しがあるとするならば、過去の時間、経験と感覚に共時/シンクロする、その態度ではないだろうか。

Naho Kawabe, Japaner im Revier, 2023
川辺ナホによるデジタルコラージュ、『ルール炭田の日本人』所収

そして、これらのインタビューや収集した歴史調査とは別に、川辺さんは、デジタルコラージュ《 Japaner im Revier 》を制作した。多層的にモンタージュされた歴史的写真資料、現在の様子を見せるスナップショット、地理資料、新聞記事などのコラージュにデッサンを描き加えた作品だ。
これは、彼女がルール炭田の日本人たちの過去と今にシンクロする経験が複層的に表象として立ち現れたものといえるだろう。幾多の時間がルール地方の上に流れ、そこには様々な生がある。アーティストは、一つ一つの個人の経験を集め、それらをシンクロさせて、様々な生のヴァリエーションを見せる。
そして、インタビューとこれらのモンタージュ作品を行きつ戻りつすることで私たちの眼に「ルール炭田の日本人」たちのかたちが、より立体的に立ち現れるだろう。

今回の調査は、歴史家による網羅的なものではない。取りこぼしもあるだろうし、客観的な史実の記述とは異なるものだ。だがすくなくとも、このような共時的な眼差しで歴史をともに記述する経験を得たことは、私にとって大きな収穫だ。
また補足するなら、むろん歴史家であっても、通時的視線と同時に共時的視線をもつことで真に過去の歴史の中に入り、現在(いま)を生きる私たちの生とシンクロさせることができるはずだということを、今更ながらに思い起こすことができた。

そしてここで、こうしてアーティストと共に伴走するキュレーターの仕事をあえて記すなら、アーティストの直観を言葉を紡ぐことで、人へ繋げること、とでもいえるだろうか。
彼らの直観の意図するところを汲み、言語化することで思考を掘り下げ、肉付けし、具体化していくことーこうした経験は、次のプロジェクトへの原動力ともなっていく。

最後に付け加えておきたい。
このたびのリサーチを通して分かったことは、活字として残されている事実関係だけではなく、「記されていないこと」つまり、オーラルヒストリーににはさらに多くの事実が、人々の生があるということだ。私たちのリサーチは、実はまだ始まったばかりで、これからも続くことになりそうだ。
まずは本年、調査に協力してくれた関係者やドイツ国内へ向けての報告会と、アーティスト川辺ナホの今回のリサーチから発想を得た作品と炭鉱関連資料を展示する場を企画している。
詳細については、また改めて発表したい。


Naho Kawabe, Coal beds, 2022
ルール炭⽥の⽇本⼈と⽯炭、及びエネルギーに関する短い年表
『ルール炭田の日本人』所収


記 2024年1月14日



川辺ナホ:https://www.nahokawabe.net/

尾中俊介(Calamari Inc.):https://calamariinc.com/
*グラフィックデザイナーの尾中俊介さんには、研究報告書とアーティストの作品との中間的な存在としてのこの冊子の意図を的確に汲み取っていただき、限られた予算と時間の中で見事に実現していただきました。ここに記して御礼申し上げます。




『ルール炭田の日本人』冊子概要


川辺ナホ ルール炭田の日本人
Naho Kawabe, Japaner im Revier


タイトル『ルール炭田の日本人』
川辺ナホ、ハンブルク、2023年発行
・A版 カラー刷り 総14⾴
(川辺ナホによるフォトコラージュとドローイング、「ルール炭⽥の⽇本⼈と⽯炭、及びエネルギーに関する短い年表」)
・B版 ⽩黒刷り 総76⾴
(歴史的経緯 、川辺ナホによる炭鉱労働者とその家族へのインタビュー6件、徳⼭由⾹ 「越境するエネルギー」、資料写真、参考⽂献など)
編集:川辺ナホ、徳山由香、クラウス・メーヴェス
デザイン:尾中俊介(Calamari Inc.)
言語:日本語とドイツ語

Japaner im Revier
Naho Kawabe, Hamburg 2023
Deutsch und Japanisch

リサーチの概要の一部。『ドイツで働いた日本人炭鉱労働者:歴史と現実』(森廣正、2005年)
Japanische Bergleute im Ruhrgebiet "Glückauf" auf Japanisch, Atsushi Kataoka, et.al, 2012 から要約。
『ルール炭田の日本人』所収


本プロジェクトは、公益財団法人小笠原敏晶記念財団からの助成を受けて実現しました。ここに記して深く御礼申し上げます。


*本冊子は、上記助成に関する調査報告書として発行したものです。
*残部希少のため、ご寄付募集の上で増刷を検討中です。冊子を入手ご希望の方は、下記までご連絡ください。
X(旧Twitter):@yuka_tokuyama


掲載画像の著作権は、川辺ナホ、徳山由香にあります。無断複製、転載を禁じます。
all ritghts reserved ©️ Naho kawabe ©️ Yuka Tokuyama


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