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想い~思い出~ゆるゆる書いてみる

 私が一番元気に活動できるのは、だいたいエンタメ関係に力を注いでいるときだな、と思う。演劇にしても、ダンスにしても、本にしても。写真とか刺繍も、ある意味、同類。
 だけど、その背景にはきっと、想いがある。

 自分の感覚に合ったアイテムが好きだから、たとえばまったく感性の違う父方のいとこからもらったお土産とか、いつもどうしよう、と持て余していた。これは私の趣味じゃないな、とすぐに思ってしまって、せっかくもらっても使わないままになることも多かった。

 家族で出かけたけれど、お店の中で一人になっていたときに痴漢にあったり、一人で町を歩いてナンパされたり、なんだかんだ、子どものころはこの類のことに巻き込まれたな、と思う。

 祖母には、夕方一人で帰るのを許してもらえなかった。今思うと、危険だって思われてたんだろうな。弟がいたら、一緒に帰りなさい、あんたが弟のめんどうをみるんじゃなくて、弟があんたを守るんだよ、と言われた。
 確かに。なんだかんだ言っても、私はふらふらしてて、危なっかしい子だった。

 母は私にステンシルやお裁縫を教えてくれた。ステンシルは型だったし、そんなに遊ばなかったけど、お裁縫のスキルは役に立った。コロナ騒ぎが始まってから、自分のマスクなんかも用意したけれど、せっかくだから派手な色でつくった。マルーンとか、ショッキングピンクの柄ものとか。私にはこういう色が似合うと思ってる。

 高校で、ある先輩が部活をやめるって言い出して、みんなの前で話をしているときに、あー、この先輩、戻ってくるんだろうなぁって思っていたら、本当に戻ってきた。そういうのが、なんとなく声の調子や話し方でわかる。

 この話には続きがあって、私の緩んだ表情に気づいてしまった別の先輩に、まじめな話をしているのにへらへらするな、と叱られた。この先輩には、そういう感覚、なかったんだろうな。かなり深刻に受け止めたんじゃないかと思った。もちろん、言い訳なんてしない。素直に叱られておいた。

 学校の制服とかも、割と好きだったな。あ、どんな服か書いちゃうと、都内の人には学校がばれちゃうかも。正確には、制服というより、標準服。

 でも、今の私だったらきっと、ブラウスにタータンのスカートとか履いて、違う格好で行くこともあるかなぁ。そういえば劇のときに一度、スカートを同級生に借りた記憶がある。サイズ合うのかなあ、と思ったけど、ぴったりだった。私は見た目で服のサイズまでは、わからない。彼女には、私がそれを着られるって、わかってたのかなぁ。

 いろんな人がいた。発達障害の子でも、びっくりするくらい、すごい才能を持ってる子がいる。この子に私の部屋、改造してもらえたら、きっと完璧に片づくんじゃないかなぁ、とか。
 障害だって個性なんだよね。どこかが足りなくても、何か人より優れたものがある。

 どんなにお勉強ができる子でも、「こいつ、できないでしょ」ってクラスメイトのこと指摘する子がいて、それは違うなぁって思ったこともある。周りができないって言うから、その子も期待されてないって感じちゃう。
 今思うと、その子のお母さんも、「うちの子はできが悪くて」なんて言ってたから、そういう環境の中で育てられちゃったんだなぁ、と気の毒に思う。ちょっとやり方が悪かっただけかもしれないのに。

 お勉強がすべてじゃないけど、投げやりな言葉は寂しい。みんながみんな、お互いを応援できれば、世の中、もっとよくなるのに。

 コロナの直前に、なぜか大規模な接客の仕事を離れる機会があった。きっかけをつくった本人は、さんざん私を戸惑わせたのに、なぜか今も私のそばをうろうろしている。タイプが違って、どうしていいかわからなかったけど、意外と私に合わせようとしてくれてる気がする。ちょっと不思議な感じ。
 まあ、日本語の本は読めないんだけれど。


 

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