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友だちって

友だちが多いねえ!本当の友だちだね。友だちと言える人あまりいないんだ。友だちなのにー。友だちなんだったらー。よく耳にする言葉だ。さらには、友だちって?というのも。

幼稚園に入る頃、いやその前から、「おともだち」というのが大切なものとして教え込まれる。公園デビューとやらをして、知り合う近所の子ども。同じクラスになる子ども。おともだちね!と。そのお母さんとお母さん同士は、ママ友=お友だち。ん?そうか、そうなのか?!しかし、そこで、お知り合いね、ではなんだかよそよそしい、ということになるだろう。とはいえ、コレ、本当は、ご近所さん、または、クラスメイトとその保護者、くらいな場合も含まれていることをわかっておいた方が良いかもしれない。

小学校、中学、高校時代は、さらに「友だち」幻想に悩まされる。誰が本当の友だちなんだろう。私、友だち少ないかな。あの人が好き、キライ。あの人に嫌われたらどうしよう、などなど。偶然そこに集められた人たちの集団の中で、友だちを見つけなければならないなんて、そんなに簡単なことではないはずだ。「仲間」で良くないか?同じ部活の仲間。一緒に塾に通うメンバー。同じ方向に帰るメンバー。時々一緒に教室を移動するメンバーの中の一人。そう考えられれば気楽になる子もいるのでは?と思う。いつか「友だち」に巡り合う日までは。

では、大学のサークルや、大人の習い事のお付き合いなどはどうか?友だちなのか?いや、これも、まずは「仲間」だ。同じ趣味や嗜好を持つ仲間。団体を作っていたり、加盟している場合は、「メンバー」だろう。昨今では、ジャニーズが「メンバー」という言葉を一般化してくれたが、本人同士一人一人は、「友だち」ではないかもしれないけれども、仲間やメンバーとして、同じ目的を持って活動し、楽しむ。広い意味では、友だちだが、その個人を人に紹介するときに、私の友人です、というよりは、知人に近い場合も含まれるだろう。そして、それは決してよそよそしいものではない。寧ろ、人生の大切な時間を沢山一緒に過ごした、大切な仲間として心に刻まれる。

仲間やメンバーは、時々入れ替わったり、増えたり減ったりする。それが健全だし、その繰り返しの中から、その同じ目的が無くなったり、そこから離れても、友だちとして関係が続いていく人、続けたいような人、そのあたりから、「友だち」というのがしっくりくるように感じる。これはあくまでも、双方の自然な感情の膨らみのうえにあるもので、どちらかが、さあ、これから友だちになりましょう!と言ったり、私たちって友だちですか?と言って確認するようなものでもない。

と考えると、共通の関心事について語り合ったり、同じスポーツや文化的な趣味などを持ち、その稽古に一緒に没頭したり、共に学んだり、時には食事したり、飲み明かしたりする「仲間」がいれば幸せではないか。個人的に友だちだと思ったり、思われたりまではしなくとも、その仲間の中に自分がいることを認めてくれている、居場所を作ってくれている人たちがいて、そこに積極的に参画したり貢献したりしていようとも、そうでなかろうとも、居ていいよ、と言ってくれる人たちこそが、仲間だと思う。

そして、その中から、ある日、ああ、この人は友だちなんだな、万が一この人が困るようなことがあったら、何をしてでも助けたいな、と感じたり、もしかしたら最期の日に、友だちでいてくれて有難うと思うかもしれないな、という人に出会えたら、それは特別な幸せなことで、ラッキーだったな、というふうに考えればよいのではないかな。

私は、幸いにもそういう友だちがいる、と思う。


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