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命の受け渡し

若い頃から、ジビエが好き、と言ってその季節になるといそいそとジビエ料理のレストランに足を運んでいた。と書き始めたものの、さらに遡れば、中学校時代には、友だちのお父さんが猟で獲って来たという鴨や鹿肉をいただいては、家でひとり料理していた。大学時代にお世話になっていたスキースクールの校長先生のお宅で、地元で獲れた鹿や猪が届くと嬉々として調理して同宿しているスキー部の仲間や、訪れるスクールの先生方に振舞っていた。

いつの頃からか、秋田マタギに憧れ、山を歩き回る健脚を持ち合わせないことを残念に思いながらも、いつかは狩猟をする生活を夢見て、本を読み漁ったこともある。しかし、東京暮らしで仕事や子育ての中、徐々にそれは実現し得ないまま消えていく夢なのか、と思い始めていた。さらに、マレーシアに移り住んだ頃には、国外で狩猟は出来ないと感じると同時に、ジビエ好きという単なる食の嗜好だったのか、と思い込むようになっていった。

しかし、そこから8年ほどを経て、コロナ禍、帰国し、箱根の山小屋で暮らす中、鹿や猪が畑や庭を荒らしていることを間近に見るようになり、鳥獣害対策として猟をする人たちが身近になった。本格的に居を移し、農業を主たる仕事にするようになり、まさにそれが自分事になった。まずは、罠猟免許、そして銃猟免許を取得した。

当地では、主に猪対策で、行政による箱罠と、個人によってくくり罠が多く掛けられている。わが家の畑の主たる部分は、電気柵で囲い、対策しているため猪には入られていないが、周辺は、猪によって石垣が崩され、筍やみかんなど、農作物の被害も多い。自分たちの罠を掛ける前に、先達の方々の罠に掛かった猪を引き取り、止め刺し後の血抜き、解体から取り組んでみた。

本で読み、イメージしていたものを遥かに超える、今まで命あった温かい身体に、刃物を突き刺し、逆さに吊り下げて皮や肉を切り開き、内臓を取り出し、皮を剥ぐということの重み。この命を出来得る限り大切にいただくという神聖な感覚があった。同時に、体内からみかんが出てくると、命の取り合いという、生命の連鎖の中にある自らを感じ、なぜ今自分がこのことに取り組んでいるのかを改めて確認することにもなった。

筍の季節になり、竹林の中の猪の足跡から通り道を特定し、罠を掛け、ちょうど人の匂いが消えた頃に、2歳くらいの雄猪がかかった。ワイヤーが締まった脚は痛かろうと思うと同時に、出来る限り早く卒倒させ、止め刺ししてやることが今出来る最善、と感じた。日にちをあまり空けずに、また2歳くらいの雌猪がかかった。さらに痛みや苦しみが少なく、肉となった際に、キズが少なくて済むようにと考えた。続けて、畑の近所のくくり罠にアナグマがかかってしまい、夫はその止め刺しに駆け付けた。自宅の前を可愛らしく歩いていたアナグマを微笑ましく動画に収めたこともあった私たちは、命を守るために彼が鋭い爪で向かってきたことなど振り返って、この出来事が心から離れることはなかった。

ふと、野菜を作りながらその周りに生えてくる雑草を抜く時、葉を食べる虫をつまみ殺す時、さらには育てた野菜が最もイキイキと生命を輝かせているところを収穫する時に感じる、ごめんなさい、という気持ち、その命と引き換えに得させてもらっているものを大切にしますから、という気持ちと全く同じだと感じた。植物、昆虫、魚、鳥、動物、いずれに対しても、その命に畏敬の念を持ち、どうか今この場所での命は絶たれても、どこか別の場所であらたな命として、その生き物の魂が生きますようにと祈るような気持ちが込み上げる。

「ジビエが好き」から始まって、自然の力を借りながらも、時にはその自然と戦わねばならない農業で生計を立てるようになり、都市からの移住者である私たちを受け入れて下さった地域の人たちと、それを取り巻く自然環境のバランスを保つために取り組み始めた狩猟。これは人間の営みと自然とのせめぎ合いの最中に佇み、ひたすら生き物すべての生命について考える機会が与えられたのだと思い、感謝している。

人として生まれ、この生を全うしようとするならば、誰しもが何も食べずにはいられない。これはあくまでも私の個人的考えにすぎないが、何が食べ物で、何は食べてはいけない物、という線引きほど、人間のエゴが丸出しなものはないのではないか。命の受け渡しの中で自然は廻っている。ヒトである自分自身もその中のひとつの命であるということ。多くの命をいただきながら自らの命を全うするのだということ。一つ一つの命の重みを感じつつ、考えるという力を与えられた生物「ヒト」として生きているということ、その役割を考え続けて生きていきたい。


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