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同じ未来を見るなんてのは、逃げていたら不可能なわけで。

どれだけの愛を貰ったとして、上手く受け取れなくてこぼしてしまうから、不安で寂しくて怖くてたまらない夜は、いつまで経ってもなくならないんだろう。

この瞬間がいつまでも続けばいいのに、なんて時間には終わりがあることを知った。
幸せの尺度は人によって違うことを知った。

嘘でもいいよ、自分を誤魔化していよう。
そんなことが効かないくらいには生きてきたし、大人になった。大人になるのも悪くないな、ってちょっぴり思えるくらいにはこの変化も楽しめるようになってきた。

だけど、誤魔化しが効かないことに押しつぶされそうになる瞬間ももちろんあって。

幸せにする。とか、幸せにしたい。
ではなく「一緒にしあわせになりたい」って言葉を貰った。

ありがたいことに、絶対に幸せにするから。とか、初めて幸せにしたいって思った。とか、そういう言葉を貰ったこともあった。そういう強さが輝いて見えていたし、惹かれていたし、当時の私は必要としていた。

でも、その愛情をうまく受け取れなくて、苦しくなっていった。強さを纏った愛情の、その強さに息苦しくなってしまっていた。贅沢だ。贅沢すぎているし、身勝手すぎている。

自分を形どっているものが不安定だから、はっきりとした、強くてよく見える、そういうものを必要としていた。

でも、日々を重ねてきたことで、少しずつ自分を形どっているものの輪郭がぼんやりとみえてきた。まだまだ不安定だけれど、自分を自分として保つための方法がわかってきた。

記憶力はいい方ではないし、記憶がそのときの状態に左右されてしまうから、生きていくために必要な言葉、あるとちょっぴり豊かになる言葉、涙が出てしまうくらい心に寄り添ってくれる言葉、大切な言葉たちを写真とともに記録に残した。誰にも共有せず、私しか見れないような場所に。

強さを纏った言葉もそこにはもちろんある。
けれども、その言葉に救われる自分の割合が少しずつ減ってきた気がしている。

今も昔も、たくさんの愛を受け取っていることに変わりはない。そして、受け取る力も正直そこまで成長してない。まだ穴の空いたコップだ。上手く受け取れなくて不安になるし、幸せを感じれば感じるほど怖くなる。

けれど、愛を愛として認識できる幅が広がってきた気がしている。

変わらずにそこにいてくれるような、ちゃんと見ないと気づけないような、そんな愛もあるんだなあと思えるようになってきた。

それでもまだ、いつか消えてしまうような気がしているし、それが怖くてたまらないこともある。電話越しの誰かの存在は、全部嘘だと感じているからいつまで経っても苦手なままだし、肌の温もりがなければ1人な気がする。肌の温もりだけ感じてもひとりを実感するから、どこまで行っても寂しいままだし、どこまでいってもひとりなままだ。

同じ未来を想像していたって、見えている未来は2つあって、それがすごく寂しく感じていた。だけど、その未来を限りなく似ているものに擦り合わせていく過程が大切なんだと思えるようになって、それがとてもワクワクするようになってきた。全て同じ方がどこか気持ち悪い。

〈私は私を手放さない〉

強い願いを抱えながら、あらゆる矛盾のなかで悩みながら誰かとともに生きる。そのめんどくささをともにしてくれるのが、小説であり、映画であり、歌であり、芸術なんだろう。

人間が人間らしくあることはどこまでいっても美しい。

落とし所がわからなくなってきたけれど、私は人間らしい人が好きだし、人間らしくたくさんの矛盾を抱えて生きてきたいと思う。

「湯通しするまでの癖のある匂いも含めてすき、お風呂入る前の頑張った自分と似てる。」
と、気づいたらこんにゃくを煮ているという友達とかもすごく好き。

誤魔化しが効かなくなってきたとしても、こうやって日常を少しだけ誤魔化すことは生きるを軽くしてくれる。みんなしあわせを目指していいし、その過程に私が必要ならいくらでもお供する。しあわせな未来からは逃げたくない。

貰ってばかりの愛だけれど、私は私なりの愛の形をちゃんと持っていよう。

私の思う人間らしさを1番体現してくれているFINLANDSを添えて。

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