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【小説】阪急六甲駅のおもいで

東京に住み始めて、もう5年が経つ。
電車の乗り換えに苦労することもなくなって、
雑踏で厄介そうな人をさりげなく避けて歩くことも覚えた。

今はもう随分「都会のひと」になったけど、
神戸、という街には妙なコンプレックスのようなものがあった。
幼い頃、年末年始に家族で少し旅行でも行こうか、となると、行先は今では廃止になってしまった夜行フェリーで行ける京阪神だった。
決まって足を運んだのはNGKと海遊館、大原三千院と清水寺、そして三宮の百貨店と名前のよく分からないスパゲッティ屋さんだった。スパゲッティ屋さんでは、イカ墨とかジェノベーゼとか、小学校低学年だった私には馴染みのないハイソなものばっかりだったけど、とっても美味しかったことを覚えている。

神戸の街は、異人館や洋食屋、ベイエリアのポートタワー。
それは賑やかで活気のある大阪、観光客でごったがえす京都よりも、
落ち着いていて、だけどクラシカルな高級感と、そこに生まれ住める特権のようなものを私は居心地の悪さと、憧れと共に感じていた。

時は経って、故郷の悪友、ともいえる旧友が、神戸に進学した。
大学3年の春。関西では「3回」というらしい。
周りは就職活動を本格的に進めていくなか、
自分は大学院に進むのか、それとも就活をするのか、就活をするならその道に進むのか。何もかもを決めかねていて、自分という軸が周囲からのさまざまな言葉に煽られて、ぶれぶれになっていくのを肌で感じていた。
考えても、考えても決まらない。

とにかく東京を離れたくなって、3月1日。
就活説明会解禁の日、私は瀟洒な芸術作品や美術館がちりばめられた瀬戸内の島へ逃げていた。

神戸に寄ったのは、その帰途だった。
六甲駅が彼女のアパートの最寄で、三宮からは一駅で着いた。
「私の好きな作家、この駅で電車に飛び込んで自殺したんよね。」と私は言った。
「いや、やめてやそんなん言うの。こっちは毎日使うんやから。」と間髪入れずに言われた。

お互いに、お笑いが好きで親しくなった私たちは、高校1年生のときに吉本興業主催のハイスクールマンザイに出場したが、予選で負けてしまった。
あのまま2年後まで続けて出場していたらいいところまでいったかもしれない。お互いに彼氏ができたり、目指す大学が決まったりで、そんなことはすぐに忘れてしまったけど。
そういえば、その時は彼女がボケで私がツッコミだったが、今思うと日常会話は私がおかしなことを言い始めて、彼女が「やれやれ」って感じで突っ込むことが多い。何故逆にしたのかわからないが、力んでいたのかもしれないと思った。

彼女の六甲のアパートは、私の東京の部屋より広かった。でも、中はとんでもなく散らかっていた。化粧品やら服やら、中でも散らばっていたのは公務員試験の参考書と教科書で、そのときはじめて彼女が考えている将来を知った。

そっか、彼女は公務員か。
正反対の道やな、と思って二人で漫才をやっていたことに笑けて来た。
でも、机には公務員試験の参考書が広げられていたけど、関西ローカルのお笑い番組はテレビから垂れ流されていた。東京にいる私は、彼女の録画リストを漁って食い入るように見た。
ポートタワーを女二人で眺めて、翌日は御影公会堂のオムライスを食べて私は東京行きの新幹線に乗るために新神戸駅へ向かった。

私の頭を悩ませていたのは就職活動だけではなかった。
1年半ほど付き合っていた東京の恋人のことも、頭をもたげていた。彼のことは大好きだったけど、一緒にいると不安になって寂しさから、ひどいことを言ってしまう。
長く続かないだろうって気持ちとずっと一緒にいたいという気持ちに揺れて、何度も泣いた。
六甲駅に身を投げた彼女は、自我の抑圧と相手へのやさしさに揺れていたことはあったのだろうか。

東京に帰るのはつらかったけれど、瀬戸内の島を流れる時間があまりにもゆっくりで、焦らなくていいって気持ちと、漫才をやっていたことを思い出して、途方もないことに熱を入れていた自分がおかしくなって、すこし清々した気持ちで品川駅に着いた。

それからの1年は、とても長かった。
どれだけ藻掻いても、足を取られるような。明るく日が差しても、すぐにその光は消えて行ってしまった。

窮屈なリクルートスーツでビジネス街を闊歩したり、渋谷の焼き鳥屋で夜遅くまで就職した先輩の話を聞き込んだり。
しかし私は、そうしてもらった内定にただ違和感を感じて、
大学院を目指した。なんの手掛かりもない試験に、丸腰で挑戦して、合格した。
結局、恋人とは別れてしまった。
だけど、卒論を書いたり、散った銀杏に埋め尽くされるキャンパスを見たり、学校帰りに友達と焼き肉に行ったり。
卒業までの日々はただただ楽しかった。

卒業旅行の締めくくりはタイで、関空からの出発だったから、
例の彼女の六甲のアパートに泊まることに決めた。
彼女は、結局紆余曲折あって、ある企業に就職する運びになったらしい。

六甲のアパートは相変わらず汚くて、「いや、散らかりすぎやろ!」と言って私はリビングと台所を片付けた。
お礼でも言うのかな、と思ったら、彼女は真顔で「家ん中でそんなスピードで動いたことないわ!」と言っただけだった。
彼女の渾身の大ボケ、のようなものだった。天然だけど。

神戸、は案外よそ者がすることは少ない街かもしれない。
昼間は2人で梅田まで行き、たこ焼きを食べて、喫茶店に行って。
夜は鍋の準備をして、豆乳鍋を食べながらお笑い番組を観た。
それは、東京の大学生活のどんな瞬間よりも楽しくて、暖かい大事な時間だった。

彼女はその年のМ-1グランプリを制した、新進気鋭のコンビに大ハマりしていて、暇さえあれば彼らの話をしていた。
夜寝る前に、彼らのラジオを聴きながら寝ようということになった。
たまたまなのだが、その回はとんでもないド下ネタ回で、二人とも笑いが止まらなくなった。「全然寝れんやん!」と爆笑して。しばらくして、ラジオを消して寝た。

次の日、飛行機の時間が早いから、
まだ寒くて暗いうちに、彼女の枕元で小さく挨拶だけして、部屋を後にした。
さよなら。
六甲駅までの道は、寒くてとんでもない急な坂で、スーツケースを押すのも一苦労だった。
関空行のバスに乗るため、三宮駅行きの阪急電車に乗った。
東京では、別れた恋人が幹事の飲み会が開かれていたみたいで、眩しい写真を見るのがつらくてスマホから顔を上げた。
そういえば。
旅行と春休みにかまけて忘れていたけど、大学院では文学を研究するのかーとか思って。
じゃあ、帰ったら神戸の人間模様をたくさん言葉にした彼女の詩や小説を読むところから、また始めよう。

三宮から関空までのバスの窓には、外の寒い空気が結露になって、
赤と青の日の出が映って、
きらきらしていた。
彼のことを思って泣いたり、自分の未来に苦しんで泣いたり、
東京では涙ばっかりだったなあって思って、
今度帰ったら、きっと頑張ろうと思った。


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