会社が変わったのか、私が変わったのか。
出産というイベントを挟んで、私自身の内面における価値観の変化について書いてきましたが、私の周りで起こった状況の変化もまた、私にとって重要な気づきをもたらしました。
出産前後の時期、私は上司に恵まれました。当時の上司は、外資系企業でフルタイムで働く奥さまと1歳で保育園に通う息子さんを持ち、いわゆる日経DUAL的な共働きで育児をしている"本当の"イクボスだったので、共働きの子育ての実態を(家庭でどんなことが日々起こるかを含めて)自分ごととしてリアルに理解していました。実際に保育園の迎えがあるからと早く帰る日もありましたし、また近くで一人住まいをしているお母様のこともケアしていました。
私のキャリアについても背中を押してくれていました。もちろん上司の立場としては私が"バリキャリ"志向のほうが、少々無茶振りくらいな仕事のアサインもできて助かるというのもあったでしょうが、それ以上に「24時間働けますか?」的な昭和な価値観がもう経営戦略として時代遅れであり持続可能ではないこと、だからそんな働き方をして昇格する社員ばかりではいずれ会社が立ち行かなくなることを、ご自身の現在進行形の経験も含めて理解している人でした。
そういう上司のおかげで、また人事部という職場にいたおかげで、私は自分と会社が置かれている状況をかなり客観的に見ることができていたと思います。「働き方改革」という単語が日夜ニュースを賑わし、人事部の中でも毎日のように飛び交っていましたが、うちのような、終身雇用と年功序列を前提にした純日本的な人事制度で長く成り立ってきた企業が、風土ごと変わるのはそう簡単ではないと分かっていました。時間の制約がある働き方は、日常の業務の中では自然に受け入れられていても(それだって日本企業の中では恵まれているほうですが)、いざ評価や昇格といった場面になればまだまだ不利に働くであろうことも頭では理解していました。
それでも、人事部は本来そういう現状を、制度も風土も含めて率先して変えていくべき部署ですから、子育てをしながらも成果を出して、トップスピードではないにしても着実に昇格して管理職になってキャリアアップしていける、そういう新しいロールモデルを創り出すことにも取り組むべきだし、私はそういうロールモデルとしてうってつけのポジションにいると思っていました。上司の援護射撃も期待できる状況でしたし、すでにフルタイム勤務に戻していたこともそれに見合うものだと思っていました。
甘かった。
結局、復職後の3年間、私は毎年昇格試験に落ち続けました。さらに3年目は評価結果も要件を満たさなかったため、翌年の受験資格を失う形になりました。
この結果をどう解釈するべきか、私はかなり深く悩みました。
何しろ出産前までは先頭集団に遅れることなく、節目節目で一発で昇格し続けていたのです。それが出産と復職を挟んで一気に3位集団からもこぼれ落ちるところまで失速した形になったわけです。しかも、受かれば肩書きがつくという分かれ目でしたから、肩書きがつかない=昇格試験に失敗していることが社内の誰の目にも明らかです。ましてここは人事部。有り体に言って私のプライドはずたずたでした。昇格したメンバーと自分とを比較しては、私の一体どこが劣っているのか?むしろ私の方がよっぽど本質的で会社の経営に寄り添う仕事をしているではないか、と納得が行きませんでした。
喉元まで出かかる会社への(というか人事部への)恨みつらみを飲み込んで、感情を殺し無の境地で仕事をする日々がしばらく続きました。転職活動もしてみたし、エージェントに勤める友人にも会ってみたし、良きメンターであった復職時の上司(その後担当が変わり直接の上司ではなくなっていましたが)に相談とも愚痴ともつかぬメールを書いたりもしました。
その暗くて長いトンネルを私がどのように抜けたのかについては次回以降に書くとして、果たしてこの結果をどう解釈すべきなのでしょうか?変わってしまったのは会社なのか、それとも私なのか?
もっとも自分に厳しい解釈は、純粋な「実力不足」。たとえ出産がなかったとしても同じ結果になっていたであろう、と考える。または出産と復職を経て私のパフォーマンスが低下した、と考える。
もっとも自分に甘い解釈をするなら、これは時間の制約を言い訳にした、会社側の社員に対する「不利な扱い」。会社は"時間"をたくさんコミットしてくれる社員が便利だから高く評価して、定時で帰る社員のことは評価しない。
どちらも極端ですが、どちらも全く的外れでもないと、今客観的に振り返って思います。そして、事はそうシンプルではなく、いろんな要因が絡み合っています。それは人事部で評価と報酬の制度に関わる仕事をしたからこそわかったことでした。
現時点での私の解釈は、出産/復職とそれに伴って生まれたいくつかの変化により、会社における、私の人材としてのポジショニング(ここで言うポジショニングはマーケティング用語のそれです)が変わった、というものです。
どういうことか?
背景としてあるのは第一に、そもそも機会は平等ではないということ。かつ、機会の平等も、結果の平等を生むとは限らないということ。
第二に、日本企業において、各職能に求められるものの定義は依然としてとても曖昧であるということ。
第三に、昇格試験における合否は、会社にとってのその人材の"重要度" × "緊急度"で決まるということ。
それぞれについて次回以降書いてみます。
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