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多忙は、怠惰の隠れみのである。

その日は雨だった。なんだかいつもよりも気分が落ち込む。

日々、走り抜けていると、深呼吸をすることすら忘れそうになる。

「頑張らなきゃ」
「みんなも頑張ってるし」
「自分だけ休むわけにいかない」

そんな言葉で、自分を追い込む。

本当は、「今日くらいサボったらいいよ」「そんなに頑張らなくていいよ」「もう充分頑張ってるよ」と、もう1人の自分は言っている。

そんな自分の言葉をかき消すかのように、聞かないフリをする。

そのほうが、安心する。

でも、ふと思う。

最近、何に感動したっけ。
誰かと時間を気にせずおしゃべりとかしたっけ。
目的とか意味とか、そんなこと関係なく、何かに夢中になったっけ。
空を見て、綺麗だなって思ったっけ。

大好きな、糸井さんがコラムでこんなことを言っている。

「多忙」な時っていうのは、現実的な問題がいっぱいあって、それを現実的に解決したり、解決しかかっていたりしている状態だ。そういう時というのは、達成感もあるし、幸福感もある。ちっぽけなヒロイズムも満足させてくれるかもしれない。だが、そういう時に欠けていきやすいものがあるのだ。
それは、おそらく「なぜ」という疑問とか、おおきな視野とか、人間の感情とか、なにかすぐには役に立たないような、それでいて大事なことばかりなんだと思うのだ。教養主義的な意味で言うのではないけれど、「哲学」に関わるような問題が、忙しいときにはすっぽり抜け落ちていることが多い。

「ダーリンコラム」より抜粋

多忙は怠惰の隠れみのである、らしい。

「すっごく忙しくしている」ということが、「さぼってる」ことの隠れみのだということ。

確かにそうかも。

忙しい方が、考えなくて済むし、向き合わなくても済む。

ちょっと勇気を出して立ち止まったほうが、忙しくしている時よりずっともっとしんどい。最近の私がそうだった。忙しくして、そうやって大事なことを見ないフリすんの、やめなよってもう1人の私がブレーキをかけた。そして、休んだら、しんどかった。

考えてこなかったあれやこれやが色々思い浮かんできて。

しんどかったけど、でも私にとって本当に大事な時間だった。久々にあんなに感情を出せたから。すーっと軽くなった。

綺麗にまとめるつもりもないし、何が言いたいかもわからないけど、私は最近、多忙の怠惰の隠れ蓑だった。

良いんだ、ただただ感情を出して終わる日があったって。

なにかすぐには役に立たないような、意味があるかわからないような、それでいて大事なことばかりが、日常にはたくさんある。

もう1人の私、グッジョブ。よく頑張った。ありがとう。

多忙は、怠惰の隠れみのである。



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