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「また会いたい」と思う人に会ってきたお話。

「また会いたい」

そう思える人は、人生で何人出会えるのだろうか。特に大人になってから、仕事や事業で一緒になって何度も顔を合わせることはあっても、プライベートでまた会いたいと思える人、そして実際に行動に移すことは難しくなった気がする。

それは大人になってから学んだ人との距離感とか、日々の忙しさとか、何かの制限だったりとか、そういう理由で、2回目にまで到達しないことが多い気がしている。

私は、文筆家の松浦弥太郎さんが好きだ。大好きで、本人に会いにいったこともあるし、本もほとんど全て持っている。

弥太郎さんのとある本の中でこんな言葉がある。

「僕がまだ20代の頃、とても尊敬している大人の人とお茶をした後、必ずその人は「次はいつ会おうか?」と次の約束をしてくれた。その気持ちに嬉しくて、なんて素敵な人なんだろう、と思った。」

この一文を見たときに、私も「素敵だな」と思った。そして、自分もこう言えるようにもなりたい、と思った。

人との関係性は、自分から動かないと育たない。もちろん、待っていても育つこともあるかもしれないけれど、ほとんどが何かのきっかけを自分で作らないと育つことは稀じゃないか、と思う。

最近、とある人と出会うきっかけがあった。共通の友人を介して、出会ったその人の最初の印象は「なんだか、いろんなことを考えていそうな人だなあ」だった。

でも、なんとなく、私にはないものを持っていそうな人だ、と思った。それは表現力というのか、雰囲気というか、なんなのか。その時はわからなかったけど、まずは対面でも会ってみたいと思って、お茶をする約束をした。

初めて会った時、その人とその人の友人とで3人で会った。ふたりとも、私の話を色々と根掘り葉掘り聞いてくれた。「こんな話聞いてて面白いですか?」と不安になる私に対して「はい、面白いです!」とはっきり答えてくれていた。

その日は私の話ばかりしすぎて、その人の話も、もっと聞きたかったという心残りもあって、その人が運営しているアトリエに遊びに行くことにした。「いつでも来て良いですよ」という感じだったので、その場で日にちを決めた気がする。

そのアトリエは、「STUDIO202」という名前で、彫金作家、写真家、PMなど色々な「技」を持っている人たちでDIYをして作ったらしい。

私は普段、ものをつくる仕事をしていないから、ものをつくる仕事をしている人に、興味がある。自分の表現を形にして、それに価格をつけて世に出しているというプロセスはどうなっているのか。そもそも形にするまでのプロセスは頭の中でどう動いているんだろう、そんなことを聞くのが楽しくて仕方ない。

自分の知らない世界を生きている人の話は、いつだって楽しくて面白くて、自分が冒険に出ているような、そんな感覚になる。


おそらく興味がある人には誰にでも開かれているその場は、とても居心地が良くて、なんだかホッとするような場所だった。日頃、走り続けて生きている私にとっては、少し緩むような、「このままで良いのかも」と思わせてくれるような、そんな空気感を感じる空間だった。

それは、そこにいる人たちも影響しているのかもしれないけれど、その空間にある、絵だったり、植物だったり、大切にされている道具たちだったり、「そこに存在するもの」たちから醸し出されている何かがある気がした。

「もの」というよりかは「そこにある」という感じだった。
そこにある、という感じは、輪郭がくっきりしている。たぶん、「もの」ではなかったと思う。名前がちゃんと、ひとつひとつについている。

その存在感と、愛おしさというようなものを、私はその場で感じ取ったのだと思う。

私が私として存在していることを感じ取れる空間。

これが「場」の持つ力なのかもしれないな、とその時に思った。そんな場を作っている人にも興味が湧いて、その日はとても素敵なカフェに連れて行ってもらって、たぶん2時間くらい、話した。

その人が大事にしていること、仕事のこと、写真のこと、アートのこと。同じ経験をしているわけではないし、全てがわかるわけではないけれど、私自身が人生で大切にしていることと重なる部分があるような気がして、とっても嬉しかった記憶がある。心が、ふわふわした。

私はおそらく、自他ともに認める社交的な人間だ。基本的に人が好きだし、人とお茶をするとかご飯を食べる、ということも大好きで自分にとって生きる営みのひとつである。でも、同じ人と何度も会うことは、実はそんなに多くない。特に新しい人との出会いだと尚更。それは悲しいことというよりかは、人生の中でまた会える人の総量が決まっているんじゃないか、と思ったりしている。

また会いたい人で溢れたら、時間がいくらあっても足りないから、もしかしたら神様がまた会う人は決めているのかも、なんて。真相はわからないけれど。

そんなことを思いながらも、私はその人とさようならをした後に「また次に会う約束をして良いですか?」とメッセージを打っていた。

とはいえ、大人になった私は、幼い頃に比べて少しは立ち止まるようになった。また会いたいとかって距離感を詰めすぎてないだろうか、その人にも心地よい距離感があるのではないだろうか、何度も行くのは迷惑では…?

色々思い浮かんだけれど、自分の直感を信じた方が良いとそのときは思って、えいやと、メッセージを送信していた。

大丈夫だったかな、とどきどきしながら待っていたけど、快く歓迎してくれて、10月にまた会うことができたのだった。

また会えるって、いいなあと思った。こちらからまた会いたい、と思っても、相手が「そうじゃない」とか「タイミングじゃない」こともある中で、また会えるという関係性が続くということは、当たり前ではないのだろうなあと思うと、有り難くも感じた。

そして、また再会できたその人は、やっぱり面白かったし、心地よかったし、楽しかった。

世の中に、社会に、STUDIO202のような場がどんどん広がってほしい、と思う。そして、私もそういう場を、つくっていきたい。

人が、その人らしくいれる場所。
人が、その人らしさを表現できる場所。
きっと、そんな場なんだと思う。

「こういう場をつくりたい」「こういう人が増えてほしい」「もっと社会がこうあれば」そんな願いを持っている人たちと、繋がり合って、着実に良いと思う「動き」をつくっていくこと。そんなことを、私は自分の人生のなかで、実験していきたい。

じゅんさん、また会いにいきますね。

そして、いつか場を共につくりましょ。

優しく、楽しい、じゅんさんです。




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